日本の教育を変えたい!青楓館高等学院代表 岡内大晟が考える教育の大切さとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第713回目となる今回は、青楓館高等学院代表の岡内 大晟(おかうち・たいせい)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

教育実習を経験し、経営者営業やAO入試専門塾を経て高等学院の設立を決意した岡内さん。日本の教育の在り方について考える中で、気づいたこと。そして、青楓館高等学院を設立するきっかけとは何なのか。ぜひ、最後までご覧ください。

まったく新しいサポート校『青楓館高等学院』の設立

ー簡単に自己紹介をお願いします。

青楓館高等学院という新設校を経営している岡内大晟と申します。当校は、キャリア教育に特化しており、高校生が企業インターンに行ったり、地方創生や学校運営を行ったりするちょっぴり変わった高等学院になります。

ー立ち上げの準備にあたり、どのような活動をしているのでしょうか。

具体的には、今0期生として高校生を集め、学校運営を手伝ってもらっています。インスタチームやメディアチーム、映像班、イベント班などのチームがあるのですが、大人を巻き込んでの企画運営です。「どうすれば学校が良くなるかな」と高校生みずからプロジェクトを実行してもらっています。

教育実習での違和感、経営者営業の日々

<キャプション:教育実習最終日の体育祭の様子>

ー青楓館高等学院をつくろうと思い始めたのは、大学時代の教育実習がきっかけと伺いました。

公立の高校で教育実習をしたかった私は、母校ではなく偏差値40前後の別の公立高校に行

きました。教育実習に行った学校では、大学に進学せず就職するか専門学校など、社会に出る直前の生徒ばかりでした。

しかし当時の私は社会のことを全然知りません。そのときに、「社会に出る直前の高校生に、社会を知らない僕が何を教えられるんだろう」と違和感を抱いたのです。

「このまま先生になったら、高校生に何の価値も提供できない」と思い、教員になるのではなく、就職を決意しました。

就職先で僕が選んだのは経営者営業をする会社です。当時は大学院に行くか先生になるか、または自分で起業するかの三択で進路を考えていました。そんなときにたまたま友達から「大晟にぴったりの会社ある」と言われ、1社だけ受けたのが1社目の会社です。

ー1社目に入社してからはどのような日々を送られていたのでしょうか。

東京のPR会社に入社し、経営者営業を行っていました。

アルバイトで法人営業を経験していたので営業には自信がありました。しかし、実際は同期の中でも下でした。行動数は会社でダントツだったのですが、全然結果が出ず、空回りしていたのです。

当時は「気合!根性!」そんなタイプだったので、相手のことを考えられていませんでした。そこで。相手のために何ができるか考えるよう意識をしました。その結果、2年目で売上250%達成し、主任になりました。

AO入試専門塾での経験から高等学院設立を目指す

ー2社目に転職したのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

経営者営業を3年間経験し、約400人の経営者に会いました。経営者は自分のポリシーを持つ人ばかりです。「右むけ右」と言われたら「いや。俺は左やと思うな。」「私は上だと思うね。」といった意見を言います。

そのような意見を持つ方々だからこそ経済を回して社会を作り、日本を盛り上げているのだと感じました。

一方で、日本の教育は真逆なことに気づきます。「右向け右」に対して、もし左を向こうとすれば「お前やばいね」「ろくな大人にならないよ」と、レッテルを貼られてしまうのが日本教育の現状です。

一方、経営者にならなかったとしても、就職活動や転職活動のタイミングで必ず「あなたは何ができますか?」と、個性を求められる場面はあります。社会で求められる人物像と、学校教育が輩出する人物像に乖離が起きていると思ったのです。

これが大量生産の時代で、日本企業が軒並み世界のトップクラスの時代ならよかったのかもしれませんが、現在は異なります。目まぐるしく変化する現代において「正解」はありません。むしろ「正解」は自分で作っていく時代です。

これからの時代は「右むけ右」で左を向いたとしても「いいね!その感覚!」「それこそキミの強みだよ!」と、個性を尊重し可能性を伸ばす『個性教育』が求められるのではないかと思いました。

個性を尊重できる教育が何かと考えたときに、思いついたのがAO入試です。そのことに気づき、AO入試の専門塾に転職しました。

ー2社目の転職から現在に至るまでどのようなできごとがあったのでしょうか。

AO入試は志望理由書・小論文・面接の3つで試験を勝ち抜いていく入試です。つまり、個性を武器にして大学合格のハードルを乗り越えていきます。校舎長として約50名の生徒を受け持ち、初年度から、合格率100%の校舎を達成しました。

一方で、達成と同時に塾の限界値も感じ始めます。なぜなら、塾で高校生一人一人と接する時間は週2、3時間と短いものだったからです。学生の人生のほとんどは、学校で過ごす時間です。

学校での時間をガラッと変えないと真の意味で人生に可能性を見出すことは難しいなと感じ始めます。「塾では無理だ。学校をつくらないといけない。」と思い、高等学院の設立に至りました。