独立を目指して走り続ける!PR会社のママ人事広報 前田祥恵のキャリア選択とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第752回目となる今回は、前田 祥恵(まえだ・さちえ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

PR会社の株式会社ネタもとで、人事兼広報として活躍する前田さん。学生時代のエピソードや、就職後のキャリア形成、ワーママとしての働き方などについてお話していただきました。

厳しい家庭で、抑圧された学生時代を送る

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

前田 祥恵(まえだ さちえ)と申します。企業の広報の自走化をお手伝いしている株式会社ネタもとで、人事と広報をしています。

1歳5ヶ月の子供を育てていて、今年4月に育休復帰したばかりです。

ーまずは、学生時代のエピソードから聞かせてください。

わたしは富山県生まれで、教師や公務員が多い、わりとお堅い家に生まれました。

小学校、中学校時代は本当につまらなかったですね。というのも、学校が終わってからは毎日毎日習い事で、今よりも忙しい生活を送っていたからです。ピアノ、そろばん、習字、バレーボール、陸上、公文などを習っていて、中にはあまり好きでない習い事もあったものの、やめられずに続けていました。

親は成績にも厳しくて、宿題は泣きながら完璧なものを完成させるような環境でした。当時は成績でしか自分の価値を測れなかったですね。いい成績を取ったら褒められるものの、「いい成績を取らなくては」というプレッシャーが苦しかったです。

高校も勉学に励む人の多いところに進学したので、自然に勉強漬けの日々でした。

ー​​厳しい環境だったんですね。

高校までは一切反抗期がなく、いい子に育ってきました。その反動で、大学受験のときに大爆発しました(笑)

親族には教師が多かったため、親からは「大学の学部は教育学部にして」「地元の大学に進んで」と言われていました。国公立の出願は親の言うことを聞いたのですが、受験前になって不満が一気に爆発しました。

国公立の受験を蹴って、教育学部ではない、京都の私立大学にしか行けない状況を作ったんです。もちろん親とはこれまでにない大喧嘩になり、家出のような形になって、大学へ進みました。

ー抑圧された反動が大きかったんですね。

当時のわたしは家庭内でも、学校でも、いわゆるいい子のイメージがあって、あまり人に相談をできる性格ではなかったんです。悩みに悩んで、自分を不健康に見せたらいいのではと絶食して、体重が一気に減ったこともありましたね。

でも、親に思いを伝えていかないとと思って、初めて行動に移したのがこのときでした。

大学で新しい価値観に触れ、自分自身の考え方も変わった

ー大学進学後はどんな生活でしたか?

進学した私立大学は栄養、建築、衣服などを多角的に学べる学科で、触れるものがすべて新鮮でワクワクしましたね。親にはわたしのわがままを聞いてくれて感謝しています。大学進学後は、1人暮らしやアルバイトなど、はじめての経験ばかりでした。

大学時代は時間の許す限り、様々なアルバイトに挑戦しました。ホテル、飲食店、家庭教師から、議員さんの選挙活動まで、さまざまでしたが、1番価値観が変わったのは京都の祇園で、高級ランジェリーショップで働いたことですね。一流と呼ばれる経営者の方や、夜の仕事をしている方、芸妓さんなどが来店されて、普通の大学時代を送っていては出会えない方々を接客しました。幅広いお客様と出会って、こんなにさまざまな生き方があるのかと価値観が変わりましたね。「自分自身に価値をつけて、どこでも活躍できるようになりたい」と思い始めました

大学進学でがらっと環境が変わったことで、新しい世界に飛び込む度胸が身についたと思います。もともとは慎重派で、やる前に考えるタイプではあるのですが、まず飛び込んでみれば、意外となるようになるなと気付きました。

ーその後の就職活動も、京都でされたのでしょうか?

いったんは京都で就職活動しました。しかし、友達が会社を経営すると聞き、広報のお手伝いをしていたのがきっかけで、広報・PRに興味を持つようになりました。広報・PRの仕事をするなら東京がいいのではと気がつきました。

そこで再度東京で就職活動をし、今働いている株式会社ネタもと(当時:株式会社リアライズ)に飛び込みました。入社後は2年ほど新規営業をしていましたが、就活時の憧れであった広報・PRの仕事につきたいと思うようになり、他の会社の広報に興味を持ち始めました。そこで、ネタもとの社長に背中を押してもらい、知人の立ち上げたスタートアップの広報職に転職を決めました。

ここでようやく憧れの広報・PRの仕事につけたものの、経営不振による倒産の危機に陥り、4ヶ月で退職することになりました。

1人で広報・PRの仕事をするか、また転職かと悩んでいたところ、ネタもとの社長が「うちに戻ってきて、広報コンサル部門で働いてみないか」と声をかけてくれました。気心の知れた元の会社に入る方が効率的だと感じ、ネタもとに戻ることを決めました。

ー社長さんが声をかけてくださったんですね。そもそも、なぜ広報・PRに興味を持たれたのでしょうか?

大学時代の高級ランジェリーショップでのアルバイトや友人の会社のお手伝いから、新商品の情報を出したり、いいものを伝えて世に広めたりする活動をした経験があり、楽しかったからです。

ネタもとの広報コンサル部門を経て、今は弊社の広報として働いています。会社が好きだからこそ、多くの人に良さを広めていきたいですね。