今と将来を両軸で考える。ビジネスプロデューサー宮本安祐佳の幸福論

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第761回目となる今回は、ビジネスプロデューサー宮本 安祐佳(みやもと・あゆか)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

スラッシュキャリアという新しい働き方で、ビジネスプロデューサーとして活躍されている宮本さん。学生時代の苦悩や努力されたことを踏まえ、どのように価値観が変化していったのか。宮本さんの人生への向き合い方をお聞きします。

ビジネスプロデューサー×スラッシュキャリアという働き方

ーはじめに、自己紹介をお願いいたします。

宮本 安祐佳(みやもと・あゆか)と申します。現在は都内にあるクリエイティブのコンテンツスタジオでビジネスプロデューサーをしています。スラッシュキャリアという働き方で、メインではビジネスプロデューサーをやりつつ、フリーランスでプランナーやディレクターとしても活動中です。広告やD2C、SNSマーケティングのお手伝いが主な仕事内容です。

ービジネスプロデューサーという肩書きですが、具体的にどのような仕事をされているのですか?

クライアントやお客さまの課題ややりたいことに対して、ワークプロセスをデザインしてゴールに導いてあげることを仕事としています。クライアントとクリエイティブディレクターチーム、両者の最大公約数を見つけるのが私の役割です。それぞれのやりたいことや社会のニーズがすべて合致することは少ないので、両者の差を最大限埋めるのが私の仕事だと思っています。

ースラッシュキャリアという働き方についても教えてください。

複数の職業や肩書きをもちながら、特定の分野に絞らずに幅広く活動する働き方のことをスラッシュキャリアと呼びます。最近特に増えている働き方だと思います。

「将来」のために自己投資に励んだ中高時代

ー学生時代に闘病生活を経験されたと伺っているのですが、当時の状況を教えてください。

親が教育熱心だったこともあり、小学校低学年から塾に通い、勉強を頑張っていたタイプでした。中学に入ると同時に体調を崩し、病院で検査をしたら大きな病気が見つかって、入院して手術をしました。入学式にも行けなかったですし、中学1年生のころはほぼ学校に行けませんでしたね。

中学2年生のころに退院して、徐々に学校にも行けるようになりましたが、体調が悪くてなかなか思うように通学できないこともありました。一般的な日常生活が遅れるようになったのは、中学2年生の冬から中学3年生になるタイミングなので、あまり中学生活の記憶がありません。

ー病気と告げられたときの心境はいかがでしたか?

当時12歳だったこともあると思うのですが、そこまで深刻には捉えていませんでした。勉強や学校に行くことが好きだったので、思うようにいかないつらさや悲しさみたいなものは、なんとなくあった気がします。親の影響もあって勉強をすごく頑張っていた時期でもあったので、病気の負荷によって勉強できないという状況にもどかしさは感じていたかなと思います。

ー苦しい中学時代を過ごされたのですね。一転、高校は第一志望校に合格された宮本さんですが、高校受験で思い出に残っているエピソードはありますか?

私自身負けず嫌いな性格でもあるので、やっぱりトップの高校に行きたい思いが捨てきれず、目指していた公立の高校がありました。でも入院していて学校にあまり行けていないこともあり、中学2年生の終わりの段階では出席日数的に成績が1とか2とかだったんです。

担任の先生からは直前まで、志望校を下げたほうがいいよって言われていて。でも諦めずにチャレンジした結果、第一志望校に合格。人生で初めての成功体験となりました。頑張ればちゃんと結果に結びつくんだなというのが、そのときの学びでしたね。

ー先生から反対される中で、宮本さんが諦めずに挑戦し続けられた理由はなんですか?

小学生のころから、将来幸せになるために今頑張っておこうという考えをもっていました。今勉強しなくてもいいんじゃないかと思ったこともありましたが、小さいころから将来どういう大学に行って、どういう職業に就くかみたいな話をよく両親としていて。今勉強しておくことが未来の投資になる、今頑張った分将来なにかあるはずという気持ちがあったので、諦めるわけにはいかないと思いました。

ー小さいころから将来についてしっかりと考えていたのですね。将来の自分のためにそこまで行動的でいられたのはなぜですか?

小さいころから興味・関心の矢印が多くて、なりたい職業も具体的だったんですよね。5〜6歳のころから、「私はカメラマンになりたい」とか「ユニセフの親善大使になりたい」とか、夢が明確でした。

いろいろな夢があった中で、どういう勉強をすればいいかまでは分からなかったですが、漠然と勉強しておいたほうがいいんだろうなとは思っていました。選択肢の幅を広げる意味でも、将来自分のなりたいものが決まったときに、勉強しておいたほうがきっといいだろうという考えのもと、自然とそういう選択になったのかなと思います。

ー中学・高校までは学歴を重視してきたとのことですが、大学進学で美大を選ばれたきっかけはなんですか?

「勉強頑張りましょう」「いい大学に行きましょう」というような風潮の高校だったので、受験直前までは早慶とか、学歴を重視して頑張っていました。でも、どうしても自分のやりたいことを優先したい気持ちがどこかにあって。学歴ではないのかもしれないという考えから、美大を目指しました。

思い返すと、小さいころから物を作ることや美術が好きで、将来なりたいものを考えたときに、すべてに共通していたのがクリエイティブなことでした。もちろん学歴があったほうが幅が広がったのかもしれないですが、自分のやりたいことを優先させる判断をしました。