互いに尊重しあえる場を。Cominia代表・渡邉すみれが社会課題に向き合う理由

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第872回目となる今回は、学生団体Cominia(コミニア)代表、アマチュアサッカー選手の渡邉すみれ(わたなべ すみれ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

高校生から校則問題などの社会課題に向き合ってきた渡邉さん。現在は、アマチュアサッカー選手として活躍しながら、古民家を活用した心理的安全性の場づくりに取り組んでいます。なぜ校則を始めとした社外課題に向き合うようになったのか。渡邉さんが歩んできた人生を紐解きます。

人との出会いで自分の世界が広がった鎌倉移住

ーはじめに自己紹介をお願いします。

明治大学政治経済学部2年の渡邉すみれと申します。学外の活動では、アマチュアサッカー選手としてチームでプレーしながら、学生団体Cominia(コミニア)の代表を務めています。高校生から校則問題に取り組んだり、古民家を活用した地域活性化の分野などで活動しています。

ー渡邉さんの人生を辿りながら、今に至るまでの転機や価値観をお伺いしていきます。まずは、どのような幼少期を過ごしていましたか?

現在は鎌倉に住んでいますが、9歳までは父の実家がある埼玉の片田舎で生活していました。家の周りには大きな田んぼがいくつもあり、車がないと生きていけない環境でした。また、幼少期から空手などのスポーツに触れながら元気に育ちました。

ただ、地域の閉鎖的な雰囲気を感じとってしまい、小学校低学年の頃からその町を出たいと思っていました。この感情を持ったことが、今にもつながる大きな原体験になっています。

ー具体的に閉塞感を感じていた体験はありますか?

母方の祖父母が都内在住だったり、叔父が海外で生活していたりするので、子どものときから遊びに行っていたんです。けれども、地元でその経験を話すとみんなに信じてもらえなくて。ずっと生まれ育った場所で生活するのが当たり前で、外に出る機会があまりない人が多い地域だったので、感覚のずれや世界の狭さを感じてしまいました。

ーそうだったのですね。そこから9歳で鎌倉に引っ越したことが転機になったと伺いました。

小学校3年生の夏休み明けから鎌倉に引っ越し、海が身近にある生活になりました。鎌倉での生活が、今の自分の性格を形成していると思います。埼玉の小学校では1学年に1クラスしかありませんでしたが、鎌倉の小学校は5クラスもあったんです。いろんな遊びを経験したり友達もたくさんできたりして、自分の世界が大きく広がりました。

いろんな人と出会える環境に身を置くことは、人生を変える力があるんだと実感しましたね。

ー11歳のときにサッカーを本格的に始めたことも、人生を大きく変えた要素ですよね。そもそもサッカーを始めたきっかけを教えてください。

元々スポーツが好きだったので、サッカーも遊びの一環で触れていました。でもあるとき、急にサッカーにのめり込んだんですよね。スポーツの中で一番サッカーをするのが楽しかったんだと思います。

両親にボールとスパイクを買ってもらい、公園で一人リフティングやボールを蹴る練習をしていると、地元のサッカーチームに所属する子たちが「そんなにサッカーが好きなら一緒にやろうよ」と声をかけてくれて。それがきっかけで、地元の少年団サッカーチーム「星月SC」に入りました。

ー当時、男子とサッカーをすることに対して抵抗感はありませんでしたか?

全くなかったですね。むしろ人と同じことをするのが苦手というか、個性的でありたい気持ちが昔からありました。当時はもっとサッカーが上手になりたいし、チームメイトに追いつきたい気持ちが強かったです。そのため、少年団でのプレーに挑戦したいと思っていました。

ーサッカーに打ち込んでいた渡邉さんですが、中学生のときに初めて挫折を経験したそうですね。

地元の中学校で男子サッカー部に入部したのですが、中学2年生の終わりに腰の怪我をしてしまったんです。結果的に腰椎分離だと判明しましたが、当初はなかなか怪我の診断が出ず不安を感じていました。

加えて診断がなかなか出ないのを理由に、チームメイトの男子に練習をサボっているんじゃないかと言われたこともありました。アイデンティティでもあるサッカーができなくて悲しい気持ちだったのに、学校でチームメイトとうまくコミュニケーションがとれず、傷つく言葉をかけられてメンタル面でも辛かった時期でした。それでも中学3年生になると、みんなとの関係性や居心地がよくなり、卒業した今でもサッカーをするほどの仲良しです。