不登校をプラスに捉える。大学生の片山知香が目指す「誰も取り残されない世界」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第759回目となる今回のゲストは、不登校を支援する団体「CO」を立ち上げた、片山 知香(かたやま・ちか)さんです。

不登校経験のある片山さんが、不登校の子たちをサポートしたいと思った経緯や、これから作りたい社会像について伺いました。

ある日突然 “不登校” に。行きたくても行けない葛藤が続く

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ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

法政大学1年の片山知香と申します。大学へ通いながら、不登校問題に関して取り組むために、COという団体で活動しています。COは私一人ではなく、団体メンバーの栗原と一緒に立ち上げました。

ー本日は、片山さんが不登校問題に興味をもつようになった経緯について、幼少期からさかのぼって伺えればと思います。幼い頃はどんなお子さんでしたか?

小学校のときは習い事ばかりしていたので、遊んだ記憶があまりないです。水泳、そろばん、華道、茶道、ピアノ……本当にいろんなことに取り組んでいましたね。とにかく忙しかったですが、自分のステップアップにつながる感覚がして楽しかったです。

ー中学時代はどのように過ごしていたか聞かせてください。

実は中学時代、朝急に起きれなくなって。頭が痛くて血圧が上がらなくて、本当に起きれないんですよ。お医者さんに診断してもらうと、「起立性調節障害」だとわかりました。

ー当時は率直にどのように感じていましたか?

行きたい気持ちはあっても行けない中で、親からは行くように言われて、葛藤していました。中学3年の頃には病気自体は治っていたのですが、ずっと学校へ行っていないという気まずさからさらに行きづらくなり、不登校の状態が続いていました。

ーご両親との関係性はどうでしたか?

ケンカばかりで何度もすれ違いましたが、学校へ行くことがすべてではないと教えてくれたのは両親でした。「学校へ行かなくても受験はできるし、高校へも行ける」と言ってもらえたときは、心が軽くなりましたね。

また、母親が起立性調節障害の専門医を探したり、親の会へ参加したりと、私のことを考えてくれていると知って愛情を感じました。

フィリピン留学をきっかけに性的マイノリティに目が向く

ー中学時代に不登校になり、高校ではどのように過ごしていたのでしょうか。

高校1年からは学校へ通い、すごく楽しかったのですが何か物足りなくて。当時は医学部へ進みたいという夢があったので、英語を学ぶためにフィリピンのセブ島へ留学へ行くことにしました。フィリピンへ行ってから、人生が変わりましたね。

ーフィリピンではどんな出会いがありましたか?

難民キャンプへ行って周りにたくさん難民がいる状況を見たときに、日本と全然違うなと思って。難民を支援している学生団体に入っている子から、世界には難民がたくさんいると教えてもらって、本当に人生観が変わった留学でした。

また、フィリピンで通っていた学校の先生が、体は男性だけど心は女性だったり、フィリピンには同性愛者が日常的にいたりして、性的マイノリティに対して寛容でした。そこで、日本は寛容ではないということに気づいたのです。

それから性的マイノリティが気になり、日本の論文だけでなく他の国の論文も読みあさって自分で勝手に研究しました。

ー研究した結果、いかがでしたか?

フェミニストや女性の社会進出を研究している上野千鶴子さんや、性的マイノリティの本を出している方とお会いしたり、いろんな人と出会うことができました。

また、自分の知識が深まって周りに話せるようになったことで、父親が性的マイノリティについて寛容になりましたね。

ーお父さまはもともと懐疑的だったのでしょうか。

同性愛者と聞くと、「その人たちは子ども作れないよね」と、マイノリティを排除する心理が働いて差別してしまいがちでした。でも、「同性愛者でも他の人から精子・卵子を提供してもらえば子どもを作れるよ」と話すと理解が深まり、「そうなんだ。いいね!」と意識を変えることができたのです。