百聞は一見に如かず!久米島学習センターの佐藤七海が考える、今後の夢とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第964回目となる今回は、佐藤 七海(サトウ ナナミ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

沖縄県の久米島で、学生の教育に携わる佐藤さん。学生時代のエピソードや今後の目標、U-29世代へのメッセージをお話していただきました。

幼少期から海外で暮らし、地域発展に興味を持つ

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

佐藤七海です。沖縄県の久米島で、高校生向けに学習活動をサポートする仕事と、副業で大学生向けのキャリア教育の仕事をしています。沖縄に住み始めて、現在1年3ヶ月目です。

ーぜひ、幼少期のエピソードから教えていただけますか?

父親が国際協力の仕事をしている関係で、途上国に帯同することが多かったですね。5歳から7歳の頃はミャンマーに住んでいました。母も海外で仕事をしていたので、家族全員で海外に住むことにはあまり違和感はなかったです。ミャンマーは雨季のスコールがとてもひどかったり、ヤシの木が生い茂っていたりと、日本との違いが大きかったですね。

当時は小規模の日本人学校に通っていました。現地のミャンマー人はまじめで朗らかな人が多く、優しかったです。おてんばだったわたしは、現地のみなさんを色々と困らせていたかもしれませんね(笑)。

帰国後は沖縄本島に住みました。そこで気づいたことは、「沖縄に住む」と言うと周囲から羨ましがられるのに、「ミャンマーに住んでいた」と言うと大変だったねと言われることです。

わたしとしては、どちらの暮らしも楽しかったのに、なぜそんなことを言うのかと疑問に思っていました。子どもながらに、ミャンマーには行ったことがない人が多くて、イメージが湧かないのかなと思っていました。

自分の中にいい思い出があったとしても、周りの人が理解できるとは限らないんだと気づきましたね。周りの人に何を言われても、自分の中ではいい思い出にしておこうと思っています。

ーその後も海外に住んだのでしょうか?

はい。中3の頃には、父親の仕事の都合でパキスタンの日本人学校に通うことになりました。

父はわたしが中1の頃からパキスタンに住んでいたものの、世界情勢上、現地が危険だったので帯同の許可が降りませんでした。中3になってやっと許可が降り、ミャンマーの楽しさが忘れられなかったわたしは「ぜひパキスタンに行きたい!」と言ったんです。高校受験のことは何も考えていなかったですね(笑)。

ただ、嬉々としてパキスタンの日本人学校に通い始めたものの、学校のメンバーがとても優秀で、授業に追いつけなくなってしまったんです。日本では勉強ができていい子だと思っていた自分が落ちこぼれになり、自分の「得意」が分からなくなりました。

でもその後は、小学生のお世話をしたり、絵や出し物で学校を盛り上げたりと、勉強以外で、他の人よりも自信を持てることに重きをおきたいと考えました。日本に帰国した後は無事に高校受験にも合格し、3年間吹奏楽部に打ち込みました。普通の高校生活を送っていましたね。

ー進路はどうやって選びましたか。

幼少期に海外に住んでいたため、初めは外国語学部に興味がありました。でも、わたしは言語をやりたいというよりは、国際協力や地域発展のサポートがしたいと気づいたんです。理系の父を見て、技術を教えるだけでなく、現地の人にも実際にできるよう工夫している姿に憧れました。

文系のわたしに何ができるか考えると、教育かなと思って。現地の人が、自分で自分の地域を盛り上げられるお手伝いができたらと考え、早稲田大学教育学部への進学を決めました。そこは教員養成以外にも、子どもから大人までを対象にした生涯教育を扱っていて、新鮮でとても楽しかったです。

大学3年生の頃、現在の仕事を知ったきっかけがあって。「高校魅力化プロジェクト」に参加するためのゼミ合宿があり、地域での教育を盛り上げ、その地域に還元してくれる人を増やす取り組みに参加しました。

わたしは久米島のとある塾で、高校生へ授業をしたんです。目をキラキラさせて、わたしが言ったことを素直に吸収しようとする生徒さんたちの姿勢が印象的でしたね。地域の大人として、高校生の教育に関われる仕事もあるのかと衝撃でした。

久米島にしかない環境を使った教育をしていこうと、地元のことを生かした教育も大切にしているところが魅力でした。勉強だけでなく進路指導など、いろいろな観点から生徒に関われるところもよかったですね。久米島以外の地域にも行って、似た取り組みをこの目で見て、やっぱりこれがやりたいなと気づいたんです。

この仕事は現場に立ちつつ、塾の経営をやらなくてはならないので、すごくマルチなスキルを求められるなと感じましたね。わたし自身、いきなり自分でできる経験を積んでいたわけではないので、いったん教育ではなく、地域活性に関連する仕事を探そうと思いました。

現在は久米島から、高校生・大学生の教育に関わる

ー新卒時は地域活性に関われるお仕事に就いたのですね!

それが、実はあまり関われなくて……。というのも、旅行会社に入社したものの、新型コロナウイルスの影響で地域活性関連の企画がなくなるなど、あまり機会がなかったんです。

異動してカスタマーサポートの仕事を担当し、仕組み作りの楽しさも勉強させていただいていました。任されたプロジェクトをやり切って次は何をやるか考えたとき、やっぱりわたしがやりたいのは地域活性だと思い出して。今こそ教育と地域開発をやろうと決意して、久米島へ渡ろうと決めました。

久米島の採用選考を受け、結果的に親には事後報告しましたね(笑)。ゼミ合宿で行ったことがあったので、現地のイメージはつきやすかったです。

ー今は久米島でどんなことをしているのでしょうか?

勉強を教えたり、進路の相談を受けたり、推薦試験の対策をしたりしています。地域を舞台にした総合学習をするために、学校や町内の施設などと連携もしていますね。

最初にインスピレーションを受けた場所に恩返しをしたいという気持ちもあり、久米島へ行こうと決めました。離島は都市部と文化もインフラも違いますが、豊かな自然の豊かさなど、久米島だからこそ楽しめることも多いです。

個人的には、お祭りの多さが魅力ですね。久米島町の中にはさらに小さな行政区があり、わたしの家の近くでは年3回のお祭りがあります。人と人とのつながりやあたたかさを感じて、この魅力は住んでみないと分からなかったなと思いますね。

ー大学生向けのキャリア教育の副業では、どんなことをされているのでしょうか。

昨年の8月末に始めました。久米島にいると地域のことはよく知れますが、教育とはどんなものなのか、もっと深く知りたくなったんです。

副業では、大学生向けのキャリア教育を行っていて、採用者を募集したい企業と進路に悩む大学生、両方に関わっています。色々な業界の知識を得ることで、高校生の進路選びにも役立つような幅広い話ができるようになりました。

過疎地域の子どもは関わる大人が少ないので、わたしがより多くのことを話せるようにならないとと思っています。