IT戦国時代に新たな風を。MOVEDOOR代表・諸富稜の人生の歩み方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第746回目となる今回は、株式会社MOVEDOOR代表取締役・諸富 稜(もろとみ・りょう)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学3年生で起業し、広報・PR会社を経営する諸富さん。学生時代の苦悩や起業後の歩みを振り返りながら、人付き合いの大切さや人生での成功のコツをお聞きします。

IT戦国時代を切り拓く、令和の軍師

ーはじめに、自己紹介をお願いいたします。

株式会社MOVEDOORで代表取締役を務めています、諸富稜です。大学3年生で起業し、広報・PR会社を立ち上げました。

現在は「令和の軍師」という肩書で活動しています。複雑化したITの戦国時代において、企業・経営者のみなさんの軍師となり勝利へと導く。そのようなコンセプトで日々仕事に取り組んでいます。

ー具体的にどのようなお仕事をされているのでしょうか?

「広報PRで事業成長を実現する」をミッションに掲げ、集客・採用・ブランディングなどの課題解決を行っています。クライアントの課題に応じて、様々な施策を組み合わせ提案。ホームページの制作や動画制作、広告・SNSまで、広報PRをトータルでプロデュースできることが弊社の強みです。

ーお仕事をする上で、軸としている価値観はありますか?

会社のビジョンでもある「Wow!」という考え方を最も大切にしています。このビジョンには、「Wow!」と面白がられる会社でありたい、面白いと思える自分でありたい、という意味を込めています。これは会社のビジョンでもあり、僕自身のビジョンでもあるんです。

誰よりも面白い人生を歩みたいし、わくわくする目標を追いかけ続けたい。そんな思いから、周りが就職する中、僕は起業の道を選びました。

「普通」な自分に劣等感を抱いた学生時代

ー中学・高校時代はどんな風に過ごされていましたか?

とにかく普通の学生でした。勉強はそこそこにこなしつつ、部活もして、ぎりぎりレギュラーになれないような、ありきたりな学生生活でした。でもそれが嫌で仕方なくて。

関西学院大学の附属中学・高校に通っていたので、受験がないまま、中学・高校・大学と過ごしました。受験がない分、周りの友人たちは面白いことにどんどん挑戦していました。音楽をする子がいたり、動画を作る子がいたり、僕の同級生はユニークで面白い子が多くて。そんな友人たちが本当に大好きでした。

一方で、ユニークな子が多い分、周りと自分を比べて劣等感を持ってしまうようになりました。一歩踏み出せない、やりたいことがあるのに周りの目を気にしてしまう。そんな状況がすごく辛かったです。

ー周りが優秀だからこそ直面した経験ですね。そこからどう立ち直ったのですか?

変わりたい、乗り越えたいという思いですね。自分も友人たちのように、面白いと思える・思われるような人になりたいと。

その一心で、大学時代はボランティアや街づくり、地域活性化のプロジェクトに本気で取り組みました。自分で団体を立ち上げて、成功体験を積み重ねていくにつれて、自分に自信がもてるようになりました。

ー具体的に、大学時代にはどのような活動をされたのでしょうか?

通っていた関西学院大学は兵庫県三田市にあって、いわゆる大都市ではありませんでした。人口は減っていくし、地域の課題は増えていく。そんな場所だったので、その問題を解決できたら日本全国の先進的な事例になるのではないかと思い、地域課題の解決に取り組みはじめました。

具体的には、三田市内のお店を紹介する雑誌づくりや、農家やJAの方々に協力してもらい地域の人たちに農業体験をしてもらうプロジェクトの運営などを行ってきました。他にも、僕たちの事務所の一画で子供食堂を開いたり、学生と地域の社会人を繋ぐイベントを企画したりと、多くの人を巻き込みながら、インパクトを残せるような取り組みを現在も続けています。