挫折を糧に強くなる。プロビーチサッカー選手・坪谷亮太の成長するための向き合い方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第792回目となる今回は、プロビーチサッカー選手・坪谷 亮太(つぼや・りょうた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学まで続けたサッカーではなく、プロビーチサッカー選手としてビーチサッカー日本代表になると決意した坪谷さん。挫折や苦しい経験を糧に成長してきた自分自身との向き合い方をお伺いしました。

父の影響でサッカーを始める

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

沖縄県でプロビーチサッカー選手をしている坪谷亮太と申します。本日はよろしくお願いいたします!

ーよろしくお願いいたします!坪谷さんは、お父様の影響で幼少期にサッカーを始めたそうですね。

父がサッカーをしていた影響で、保育園の頃からボールを蹴っていました。本格的にチームに入ってサッカーを始めたのは、小学1年生のときです。

チームに入ってからも練習以外の時間に友だちを誘ってサッカーをしたり、一人でボールを蹴ったりしていました。とにかくサッカーが楽しくて。

小学6年生のときには県選抜に選ばれ、初めての海外遠征でオランダに行きました。

ー初めての海外遠征で印象に残ったことはありますか?

言葉の壁はあるものの、サッカーを通して心が通じ合うのを感じました。様々な人たちと出会うこともでき、子どもながらに良い経験だと思ったのを鮮明に覚えています。

日本のジュニア世代は砂のグラウンドで練習するチームがほとんどですが、ヨーロッパでは芝生のグラウンドで練習することが多いです。そのため、ボールの蹴りやすさやトラップのしやすさも新鮮な感覚でした。

ー高校は鳥取の高校に進学されたそうですね。

小中は地元・埼玉でプレーし、高校では全国大会を目指して鳥取の高校に進学。鳥取の高校は常に全国大会に出場しているようなチームでしたが、私が在籍した3年間は一度も全国大会に出場できませんでした。

高校1年生のときから出場していたものの、3年間とも県の決勝戦や準決勝で敗退。特に高校3年生のときの県大会決勝では延長戦で負けたことが、とても悔しかったです。

サッカー強豪校に入学し、トップレベルとの差を痛感する

ー大学はサッカーを軸に決めたのでしょうか?

そうですね。大学を決めるときはサッカーしか考えていなかったです。ある程度の学力があってサッカーが強い大学を選びました。

進学した大学は関東の1部リーグを4連覇した強豪校で、当時のチームメイトは現在もJ1のクラブで活躍している選手が多いです。

ー強豪校のサッカー部で得られたものはありますか?

日本のトップレベルの選手たちと一緒にプレーできたのは良い経験だったと思います。大学1年生のとき、トップチームのメンバーに加入。トップレベルを知ることで自分の足りない部分をあらためて感じました。

サッカー部には4年間在籍しましたが、1年生以降、トップチームに絡むことはほとんどありませんでした。自信がなくなり、サッカーではトップレベルに行けないのだと強く感じました。