有名お笑い事務所への所属を経て、フリーで活動中
ーその後、養成所をやめてしまったんですね。どうしてでしょうか?
ワタナベコメディスクールでは、卒業ライブでワタナベエンターテインメントに所属できるかの審査があります。100分の1組しか事務所に入れない、厳しい審査でした。ぼくはいけると思ったのですが入れず……また違う事務所を探そうと思いました。
いきなり養成所から世間に出るため、周りはやめてしまう同期も多かったです。ぼくも相方とは解散しました。
その後は、ライブをよく見にきてくれた、地元の幼馴染とコンビを組むことになりました。でも、やはりお笑いの厳しさを知ったのか、1ヶ月で解散になりました。
その後はピン芸人になり、ソニー・ミュージックアーティスツに所属することになりました。
養成所はみんな同い年でしたが、事務所は年代もそれぞれでした。何年もやっている方の背中を見て、かっこいいと思いましたね。
先輩に誘われた飲み会やバーベキューに行っても、みんながボケてツッコミをして、とお笑いばかりでしたね。ぼくがスベっても、先輩が笑いに変えてくれるような、すごく優しい方に恵まれました。
ーソニー・ミュージックアーティスツ、有名な方も所属されている事務所ですよね!
バイきんぐさん、ハリウッドザコシショウさんなど、ベテランの方が所属している事務所で、当時23歳のぼくは1番下でした。勉強のためにも、若い芸人の多い事務所に行ってはどうかと先輩方に勧められました。そのときはちょうどコロナ禍で、あまりステージに立てないこともあり、事務所をやめようと決意しました。
自粛期間中は、Tiktokで動画を出し始めました。社会人経験を生かして、駅員のモノマネをやってみたら、たくさんの人に見てもらえたんです。世間の人が求めているものを出すことの大切さを痛感しました。
ー再度所属先を探そうとはしなかったのでしょうか?
ラランドさんなど、フリーでも活躍する芸人さんが増えていて、周りもフリーでやっている人が多かったので、このままやっていこうと思えました。
ただ、フリーになって困ったことは、事務所が開いてくれるライブがないことです。あとは、事務所に所属していたら、テレビ局からオーディションのお誘いがくるが、個人ではこないので、自分から探しにいくことも大変ですね。大変なことは多いですが、早くステージに立って、お客さんを笑わせられるよう頑張っていきたいです。
夢は、内村光良さんと同じ舞台に立つこと
ーたくあんボーイさんには、憧れの方がいらっしゃるそうですね。
お笑い芸人を目指すきっかけになったのは、内村光良さんのコント番組ですね。ぼく好みのお笑いで、ずっと憧れています。いつか共演したいです。
ぼく自身コントが好きで、小さい頃に見た職業図鑑で、全部の職業をやってみたかったんです。コントではなんにでもなりきれることが魅力ですね。今後はコントを強みにできる芸人を目指したいです。
ーほかにお笑いで叶えたいことはありますか?
JR東海を辞めるとき、仲の良かった同期に「お前のことなんて誰も見てない、だからこそ毎日クラクションを鳴らし続けて気づいてもらえ」と言われました。
電車なら汽笛だろとは思いますが(笑)、この言葉を胸に、動画発信などを続けていきたいです。
ー最後に、今後は何をやっていきたいですか?
社会人経験を生かした「駅員あるある」を広げたいです。今後は日常コントを見せていきたいですね。コントの大会にも出て、賞レースで勝ち上がっていきたいです。
あとは内村さんのコント番組に出たいですね!バトンをもらって、番組を続けるくらいのポジションになれるよう頑張ります!
ーありがとうございました!たくあんボーイさんの今後のご活躍を応援しております!