「ふるさとは地球」アメリカ、イギリス、沖縄… 引越し経験から「伝える」にこだわる現役高校生・池田穂波

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは私立かえつ有明高等学校3年生の池田穂波さんです。

国内外合わせて10回の引っ越しを経験。現在、生徒自身が学び方をデザインできるコースで勉学に励む傍ら、SDGsの啓発にも取り組まれています。

幼少期から多様な価値観に触れ、新しい環境に入れば柔軟に適応してきた池田さん。しかし、イギリスから帰国した直後の中学校時代は、スランプに陥ったことも。

そのような経験も経て、現在は、周囲の人も巻き込みながらアイデアを形にする行動力を発揮されています。将来は、テレビ番組のディレクターになることが夢。

彼女のエネルギーはどのように育まれたのでしょうか。

高校生でも世界を変えられる

ーご自身と現在取り組まれている「明日プロジェクト」について紹介をお願いします。

池田穂波です。都内のかえつ有明高等学校の3年生で、「新クラス」というアクティブ・ラーニングに近い教育カリキュラムのコースに通っています。これまでに、国内外含めて10回以上引っ越しを経験しました。

「明日プロジェクト」というのは、日本の高校生にSDGsを広める活動で、同じ高校に通う4人の仲間たちと2019年4月に始めました。

SDGsとは、「持続可能な開発目標」のことで、2015年9月の国連サミットで採択されました。

ここでは、2016年から2030年で達成を目指す、教育、環境ジェンダーなど様々な分野の国際目標が掲げられています。日本人のSDGsへの認知度が低い現状を何とかしないといけない、という問題意識からプロジェクトを立ち上げました。

未来の日本を担う若い世代に、SDGsとは何か、そしてその重要性を伝える活動をしています。また、「認証ラベル」という、木材や食材が各協会が定めた基準をクリアして製造・栽培されたことを認めるマークの啓発活動にも力を入れてきました。

SDGsや認証ラベルについて知っておしまいではなく、地球の未来について考えるきっかけ作りを目指しています。最近では全国の学生を対象に、SDGsを意識したレシピコンテストの開催にも挑戦していました。

ー国外への引っ越し経験もあるということで、異文化で生活した経験が、世界規模の問題を扱う現在の活動に影響を与えているのでしょうか?

そうですね、影響はあると思います。最初に海外に移り住んだのは幼少期で、国はアメリカでした。当時は物心がついていなかったので、現地の生活を細かく覚えていないです。でも親の話を聞いていると、海外経験があるお陰で、外の世界に目を向けるようになったのだろうと納得しますね。 

ー初対面の人にそう伝えると、必ず覚えてもらえそうですね!

孤独なアメリカ生活 言葉が通じると生活が一変

ーご出身はどこなのでしょうか?

生まれは広島です。生まれてすぐに広島の江田島に引っ越し、その後は千葉、アメリカ、横浜、川崎、沖縄、イギリス、東京…全部で約10ヶ所に住みました。それぞれ約2年という短い期間しか住んでいなかったからか、自分にとって「ふるさと」と呼べる場所がないです。

今も祖父母は広島に住んでいるのですが、私にとって思い入れがあまりない土地で。最近は「ふるさとは地球です。」と言ってるんです。(笑)

ー幼少期を過ごしたアメリカでのご経験をおしえていただけますか。

父の留学を機に、アメリカ・カリフォルニア州の海の近くに引越したんです。2歳から4歳までの合計2年ほどをそこで過ごします。今ではカリフォルニアには日本人が多いイメージがありますが、私の周りはそうではなかったんです。日本人が誰も周りにいませんでした。

今でもよく覚えています。昼間、現地の保育園に預けられ、言葉が全く通じない人たちの中に入れられて…ずっと泣きじゃくっていたこと。

孤独で胸がいっぱいで、とにかく家に帰りたくて。母親のお迎えを待っている間、ずっと先生に抱っこされているような子でした。

ー言葉が通じない子たちの中にいきなり入れられると、お友達づくりが難しいですよね。

そうですね。3歳になった頃、突然英語を話せるようになったそうです。自宅の外で英語を聞く機会が多く、知らない間に耳が英語を覚えていったのかな、と思います。

英語が話せるようになったことで友達もできて、生活が楽しくなりました。

それまでは、いつも独りぼっちのような気分。一変して言葉を交わせる友達ができると、退屈だった幼稚園生活が様変わりしました。みんなと庭で走り回るようになって、まるで別人だったと思います。

開放的な沖縄  人と関わる楽しみに気付く


ーアメリカに滞在した後、日本に帰国されたのですね。その後も国内を転々とされたそうですが、特に印象的だった土地はありますか?

小学校4年生から6年生の頃まで住んでいた沖縄です。今まで住んだ場所の中で一番お気に入りの街ですね。沖縄の人はみんな優しくて、食べ物は美味しいし、景色が綺麗で…最高でした。

ー転入先ではすでに人間関係が出来上がっているかと思います。クラスメイトに馴染むことに苦労はありませんでしたか。

そうですね。ただ、私には自然と知らないコミュニティに入り込む力が身についていたのかもしれないです。転校を何度も経験していると、臨機応変でないと生きていけなかったから(笑) 

2年後にはこの土地にお別れするんだな、という気持ちはいつも心のどこかにあったように思います。それが原因か、知り合った人たちと少し距離を置いて接していたところもあったかも…。。

そんな私に対して、沖縄で出会った人たちはとてもフレンドリーでした。今でも連絡を取り合っていて、沖縄を訪れると一緒にご飯を食べますよ。

小学校5年生の頃のことが、よく記憶に残っています。当時のクラスが今までで一番楽しくて、どんな風に過ごしていたか鮮明に覚えているくらいなんです。

沖縄生活を満喫できたのは学校生活が充実していたおかげ、だったなあ。

担任の先生が、生徒の関心に合わせて学ばせてくれる、アクティブ・ラーニングに近い教育方針を持ってらっしゃいました。先生から「勉強は、机に座って教科書を読むだけではない」ことを学んだんです。

夏休みに学校の校舎を使って肝試しをさせてくれたこともとてもいい思い出です!。保護者も協力しておにぎりを作ってくれて…もう大イベントですね。

子供達が楽しみながら学べるような工夫がたっくさんありました!とても自由な1年間でした。

ー高校で新クラスを選ばれたのは、先生の影響もありそうですね。ほかに印象に残っている出来事はありますか。

校外活動をする機会にも恵まれていました。当時、学校で東日本大震災について勉強したんです。

埼玉から引っ越してきた友達がいて、一緒に募金活動をすることにしました。

駅前で募金を呼びかけていた小学生の自分たちに、通りすがりの人たちは「がんばって」とあたたかく見守ってくれるんですよ。怒られたことは一度もありません。

那覇マラソンという沖縄の一大イベントでも、街頭でランナーに名物の黒糖飴を配ってました。その時も誰にも注意されなかったです。

この自由さは沖縄ならではですね。東京で同じことをしていたら、「子供が何をしているんだ」と止められてしまうのでは。

こういう活動をするうちに、自分は人と関わることが好きなのだと気付きました。新しい人と何かをしたり、一緒に作り上げたりすることが楽しいな、って。

あとは自分がしたことに人が喜んでくれることに、やりがいを感じていました。沖縄独特の自由な雰囲気のおかげで、今の活動の土台となるきっかけに巡り会えたのかなと思います。

「私は日本人」日本では見えなかった自分の姿

ーその後はイギリスにお引越しされたんですね。2度目の海外経験ですが、この時は現地の学校にすぐ馴染めましたか。

なかなか慣れなかったんです。1年間ロンドンの郊外に住んで、地元の学校に通っていました。日本と比べて、イギリスでは人の様子も食文化も全く違います。「日本に帰りたい!」と何度思ったか…。

昔住んでいたアメリカと比べても、イギリスの雰囲気はかけ離れていたなと。アメリカは人種や宗教含め、色んな人がいる。

イギリスでは、イギリス王室や自分たちの国の歴史に畏敬の念を持つ、イギリス人の高いプライドをひしひしと感じました。

私は、いろんなバックグラウンドの生徒がいるインターナショナルスクールのような学校に通っていたんです。

学校行事の一環で、自分の国の魅力をアピールする機会がありました。みんな、自分のルーツがある国にまつわる出し物を用意していて、それぞれの揺るぎない誇りが垣間見えました。

そんなみんなと比べ、自分は日本について聞かれても満足のいく回答ができなくて…人生で初めて、自分が日本人なんだと身に染みて感じた出来事でした。

「もっと日本のことを知りたい!」そう思うようになったんです。

ー異国の地にいると、日本の「当たり前」を知らない人に自分のことを伝えないといけないですよね。海外と日本の違いをどんなところに感じられましたか。

教育の違いです。私がイギリスに住んでいた頃は、スコットランドが独立するかしないかという国が揺れていた時期でした。

もちろん私には選挙権は無かったのですが、学校では模擬投票や、政治について議論する機会がありました。

日本の学校では、政治について勉強するとなれば、政治体制を覚えることが中心ですよね。アウトプットの仕方がかなり違います。

ー そんなに教育も異なるのですね。この体験も、池田さんが高校で新クラスを選んだことに影響を与えていそうですね。

日本に帰国してSDGsについて学んでいる時、イギリスに滞在して良かったと思いましたね。イギリスはプラスチックを回収する専用の場所を設けるなど、社会全体で環境に配慮しています。

イギリス人は環境問題について学校で学ぶだけでなく、自分たちに出来ることを実行している。そこが日本との大きな違いです。

自信を失って踏み出した大きな一歩

ーイギリスから帰国され、現在に至るまで東京にお住まいですね。久しぶりの日本での学校生活はいかがでしたか。

中学時代は、心にぽっかりと穴が空いた状態でした。中学1年の夏にイギリスから日本へ帰国し、かえつ有明高校の附属中学校に入学しました。

そこには、海外経験が長く英語が得意な帰国子女が多かったんです。周りの高い英語力に引け目を感じ、自分に自信を失くしてしまって…。

帰国生以外には一般受験で入学した人も多くて、帰国生入試で入った自分と彼らを比べてしまいました。自分から積極的に動いている今とは対照的に、すべきことをただこなして過ごした3年間でした。

ー活発な印象を受ける池田さんにも、そのような時期があったんですね。現在学ばれている新クラスというのはどのような場所なのでしょうか?

大学の一般受験を目指して勉強するコースとは異なるカリキュラムがあるのが特徴です。

新クラスでは、アクティブ・ラーニングに似た学習スタイルを導入しています。具体的には、自分は何者かを知る、自分と異なる価値観を理解する、学び方を学ぶ、という大きな軸があります。

授業では、自分たちの関心に沿って、将来したいことを深めるために自分たちでプロジェクトを創り上げることを大切にしています。

ー 特殊な新クラスに入ろうと思ったきっかけはなんでしょうか。

中学校時代に受けた「サイエンス」という授業です。ここでは高校の新クラスに近い学習を経験することができました。

そこで、今の自分に繋がっている思い出深いプロジェクトに参加しました。その名も「世界を変える0.1パーセントプロジェクト」です。

中学生の自分たちでも世界を変えられる、いつの間にかそう信じていた、すごくワクワクする体験でした。

その中で、「本物に会う」というテーマで、日本テレビやWOWOWのプロデューサーといった、普段はお会いできないような方達に番組制作の裏側についてお話を伺う機会が設けられていました。これをきっかけに自分の将来の夢が変わります。

実は、幼稚園の頃からそのプロジェクトに取り掛かる直前まで、ずっとアナウンサーになりたいと思っていたんです。それ以外の夢を持ったことがなかったくらい憧れていて。

「アナウンサーはレストランで例えると、料理を届けるウェイトレスの役割。大事な料理を作っているのが、裏方のプロデューサーやディレクター」

ディレクターさんにそう言われた時、自分が本当にしたいことって、人に感動を与えるコンテンツ作りじゃないかとハッとしたんです。

高校では、自分が本当にしたいことに気付かせてくれた、「サイエンス」のような授業を受けたかった。新クラスの授業カリキュラムはアクティブ・ラーニングに近いこともあり、進学を希望しました。

中学3年間を振り返って、胸を張って言える成果が無かったからこそ、高校では何かに打ち込んで挽回したいという想いもありました。

ーそんな新クラスには高校1年の頃から所属され、いまは3年目ですね。 実際に入ってみて、良かったところを教えてください。

良かったところは、失敗を恐れずに行動できる自分になれたことですね。中学校の頃までは「うまくいかなかったらどうしよう」と先のことばかり考えて行動に移せていない自分がいました。

新クラスの授業では、学校の外から色んな分野で活躍されている大人の方達のお話を聴くことができるんです。いつの間にか、「とりあえず興味があることをしてみよう!」と動きだせる自分に変わりました。

一方で、想定していなかった部分も。新クラスの成績評価には、先生たちの主観が入るんです。新クラスの定期試験は、マーク形式や記述ではありません。

自分のプレゼンテーションなど、発表や制作物が評価の対象。それらは共有の物差しで測って数字で表せるようなものではないです。

例えばプレゼンテーションで「ここを見て欲しい」と自分がこだわった部分が、あまり評価されていないこともあります。

そのことに納得できず、普通クラスが良かったかなと思ったこともありました。そのうえで、先生に「どうしてこの点数なのですか」ときちんと質問もしますね。

ー自分が力を入れた部分が評価されないときは、心苦しいですよね。主観的な評価ということですが、その評価の軸はどこにあると感じていますか。

新クラスでは、創造的なアウトプットをすることに重きが置かれているんです。例えば、社会科の授業で第二次世界大戦について学ぶ時、何冊か本を読んでリサーチした上で、自分たちでテーマを設定し、発表します。

一般的に言う「試験」がこのような発表なんです。一般入試の受験勉強のように、歴史の参考書を読んで重要事項を暗記する、というような学び方とは大きく異なっていますね。

ー一般的な高校とは異なる環境を選ばれたことを振り返ってどのように思われますか。

新クラスへの進学は、高校に入るまで親の言う通りに生きていた自分が初めて自分で選んだ選択でした。自分が満足できる達成感が欲しかったんです。

でも、この3年間を振り返ると、紆余曲折していますね。中学校時代よりもいろんな経験をし、多くの人と繋がりもできた分、失敗も多く…。「自分は新クラスに向いてないのかな」と何度も落ち込みもしました。

ー選択を後悔されそうになった時に、何が支えにりましたか。

同じ新クラスの仲間の存在です。物事がうまくいかない時、私はいつも周りの人に話すんです。新クラスのみんなも、自分と同じような挫折を味わっていました。

だからこそ、みんなと「大変だね」と支え合うことができてそして、自分もスランプを乗り越えてここまで辿り着けたのだと思います。

ー池田さんの夢は、「テレビ番組を作ること」。長年夢見ていたアナウンサーとは異なるお仕事ですが、どちらも「伝える」お仕事と言う意味で共通しています。池田さんはどんな番組を作りたいですか。

ある問題について異なる意見を持っている人たちの架け橋になれる、そんな番組を作りたいです。このような想いを抱いているのは、異国の地で色んな価値観を持つ人と接した経験の影響かなと思います。

特に、イギリスで目の当たりにした社会が分断されていく様子は、外国人の自分から見ても印象に残る出来事でした。

ー目を輝かせてお話される池田さんの今後のご活躍に今後も注目です!池田さん、今日はお話をありがとうございました。

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取材 : 青木空美子  (Twitter)
執筆:Yuka(Twitter
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter