ラグビーを通して気づけたみずからの価値観。プロ7人制ラグビー選手・林大成

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第718回目となる今回は、プロ7人制ラグビー選手・林大成さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

日本代表として活動しながら、チームには所属せずフリーランスとしてプレーしている林さん。らぐびーくえすとを運営する一方で、家を持たないアドレスホッパーという林さんにアスリートの活動を通して気づいた「価値観」の本質について伺いました。

フリーランスで、現役だからこそ伝えられる情報がある

ーまずは自己紹介をお願いします。

プロ7人制ラグビー選手の林大成です。現在はチームに所属していませんが、日本代表でもプレーしているフリーランスのラグビー選手です。

フリーランスになってから今年で4年目になるのですが、ラグビー以外では「らぐびーくえすと」というコンテンツを運営していたり、家を持たないアドレスホッパーとしても活動していたりします。

ー7人制ラグビーとは具体的にどのようなものですか?

15人制ラグビーも7人制ラグビーもワールドカップがあるのですが、記憶に新しいところだと、2021年に行われた東京オリンピックの種目になっているのは、セブンズと呼ばれる7人制ラグビーです。

15人制は前半後半40分ずつ、トータル80分行われますが、7人制は前半後半7分ずつの14分で行われます。それを1日2〜3試合、2、3日に分けてリーグから決勝まで6試合行います。1試合の試合時間が短かったり、登場選手が少なかったりするので、スマホで見やすいスポーツです。

15人制と比べてグラウンドの大きさやルールは同じなので、運動量は本当に多く、1試合終わるとヘトヘトになります。15人制のようにコンタクトもありますが、どちらかというと走る要素が大きくなるので、14分の中に見どころが凝縮されているんです。

選手の平均年齢は若いですが、ベテランの選手になると30代後半の選手もいます。代表は入れ替わりも激しく、日本人の中で最年長の部類になることもあるため、新しい選手に教えることも多いです。

ーフリーランスのラグビー選手をあまり聞いたことがないのですが、その道を選択した理由はなんですか?

所属チームを離れてフリーランスになるのは、当時は前例がなく大きな決断でしたが、悩むことはありませんでした。

15人制のほうではシーズンの半分は出ていましたし、セブンズでも試合に出ていましたが、両方出ていたら大成しないなと思っていました。

私自身はチームの中では足が遅いほうなのですが、セブンズはスピードが重要です。やるべきことが目の前にあるのに、15人制のチームで他の選手と同じように練習するのはもったいないなと。

フリーになって、代表から落ちるとプレーする環境がなくなるので自分に発破をかけようと挑戦しました。

ただ、環境が変わってからは、リズムを掴むまでに時間がかかりましたね。

ー前例がない状態からフリーランスになってからはどんなことをされましたか?

フリーランスになって間もない頃、ステップと呼ばれるディフェンスのタックルをかわす技術のトレーニングをしました。まったくステップが踏めないところから踏めるようになるまでの過程をSNSで配信したんです。

ラグビーのコーチはボランティアの方が多いため、ラグビーをやる上で当たり前とされている情報には地域差や環境差があります。

YouTubeやインスタグラムで積極的に情報を発信していくことで、日本のラグビー界の情報格差を無くしたいと思ったんです。どんな環境にいても、どんなレベルでもラグビーを探求でき、ラグビーをより楽しめるように、3人で「らぐびーくえすと」というチームを作りました。

ー日本のラグビー界のために何かしたいと思ったきっかけは何ですか?

「らぐびーくえすと」を一緒に運営しているコーチの方に、現場でコーチをしてもらったときの話です。数名の選手がコーチに見てもらいながらトレーニングをしていたところ、苦手としていたプレーやできなかったプレーを、短時間のトレーニングで克服することができたんです。

それを見たときに、もしかしたら身体的にできないのではなく、知らないからできないのではないかと。全国的にほとんどの選手が情報不足でできずに諦めてるプレーがあるのであれば、それはラグビーを楽しむ上でもったいないことだと思うんです。

がむしゃらにやりつづける中で模索して、良いスキルを身に着ける選手もいると思いますが、やはり情報は大事です。追求したいものの情報がそこにあるのが大事ですし、向き合い方はそれぞれ違っていい。

ただただプレーして楽しいと感じることもあります。しかし、できないことができたり、できることが増えて楽しめる要素が増えたりして、試合に出て勝てるようになり、自分のキャリアを築けたらいいですよね。

将来の自分の姿を重ねて歩んだ大学・社会人時代

ーここからは現役生活についてお聞きします。大学の頃はどのような選手でしたか?

大学のAチームで初めて出たのは大学2年生の春でした。そこからは試合に出れなかったり、けがをしたりという時期が続き、大学3年生の秋の最終戦の頃からAチームで定着していきました。

トップ選手は3年生の頃から内定が決まってチームが決まります。僕にも怪我をしていた頃から声をかけてくれていたチームがありましたが、当時は社会人でやらないと決めていました

しかし、大学4年生の4月のある日「やっぱり社会人でやろうかな」と思いました。もともと教員や指導者になろうと思っていたのですが、トップを経験してない指導者と、1年でも経験している指導者を比べたとき、どちらが指導者の自分として大きくなれているかを考えてみたんです。

思い立ったのがトライアウト前日で、その日にトライアウトを主催している方に連絡したのですが、結局そのトライアウトは受けられませんでした。

しかし、トライアウトを主催している方に「キャノンイーグルスのトライアウトに来るんだったらいけるよ」と連絡をもらいました。次の週にトライアウトに参加すると、すぐに良い返事を頂くことができました。

ーすぐに加入することができたんですね。

そうですね。ただ、当時はプロ契約は難しかったため、社員として加入しました。私自身はやるからにはとことんやろうという性格なので、会社に行っている時間がとてももどかしかったです。そのため、次の1年はプロでという思いがありました。

2年目の4月からプロに切り替えて、3ヵ月間ニュージーランドへ留学に行くことにしたのですが、その年から留学制度がなくなりました。

そもそも、競技生活を社会人で送りたいと思った理由は、コーチや指導者になったときの自分のためでもあるのですが、現役だからこそ経験できることを経験しておきたかったんです。当時は英語も話せませんでしたし、ニュージーランドの文化やラグビーのレベルも分かっていない状態でした。

結果的には、個人的にどうしても留学に行きたかったため、チームの練習を休ませてもらって自費でニュージーランドへ行きました。