フソウリブテック人財開発室 小笠原広大が考える、香川で叶えたい夢とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第767回目となる今回は、 小笠原 広大(おがさわら・こうた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

香川県に本社をおく、株式会社フソウリブテックで人事として働く小笠原さん。学生時代のエピソードや、現在までのキャリア、今後挑戦したいことなどについてお話していただきました。

先生を目指し、大学では西洋史を専攻

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

小笠原 広大(おがさわら こうた)と申します。2018年、大手人材派遣会社に入社後、初期配属で香川県に引っ越しました。3年間香川県内で法人営業を行い、「香川にもっと若者が集まるためには人事が変わるしかない」と感じて、2021年2月、株式会社フソウリブテックに入社しました。

株式会社フソウリブテックは総合建設会社で、家を建てることのほか、元請の工事や下請け部門、建材取り扱いなどにも携わっている企業です。建設を通して、人の生き方も提案できる企業を目指しています。

ーまずは学生時代のエピソードから教えてください。

大学受験が1番印象に残っていますね。高校3年の春に、親から「指定校で私立大学に行ってもええんやで?」と言われ、学校からも担任からも期待されていた国公立大学進学を自ら辞めて、私立大学に入学することにしました。このとき初めて、人の期待を裏切り、自分の意思で行動することを学びました。

入学した関西学院大学では、先生を目指して、好きだった世界史を学んでいました。当時は先生と、営業しか職業を知らなくて、視野が狭かったですね。大学3回生までは先生を目指してました。

ー​​その後、先生にはならないと決めたんですね。

実際に先生たちの声を聞いて、ならなくてもいいかと思うようになったんです。

3回生になって周りがインターンに行き始めたときは、先生にならない選択肢を考えていませんでした。秋頃に、高校の元担任から40人くらいの先生を紹介してもらい、実際の現場で働く人の声を聞きに行きました。そのうち、子供のためにやっていると言っていたのは2人くらいで、現実に打ち砕かれましたね。先生は僕のしたい仕事じゃないと気付いたこのタイミングで、初めて就活に目を向け始めたんです。

ひたすら自己分析を続けて、起業にも興味があったので、まずはいろいろな人と出会える人事、あとは、ずっと学んできた教育分野に通じることが多い人材業界を志望するようになりました。

新卒入社後、香川配属に。当時は納得がいかなかった

ーその後、新卒で人材系の会社に入社したそうですね。当時のエピソードを教えてください。

実は、入ってすぐにやめようと思ったんです(笑)。

入社前の面談では東京、愛知、大阪など、大都市の配属になると思うと聞かされていましたが、実際の配属は、社員が5人しかいない香川配属で。「思っているのと違う、こんなところでキャリア形成できない、やめます」と4月中に口にしていました。

このとき上司に、「場所のせいにするならやめろ。やりたいことがあるなら逆算して、いまできることを努力しろ」と言われて、ハッと目が覚めたんです。

香川で努力を続けることに決めて、営業として3年間、いろいろなことを教えてもらいました。

ーその後は転職されたのでしょうか?

入社から3年経ってキャリアを見つめ直すうちに、人に影響を与える仕事がしたいと思うようになりました。土地としては、初めて配属された香川がいいと思っていて。

起業もよいと思ったのですが、地方の人事のリアルを知らないと思いました。前の会社も本社は東京だったので、実際に自分も香川の人事の気持ちを考えられるようになりたいと思い、香川県に本社をおく株式会社フソウリブテックに入社しました。

現在は人財開発室で、自社の採用、研修に携わっています。あとは、社内ベンチャーとして「香川県の人事支援事業」を立ち上げて、責任者として、企業へのコンサルティングを行なっています。

ー香川県の人事支援も行なっているんですね。

香川は、若者が流出して戻ってこない県と言われます。僕は今後、香川のUIターン数を全国で1番にしたいです。

住むまでは旅行でしか来たことがありませんでしたが、住んでみて香川が好きになりました。県外に出た香川出身の若者は、「香川にどんな企業があるか分からない」という気持ちから戻ってこないこともあると思うので、変えていきたいですね。