農家はクリエイティブだ。AINA FARM 萩 竜太朗から見た農業の世界とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第684回目となる今回は、農園「AINA FARM」を営む萩 竜太朗(はぎ・りゅうたろう)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大阪・東京で「農業」とは無縁の仕事をしていたものの、26歳で地元三重県にUターンして農業を始めた萩さん。なぜ都会の生活をやめて農家になったのか、その決断の背景とともに萩さんの半生を紐解いていきます。

こだわりは「環境に配慮した農業」

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

萩竜太朗と申します!生まれも育ちも三重県北部の菰野(こもの)町という、御在所岳の麓にある自然豊かなところです。2020年の9月まで東京で仕事をし、その後Uターンして農業を始め、現在に至ります。

スモールファーマーという小規模な農家で、少数多品目の野菜や果樹を育てており、農法も環境に負荷がないようなものを取り入れています。他にも、規格外野菜を仕入れて加工品を作るプロジェクトもしています。

今後は、生産だけではなく、「農業」「食」「環境」に関わることを積極的にやっていきたいと考えています。

ー農業をする上でのこだわりはありますか?

環境再生型の有機農業に取り組んでおり、中でも「不耕起栽培」「草生栽培」の2つにこだわっています。

簡単に方法だけ説明すると、不耕起栽培は土を耕さないこと、草生栽培はできるだけ草を刈らないことなのですが、この2つに共通するのが「農薬を使わない」「空気中の炭素を土壌中に貯蔵できる」ことです。

環境再生型のため環境へ配慮するのはもちろんですが、「自然に生えてくる植物とも共生する農業」であることも大切にしています。

コンフォートゾーンを何度も抜けた留学生活

留学が転機になったとのことですが、留学を決めたのはいつ頃だったのでしょうか?

もともと大学を選ぶときから留学を意識していました。志望校は留学への手厚いサポートやプログラムがあるところを基準に決めていて。

結果的に当初行きたいと考えていた大学には落ちてしまいましたが、京都にある大学の国際学部に通って国際情勢や様々な国の文化を学んでいました。

ーなるほど。どのような留学生活を送っていたのか気になります!

アメリカのモンタナ州にあるモンタナ大学に約1年間(全11ヵ月、学校に通ったのは約10ヵ月)通い、国際学部に通ずるような授業を自由にとっていました。

勉強ばかりの生活ではなく、単位を落とさない程度に全力で遊んでましたね(笑)。ヨーロッパの友達が多く、毎日のようにみんなで昼食・夕食を食べて、テスト期間以外はその後にビリヤードをしたりジム行ったり。フライデーナイトはガッツリ遊んで「ザ・学生」みたいな感じで(笑)。

留学前後で変わったことはありますか?

大きく3つあります。1つ目と2つ目は似ているのですが、視野が広がったことと自分の器が大きくなったことです。

当時、僕は三重県の地元が嫌いで日本にもあまり興味を持っていない状態だったんですよね。「アメリカってイケてる」みたいに考えていて、とりあえずアメリカに行きたいなと。

そうした中で留学し、様々な国の方々と出会ったり、様々な人間関係ができたり、様々な失敗をしたり、というのを繰り返していくうちにたくさんことを学び、今まで見えていなかったことが見えてきました。

やはり自分とは異なるバックグラウンドの人と接していると、「自分が常識だと思っていたことは常識ではない」ということが多かったです。しかし、いつしかそれが普通になり「逆に面白いな」という捉え方ができるようになりました。

帰国時に周りの人から変わったねと言われたので、客観的に見ても視野が広がったり器が大きくなったりしたのを実感して。

3つ目は、トライするときにあまり躊躇しなくなったことです。もともと結構ビビりな性格で「何か挑戦するときには安全な綱がなければ渡らない」みたいなタイプでしたが、ガラッと変わりましたね。

これはそれまでの人生と比べて留学中は明らかに「コンフォートゾーンを抜ける経験」が段違いに多かったからだと思います。自分が変化している実感が興奮となり、次々と挑戦していけました。