得意なところで成果をあげる!CEO赤川嘉基が考える強みの伸ばし方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第725回目となる今回は、株式会社actor代表・赤川 嘉基(あかがわ・よしき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大手外食産業や外資金融会社での経験を経て、現在は脳医科学を多くの人に知ってもらうため、CEOとして活躍する赤川嘉基さん。脳医科学に注目したきっかけや独立した経緯について伺いました。

野球のプレイヤーから裏方の運営へ

ーまず初めに、簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?

株式会社actorで代表取締役をやっている赤川と申します。新卒で外食産業1位の会社に入社して、マーケティングや人事などを経験しました。

その後外資企業にキャリアチェンジし、去年の10月に独立しました。日々支えられながら、脳医科学を伝えたり、マーケティングをしたりしています。

ー小さい頃はどのような子供だったのでしょうか。

特に人見知りもせずいろいろな方と話したり、遊んだりしていました。父親の影響もあり、野球がある環境で育ち、小学校から大学まで野球部に属していました。

ー野球を続けていた中で、20歳頃にプレイヤーをやめた経緯を伺ってもよろしいでしょうか。

肘を手術しなければならない怪我をしたことが一つの転機になりました。今後やっていく上で、大学2年生や大学3年生で試合に出ていないと、その先がなかったのです。

続けた方がいいのかこれからの道も踏まえて裏方に回った方がいいのか考え、プレイヤーではなく、あえて裏方を選択しました。裏方として大会の運営だったり、全日本大学野球の運営を東京ドームや明治神宮野球場でやったりしました。

ー10年以上続けてきた野球をやめる上で、葛藤はありましたか。

葛藤だらけでしたが、やめていなければ独立の選択はなかったと思います。プレイヤーは野球のことだけを考えていればよかったのですが、裏では裏の大変さもありますし、プレイヤーをどれだけ支えられているかも考えます。

脳医科学との出会い

ー1社目はどのような会社に勤められたのですか。

当時外食産業で世界6位のホールディングスの本部に入社して、店舗のマネジメントやマーケティング、人事・採用系などを経験しました。

大学3年生のときに、たまたま野球の大会のスタンドに社長さんが人事部の人と一緒に見に来ていて、球場で声がかかり就職が決まったのです。売り上げを上げるために戦略立てをして、マーケティングをおこなう方法を学びました。

ーその後どのような経緯で転職をされたのでしょうか。

担当したブロックの前年比が高かったのですが、自分がいくら結果を出しても、他のブロックが結果を出していないと平均化されてしまうのです。「自分の頑張りがどれだけ成果として出るのか」を考えて、新しいところに転職しました。

ー今までとは異なる外資金融に転職されてみていかがでしたか。

大手外食産業にいたときは会社が守ってくれる部分がありましたが、外資金融では誰も守ってくれないので、「どれだけ自分自身を守れるのか」を経験しました。

ー2社目に入社後、全国トップの営業マンになったと伺いました。

転職1ヶ月目に、脳医科学の分野のプログラムに出会いました。人それぞれタイプがあり、どのような脳タイプなのかわかるツールです。ツールを取り入れたことで自分の強みを知り、強みを伸ばしたのです。

例えば自分と逆の人間には資料を1から全部作り、自分と似ているタイプの人間には、資料を一切見せないで感覚で話して営業しました。

マーケティングも学んでいたので、日本全国に営業マンがいる中でどの市場が一番勝てるのかを調べ、あえてそこを狙うやり方をしていました。

ー脳医科学やマーケティングを取り入れている方が身近にいらっしゃったのでしょうか。

身近にはいませんでした。脳医科学のプログラムが面白いなと思い自分で1回受けてみたのがきっかけです。「自分はこうした方がいい」といった部分が徐々に見え、僕自身独自のやり方を考えて試していました。

全国新人賞全国1位の成績を得たことから、次は企業に立案したり、トップアスリートに使ったりした方がいいのではと思ったのです。