ポジティブに努力すればワクワクする未来が訪れる TABIPPO元学生支部代表 日賀野舜

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第909回目となる今回は、TABIPPOで学生支部の代表を2年間勤めた新社会人の日賀野 舜(ひがの・しゅん)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在はマーケティング系の会社で働いている日賀野さん。自分の興味をひたむきに追求する行動力を持ち、どのような逆境でもポジティブ思考を貫く彼の原動力やこれまでの経緯について聞いてきました。

伝統ある書道家一家で育つ。野球や旅、教育に興味津々

ー自己紹介をお願いします。

日賀野舜です。よろしくお願いします。2000年生まれの22歳です。2023年の春に大学を卒業し、4月からはマーケティングの会社で勤務します。

学生時代は、インターンとして全国の旅好き学生300人が集まるコミュニティ『TABIPPO学生支部』の代表をしていました。

これまで海外12ヵ国と44都道府県を訪れました。大学時代の4年間は海外によく渡航していたので、当時のこともお話しできたらなと思っています。よろしくお願いします。

ーTABIPPOでの役割を教えてください。

300人ほどが加入している学生支部の代表をしていました。活動内容はチームのマネジメントやイベントの企画運営などです。

ーTABIPPOとの出会いを教えてください。

TABIPPOのコンテスト(世界一周コンテスト DREAM)を知って、出場したのがきっかけです。その後はインターンとして活動に参加し、1年間SNSの運用をして2021年度から学生支部の代表になりました。

ーご家庭のことと幼少期のことを教えてください。

私の家庭は曾祖父の代から続く書道一家で、曾祖父の代で書道会を設立しました。もちろん祖父も父も書道家です。対して私は書道よりも野球に興味があり、小学3年生から練習に没頭しました。

思い返せば、当時から外に出てアクティブなことをするのが好きだったのだと思います。

家族も私のやりたいことを自由にやらせてくれたので、のびのびと楽しく生活できました。また「やると決めたら最後までやりなさい」とも言われていたので、ものごとを継続する大切さを学ぶことができました。

ー最初に海外へ渡航したのはいつですか?

4歳ごろです。叔母の海外渡航について行くかたちでした。この旅行をきっかけに海外に行くのも好きになりました

ー小学5、6年時のことを教えてください。

担任の先生に「舜は人に教えるのが得意だから、将来は学校の先生が向いてるんじゃない?」と言われました。

当時はプロ野球選手になることのみを考えていたので、将来の選択肢が増えてワクワクしたのを覚えています。

担任からの言葉をきっかけに、ただ授業を受けるだけでなく「自分だったらこのように教える」「このような授業ができたら面白いな」と考えるようになりました。

小学生ながら教育の面白さや奥深さに気づいた瞬間でした

志望校に不合格。イップス発症に人間関係のトラブルも…

―15、16歳で起きたことについて教えてください。

野球を楽しむため、どうしても入りたかった高校の入学試験に落ちてしまいました。その学校は父や祖父も通っていたので、家族からも受験するように勧められていたのです。

ところが私のもとには不合格通知が届き、途方にくれてしまいました。それでも私は野球がしたかったので、野球の強い私立高校に入学することに。

高校の野球部ではレベルの高い部員が多く、入部当時はその実力に圧倒されました。しかしあるとき練習試合に出させてもらえることになり、その試合でチームの勝利に貢献。結果、春の大きな大会でベンチ入りできました。

ー無事にベンチ入りされましたが、ここでも新たな困難に直面されたとお伺いしました。どのようなことがあったのか教えてください。

春の大会では県大会で優勝でき、関東大会にも出場。しかしプレッシャーと環境の変化によってイップスを発症してしまったのです

さらにチームメイトやチームの首脳陣との意見の食い違いがあり、気を病んでしまいました。当時は学校へ行きたくなくなり、集中して野球の練習ができなくなりました。練習を休む日も多かったのを覚えています。

ー受験に落ちたことをどのようにとらえていますか?

当時はもちろん悔しかったですが、自分のしたいことのためにトライができてよかったなと今は思えます。また「当時の受験勉強以上の努力をしなければ、なにごともよい結果は生まれない」という基準を設定できたことは大きいと考えています。

志望校不合格の経験からは、結果にいたるまでの過程が重要であることやポジティブに考える大切さが学べました

ーイップスをどのように克服したのですか?

チームメイトと守備やキャッチボールなどの基礎練習を2ヵ月ほどおこない、技術を向上させることで克服しました。

ーどのように人間関係を改善したのですか?

意見が合わなかったチームメイトや首脳陣と腹を割って話しました。自分の気持ちをしっかりと伝え、相手の考えも聞きつつ互いの共通点を見つけたり、妥協点を見出したりしました。その結果、人間関係が少しずつ改善していったのです。

野球部での挫折によって「逆境の中でどう行動すればよいか」を学べました。また当時の挫折があったからこそ、成長した現在の自分があるのだと考えています

セブ島のプログラム参加により海外への興味が膨れ上がる

ーセブ島の教育実習プログラムに参加した過程について教えてください。

大学に入学してすぐ「セブ島で2週間教育実習をするプログラム(Global Teacher Program)」のチラシを見かけたのです。大学でプログラムについての講義がおこなわれ、興味津々になった私は、その場で参加表明をしました。

教員免許をとるため大学に入学したのですが、それとは別に様々な経験をしたかったので参加を即決しました。

ー大学では野球を続けたのですか?

野球よりも海外への憧れが強くなったので、大学では野球を続けませんでした。しかし野球以外の分野でも高い成果を得て、ともに野球をしていた仲間に誇れるような人間になっていたいと思っていました。

ープログラムの内容について教えてください。

「セブ島の小学校で授業をする」というものです。生徒たちには日本語はおろか、英語もなかなか通じないので授業内容を考えるのがとても大変だったのを覚えています。準備では語学学校の先生と一緒に授業内容を考えたり、掲示物を作成したりしました。

現地では日本人25人ほどとともにプログラムをこなしました。「海外で様々な経験をしたい」や「よい授業を作り上げたい」など、同じ志を持つ仲間ができたのでとても有意義だったと思っています。

ーセブ島での活動の中で感じたことを教えてください。

貧富の差や文化の違いを知ることで日本の素晴らしさを改めて理解でき、海外への興味が一層大きくなりました。

ーセブ島でのプログラム終了後のことを教えてください。

セブ島からシンガポールやオーストラリア、タイと旅をして帰国しました。SMAPのCMで見ていたシンガポールのマリーナベイサンズやオーストラリアのオペラハウスを間近に見られるので、ワクワクしたのを覚えています。