地域から循環型社会の構築に挑戦。藤田香澄が大切にする「自分たちでつくる未来」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第538回目となる今回は、合作株式会社の藤田香澄(ふじたかすみ)さんです。

幼少期から太平洋諸島の豊かな自然とともに育った藤田さん。学生時代に取り組んだ調査発表の経験から、環境問題を意識するように。さらに、主体性をもって課題に取り組む地域に魅力を感じ、現在は鹿児島県大崎町でサーキュラーヴィレッジの構築に携わっています。

「自分たちの未来を自分たちでつくる」と意識するに至ったこれまでの経緯や、藤田さんの価値観を伺いました。

未来のために循環型社会の仕組みを構築する仕事

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

藤田香澄と申します。現在は、リサイクル率日本一の鹿児島県大崎町にある合作株式会社で、企業連携担当として大崎町や世界のサーキュラーヴィレッジ構築に関わっています。

ー具体的にどういったお仕事をされているのですか?

循環型社会の仕組みづくりをおこなっています。日本の平均リサイクル率は約20%といわれていますが、大崎町はリサイクル率80%以上の自治体なんです。大崎町の住民や役場、資源ごみをさらに分別する中間処理事業者も含めて、一人ひとりが分別意識を持って実行しているんですよね。これからの社会を考えたときに、リサイクルしやすいようなものづくりを上流部分から、企業と連携しながら変えていく仕事です。

ー大崎町はなぜリサイクル率日本一になることができたのでしょうか?

大崎町には焼却処理施設がないんですよ。一般的にごみを処分するには、ごみを燃やして埋立処分場に埋めます。でも大崎町には埋立処分場のみなので、いかにごみを減らすかという点でリサイクルをおこなっています。

例えば、生ごみ・草木を堆肥処理にして、その堆肥で農地に還元して食物を育てることに取り組んでいます。さらに大崎町には、こういったリサイクルの仕組みをインドネシアに展開する実績があります。役場の職員が、自分たちの自治体以外の国や地域に対して一生懸命伝えていることに驚きましたね。

自然を身近に感じた太平洋諸島での生活

ーここからは、藤田さんの幼少期から現在に至るまでをお伺いしていきます。幼少期はどのような生活をされていましたか?

長野県安曇野市で生まれ、すぐに父の仕事の関係でツバルという太平洋諸島の国に家族で渡りました。父は南太平洋の島国に漁業の技術協力をしており、そのうちの一つの国がツバルだったんです。

ー幼少期からとてもユニークな経験をされていますね。

そうですね。ツバルは人口が約1万人、国土面積は約25平方キロメートルのネックレスのような形の国で、エリアによっては横幅が2, 3メートルの場所もあるんです。

ーツバルではどういった暮らしをされていたのですか?

私はまだ赤ちゃんだったのでほとんど覚えていませんが、写真を振り返ると、ツバルのみなさんに育ててもらったようですね。2年間ツバルで過ごした後はキリバスに2年滞在し、最後はフィジーに4年ほど暮らしていました。

ー約8年間も太平洋の島国で過ごされたのですね。印象的な思い出はありますか?

はい。日が昇るとともに起床して、日が沈むとともに寝る生活でしたね。みんなで海で泳いだりカヌーに乗ったりと自然と戯れていました。あとは、ココナッツからとれる蜜を飲んだり、お祝いごとには豚の丸焼きを食べたり。食事が独特だったのを覚えています。

ー日本に帰国されてからは、どのような学生生活を過ごしていましたか?

中学生のときに帰国して、進学した高校は卒業研究をおこなう教育方針でした。そのときにツバルの環境問題を調べようと父の伝手を頼り、ツバルの人たちに現地調査をおこないました。

ー具体的にどのようなことを調査したのでしょうか?

ツバルの中学・高校生を対象に、環境問題に対する意識調査がテーマでした。日本では社会の教科書で「ツバルは海面上昇によって、今後なくなるかもしれない国」と記載されていますが、そのようにいわれている国の人たちは実際どう思っているのかが疑問だったんです。そこで、ツバルの人たちにアンケート調査とヒアリング調査をおこないました。

結果としては、「ツバルのような小国にできることは限られているので助けてほしい」「環境を意識してほしい」「(ツバル国民の多くはキリスト教徒なので)ツバルが沈みそうになったとしても、ノアの方舟がきて神様がみんなを助けてくれる」といった回答がありました。特に、宗教性で支えられている点が印象的でしたね。

ーたしかに日本にはあまりない観点ですよね。環境問題に焦点をあてたのは、元々関心があったからですか?

そうですね。最初に関心を持ったきっかけは、フィジーに住んでいたときに学年全体で調査をおこなう授業があり、当時のテーマが「環境汚染」だったんです。私は日本とフィジーの水質汚染の違いを調べて発表しました。小学校高学年のときでしたが、その頃から興味があったのだと思います。

ー現地の学校では、授業で調査発表をおこなう授業があるのですね。

はい。授業というよりは文化祭みたいな感覚でしたね。それぞれ個人のブースを持ち、そこで何をしてもよかったんです。私は日本の上下水道処理の状況やごみの焼却事情を調べてまとめました。私のターニングポイントの多くが、研究発表の場だったのかもしれません。

ー再びツバルを訪れ、環境問題を研究する経験を通じて、現在につながっている考えや価値観はありますか?

ありますね。現在の興味関心もまさに「海外」や「環境問題」なので、かなり影響を受けています。最終的には、思い入れのある太平洋諸島の人たちに貢献したいという気持ちがあって。その人たちのために私は今何をすればいいのか、現地の人たちが直面している環境問題に対してどうすればいいのかを今も考えていますね。

ー高校卒業後の進路選択はどのように決めたのですか?

当時は自分の興味分野を理解していませんでしたが、これまで英語を使った国際的な環境にいたことから、大学は国際関係の学部に進学しました。大学生活を通じて、外国人と日本人の間に立ってコミュニケーションをとったり、おもてなしをしたりすることが好きだと感じたので、大学院時代は外交官を目指していました。

ー外交官を目指すうえで、なにかきっかけになるターニングポイントがあったのでしょうか?

大学院生のときに、シンガポール国立大学から学生を受け入れ、日本に一週間ほど滞在してもらうプログラムの事務局に関わっていました。彼らを日本のどの場所に連れて行き、どういうテーマで何を体験してもらうのかを考えたら、とても喜んでくれたんですよね。そこから、さらに日本について伝えたい気持ちが湧き上がりました。伝えることで日本と良好な関係を築く国が増えるといいなと思ったのがきっかけですね。

ー素敵ですね。シンガポールからの学生たちと過ごした中で、印象に残っていることはありますか?

シンガポール国立大学は西洋やムスリムなどさまざまな国から留学生が訪れているので、なかでも一番大変だったのが食事です。宗教上や信条の理由からお肉や動物性食材が食べられない方もいます。そのため事前に旅館に理解してもらったうえで、おもてなしをすることができました。みなさんに喜んでもらえたことが印象に残っていますね。それに温泉でも、なかなか人前で服を脱ぐことに慣れていないため、彼らにとっては異文化体験だったようです。特に男性はシャイな方々が多くて、温泉に入れなかった方もいらっしゃいました。そういう文化の違いはおもしろかったですね。

主体性をもって課題に取り組める地域の魅力

ー24歳のときに、日本の地域と関わる仕事を目指されたそうですね。これまでは海外のイメージが強かったのですが、どういったきっかけで地域に興味を持ち始めたのですか?

大学院のときに、学生を地域に派遣するプログラムに参加しました。各地域の方達と、その地域の課題を一緒に話し合い、解決策を提案するという内容に興味があって。私は青森に派遣されたのですが、担当の県庁職員の方がたくさんの人をつないでくれて、青森のいろんな場所を案内してくださったんです。そこで地域の方と話せば話すほど、課題は深刻だと感じました。例えば青森だと人口減少や、雪深い冬の観光や交通問題などが挙げられます。でもそれ以上に、地域のみなさんが自分のプロジェクトを持って自走していることに惹かれましたね。そこから、私も地域でプロジェクトをやって活躍してみたいと思うようになりました。

ーなぜ主体性を持っている方が多いのでしょうか?

おそらく、東京よりも課題が山積しているのに、その課題に手をつける人の数が少ないからでしょうね。やることがたくさんあって、どれを取り組むにしても最後はプロジェクトベースで形にできる環境だと感じました。

ー当時、具体的にやりたいことはありましたか?

青森から秋田にまたがる十和田八幡平国立公園があるのですが、その国立公園に関わる人を増やしたいと思っていました。例えば、現在もガイドさんはいらっしゃいますが、生業として生活できるようにしたかったですね。国立公園をお金がまわる場所にしていきたい想いがありました。

ー国立公園に着目した理由はあったのでしょうか?

自然が豊かだったからだと思います。青森は四季を通じて綺麗な場所です。それに、十和田湖から水が流れてくる奥入瀬渓流もいいですね。

そこでガイドをしてくれた方が、水と石と苔と木はお互いが共生しているんだと教えてくれました。奥入瀬渓流の木は、石や岩の上に根を張っていることが特徴です。それができるのは、石や岩に苔が繁殖していて、その苔がしっかりと養分を木に送っているからなんだそうです。自然の共生関係に心を奪われたので、私にとって国立公園は特別な場所なんです。

ーいいですね。私も青森に行きたくなりました。大学院卒業後はどのような会社に就職されたのですか?

インターンを経て、鎌倉のIT会社に就職しました。地域事業に力を入れている会社で、地域に移住したい人と移住してほしい地域をマッチングする「移住マッチングサービス」のお手伝いや、地域通貨の導入担当としてイベントの企画もおこないました。

ー興味があった地域に関わるお仕事に就かれたのですね!

そうなんです。鎌倉での仕事を通じて、さらに地域に興味を持ちました。移住マッチングサービスは、地域側から仕事やプロジェクトを提示していただくのですが、どれも興味深いものばかりなんですよ。女性が海の街で事業を頑張っていたり、地域おこし協力隊で空き家を改修するプロジェクトをやっていたりと、地域はオーナーシップを持って主体的にやれる場所だと改めて感じましたね。地域通貨の導入担当の仕事でも、活気があっておもしろい方々が地域には多く、横のつながりでいろんな方を紹介してくれました。多様な暮らしや人生の歩み方を、二つの事業を担当して感じましたね。

ーそして現在は鹿児島の大崎町でお仕事をされていますが、転職するきっかけはなんだったのでしょうか?

株式会社グリーンズさんの求人媒体に掲載されていたのがきっかけです。「大崎町で世界の未来をつくる仕事を一緒にしませんか」という求人が、鎌倉時代の自分の界隈でも話題になっていて。私も拝見しておもしろそうだと思い、転職を決意しました。

ー現在関わっているお仕事の魅力はなんでしょうか?

まずは、やっと地域に来れたという喜びですね。大崎町は人口が1万3000人ほどの小さな町で、ついに地域に自分のフィールドが持てた嬉しさがありますね。それに、これまでの人生でずっと環境問題に関わりたかったので、やりたいことに携われている実感があります。

ー地域と環境問題、両方に関わる夢が叶ったのですね。藤田さんが地域のごみ問題に取り組まれているなかで、都市よりも地域のほうが、ごみの課題に取り組みやすいと感じますか?

都市か地域かよりも、焼却処理施設があるかどうかがポイントだと思っています。大崎町の場合、焼却処理施設を新しく建設するのではなく、リサイクルすることでごみを減らしていくことから始まりました。一方で、世界と比べても日本は焼却処理施設が多い国です。既に施設があることによって、使用期間が終わるまでは稼働させなければいけません。そのため、ごみ問題の解決がうまく進んでいない印象があります。ただ、焼却処理施設の使用期間というのが大体30年で期限を迎えます。実際にその期限を迎える施設が少しずつ増えているんですね。そこで、これまでと同じ規模の新しい焼却処理施設をつくるのではなく、サーキュラー型の社会、人口減少型の社会に対応して、もう少し小規模のものをつくることを提案しながらリサイクルの大事さも伝えていきたいですね。

大崎町から環境負荷の低い仕組みを開発して広げたい

ーサーキュラーヴィレッジの構築をするうえで、自分たちの未来は自分たちで選んでつくろうと普段から意識されているのでしょうか?

最近ようやく意識するようになりましたね。これまでは、外交レベルでの環境問題に興味があったんです。そのため、環境問題は自分とは少し遠いイメージでした。でも大崎町に移住して、自分でもできることがたくさんあるんだと気づいて。実際に大崎町民は、自分たちでリサイクル率を8割以上達成しています。20年以上かけて取り組んだことが形になり、それを世界が注目しているのはすごいことだと思いました。自分たちが行動することで、さらに行動する人を増やしていかないといけないと感じるようになりましたね。

ー最近では、「サーキュラーエコノミー」もキーワードになってますよね。

そうですね。サーキュラーエコノミーを辿っていくと、オランダやアメリカのポートランドの事例に辿り着きます。いくつか事例を見ると、一人ひとりが行動をしているんですね。やるべきことを片っ端から取り組み、環境のためならルールを変えていく。そういったことを私もやっていきたいと思うようになりました。

ー人を巻き込んで行動するために大事だと思うことはなんでしょうか?

参加できる敷居を低くしたいという意識はありますね。みんなフラットに、誰でも参加できるようにすることで、行動につながるきっかけになると思っています。

ー最後に、藤田さんの今後の展望を教えてください。

大崎町でさらに環境負荷の低い仕組みを開発し、それをさらに国内の他地域や海外に展開していきたいですね。もし関わりたいと思っていただける方がいらっしゃれば、ぜひお声がけください。みなさんもぜひ大崎町に足を運んでいただき、同世代で盛り上げていけたらと思います。

取材:松村ひかり(Facebook
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:高橋りえ(Twitter