様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第564回目となる今回のゲストは、広告代理店の社員として働く、原口 遼(はらぐち りょう)さんです。
ベンチャー企業での就職を繰り返した後にどのようにキャリアを広げてきたのかや、器用貧乏をプラスに捉えられるようになった経緯についてお伺いしました。
自分の殻を破るため手を挙げ続けた小中学生時代
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
原口 遼と申します。大学時代はインターン先でマーケティングを学んだり、自分でメディア運営を経験したりした後に、新卒でベンチャー企業へ入社しました。
その企業には3年間ほど在籍し、ビジネスサイド全般を経験しました。その後転職を繰り返し計5社で正社員として働いた後、フリーランスとして活動。昨年末からは広告代理店で正社員として働いています。
ー原口さんが様々な働き方を経験するに至った経緯について、幼少期から振り返って伺えればと思います。まず、どんな幼少期を過ごされたのかお聞かせください。
「興味のあるものはとりあえずやってみる」という価値観が形成され始めたのは、学生時代だと思います。
中学生時代に生徒会副会長やバスケ部の部長、合唱コンクールの実行委員長、体育祭の団長などを歴任し、結果的に良い経験になったことでやれるものはとりあえず手を挙げてまずはやってみるというスタンスが形成されました。
ー最初に手を挙げてやってみようと思えたきっかけは?
小学生の頃にサッカーをしていたこともあり運動神経が良く、成績も割と良い。ただ、ぽっちゃり体型だったので、そのアンバランスさがいじりの格好の的だったんですよね。そんなこともありどこか引っ込み事案で、殻にこもっていたような感覚もあり、そこから脱却したいと思っていました。
焦りを感じたSFC時代。ひたすら挑戦を繰り返す
ー学生時代、印象的な出来事はありますか?
高校、浪人を経て慶應義塾大学のSFCに入学したのですが、SFCにはバイタリティがあふれる尖った人材が多い一方で、私はひとつのことにのめり込むのが苦手でして。興味が多いということも影響していましたが。
自身の強烈なWillを軸にしたユニークな活動に励んでいたり、起業したりする友人を横目に、「自分は何者なんだろう?」と何もない自分に漠然と焦りを感じていましたね。
ー焦りがある中で、大学時代はどのように過ごされていたのでしょうか。
SFCはリベラルアーツを標榜としていて、基本的に何でも学べることもあり、当時は自身の興味関心に即してデザインやプログラミングなどいろんな講義をかいつまんで楽しんでいました。
また、もともと広告やチラシなどを見るのが好きだったことと、ほんの些細な原体験ですが、高校時代に私が書いていたブログを読んだ女子が感動して泣くという経験から、人を動かすこと自体に関心を持っていたこともありマーケティングコミュニケーションを中心に学んでいました。
その他にもインターンを経験したり、ビジネスコンテストで優勝したり、学生団体を立ち上げようとして失敗したりなど、自分の中で「!」マークがつくような興味のある活動は積極的に行っていましたね。
ーいろんな挑戦をしていたのは、当時感じていた焦りとも関係していますか?
何かをせねばならんという焦りもありましたし、一歩踏み出さずにチャンスを逃すことがもったいないと感じたからですね。
これは先ほどお話しした小学生・中学生時代の経験から、やれるものはとりあえずやってみるというスタンスでいたことで、実際に挑戦しなければ得られなかった学びが多々あったことが大きいです。挑戦を繰り返すことで人生が面白い方向に転ぶかもなと思っていました。
また、忙しく過ごす中で、スキマ時間はすべて映画や本に費やすような学生だったのですが、当時触れた作品に感化されたのもあるかもしれません。
メガベンチャーから内定をもらうも “働く” に疑問を抱く
ー大学時代のビッグイベントである就職活動は、どのように行っていましたか?
就職活動の時期は、インターンを複数かけもちしながら忙しく働いていました。インターン先では広告運用やSNS運用、SEOなど幅広い業務をやらせていただき、Webマーケティングの基礎的な部分は大枠学べていたと思います。
就職先としては、当初幅広い業界に関心を持って進めていたもののキャリアとして独立を念頭に考えていたため、裁量をもって働ける環境に行きたいという想いから、最初はいくつかいただいた内定の中でもとあるメガベンチャーに行こうと思っていました。
ただ、無事に就職活動が終了したタイミングで、「自分は何のために働くんだっけか……?」と、ふと考え直すことがありました。
ーなぜ、そのような思考に至ったのでしょうか。
「働く」について改めて考えることになったのは、両親の影響が大きかったですね。父も母も元建築士ということもあってか、両親とも右脳寄りのセンスが本当に抜群でして。父は今は不動産の会社を経営し、母は専業主婦をしています。
時効ということで今だから言えますが、小学生時代の絵画コンクールで、母が描いた作品で賞をもらったり、中学校で開催される町のお祭りのポスターを母が描いていたり……そういった右脳の才能に関してはかなわないなと思っていました。
また、大学で労働・キャリア論を学ぶ中で、「働く=自己実現の機会」だと認識していました。働くこと自体がうまくいくことで、生活自体も豊かになるといいますか。
年齢を重ね、社会のことがよく見えるようになる中、そんな母が専業主婦をしていることにどこか「もったいなさ」を感じていましたし、働くこと自体が必ずしも正ではないものの、母のような方々の自己実現の機会・その選択肢を増やしていくこと自体、自身が働く理由・やりがいにつながると思いました。
そのこともあり、自分の軸としては「個をエンパワメント」というワードを強烈に認識するようになりました。
ー原口さんの焦りは、ご家族の多才さからも来ているのですね。
そうですね。手に職を持つ家庭なので、「自分はどうしよう」というのは常に思っていましたし、自分は天邪鬼なこともあり、本当はアート領域などが大好きなのですが、勉強してビジネスサイドへ進もうとしていたのかもしれません。