発言と行動でチャンスは降ってくる。海外で働く夢を叶えた会社員・佐伯 裕基

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第542回のゲストは、佐伯 裕基(さえき・ゆうき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

2016年にアジアクエスト株式会社に就職し、現在はインドネシア拠点のジェネラルマネージャーとして、会社の経営判断から新規事業計画、プロジェクト管理を行っている佐伯さん。人生経験の中で、発言や行動がチャンスに繋がった出来事を教えていただきました。

英語の単位を落としたことをきっかけにオーストラリア留学を決意

ーまずは簡単な自己紹介をお願いいたします。

新卒でアジアクエスト株式会社に入社し、日本で1年半勤務した後、インドネシア拠点に移りました。現在、インドネシア拠点でジェネラルマネージャーとして働いています。

ーもともと海外に行きたくて今の会社を選んだのでしょうか?

そうですね。海外勤務の軸は強く持っていて必ず「3年以内に海外へいきますか?」と聞いていたほどです。それでも今の会社と巡り会えたのは偶然の必然でした。きっかけは上の質問へ明確な回答が来ないことが続きモヤモヤしてGoogle検索したことでしたからね。

社長の会社ネーミングに引き寄せられ、どこよりも明確に質問に回答してくれたので決意しました。

ー海外への関心が強かったきっかけはありましたか?

地元は米軍基地などがある長崎の佐世保市で、地元に住んでいた集合住宅などでも外国人の方に会うことがありました。学校でもハーフの方が多く、小さいときから外国人の方と触れる機会が多かったので、自然に海外への興味が形成されたと思います。

高校生のときには海外に行きたい気持ちがありましたが、自分が陸上の特待生という状況もあり、高校のときには行けなかったことも、大学で単位を落とした時にすぐに留学という行動に移せたきっかけだと思います。

ー留学先をオーストラリア、仕事先をインドネシアに選んでいた理由はありますか?

インドネシアへ行ったのは今の会社拠点があることが理由ですが、もともとは東南アジアの国に行きたいと思い始めたのはオーストラリア留学がきっかけです。東南アジア諸国はこの先の成長が見込まれます。そんな急成長する国を見てみたい、その環境に身を置きたいと思っていました。

留学先のオーストラリアは、はじめは時差が日本とほとんどないという安直な理由がきっかけでしたが、最終的には差別の問題で南米やヨーロッパ各国の人も多く留学していることを知り、より多くの人種と出会えることへの期待が理由となりました。

「まずは行動」その結果得られた海外への切符

ー留学中の印象的なエピソードはありますか?

留学当初、僕は全然英語が話せなかったんです。日本でたくさん英語を勉強したはずなのに、いざ現地に行くと全然で(笑)。「こんなに勉強してるのに言葉って出てこないんだ」と実感しましたね。

初日の学力テストグループが一緒だった人に、「さっきテスト一緒だったね」と話しかけられたのですが、会話が出てこず、「Yuki, Japan」と名前と出身をとりあえず自己紹介をしたくらいです。

でも、あえてオーストラリア内で日本人が一番少ない街を選び、英語での会話機会を少しでも増やすために誘いには必ず参加していました。日本語は半年間で5回家族との会話で使ったくらいの環境で。留学先では「笑顔でYes」と毎回参加するキャラを確立し、いろんなグループから誘ってもらえるようになりました。

そのうち英語力も伸びていき、いろんな母国語の人と英語で会話することで自分の発音の伝わりにくい部分や、簡単な単語での言い回しなどより実践的な英語力が身につき、海外含めた新しい環境へ飛び込んでも順応できる自分の強みを作ることができました。

ーとにかく飛び込む姿勢がすごいですね!そんな留学後に大失恋を経験したのだとか……?

ありがとうございます。日本に帰国して大失恋したことがインドネシア駐在のチャンスを運んできた感じですね。

留学先でタイ人の方と出会い、お付き合いをして日本帰国後も遠距離恋愛をしていました。自分の社会人1年半のタイミングで相手方は新卒就職でCAになり、カタール勤務で6時間の時差のある遠距離恋愛になってしまいました。

新卒1年目から海外で、身近な人と連絡するのも6時間以上の時差。そんなときに彼氏が側にいないのは精神的にもきついですよね。自分も仕事をやめることはできず、お互いにつらい時間が続きました。

でも、その失恋が今の海外で仕事を任されるきっかけになったのです。

「別れそうだ」と落ち込んでいる自分をふと社長が見つけ、話を聞いてくれました。「後悔するくらいなら会って話に行けば?」と言ってくださり。業務終了後その足で旅行会社に行き、翌日の便でカタールへ飛び、失恋してきました。

その後、社長へ結末の報告をしているうちに会話も増え、「インドネシア拠点に出張に行くんだけど一緒に行く?」と声がかかり、現地での順応性をみてインドネシア駐在の候補にしていただき、海外拠点規模拡大の任を受け送られることになりました。

チャンスがくるタイミングなんてわかりません。でもそのチャンスをすぐ行動に移す姿勢が「佐伯なら海外でも大丈夫だ」と評価してもらえたのだと思っています。

ー今インドネシアでのジェネラルマネージャーはどんなことをされていますか?

営業からビジネスモデルの設計まで、会社の運営に関することはなんでもやっていますね。もう1人現地にインドネシア人代表がおり、二人三脚で仕事をしています。

駐在といいつつ、海外で起業しているような経験をさせてもらっています。まだまだ顧客数も社員数も足りていない状況から、リードを決め海外で顧客開拓を進める。寝るときもこの状況どうすればいいかなどをずっと考えてました。

お客様に選んでもらい利益を出さなければ会社は潰れてしまう、今いる社員も失う、自分たちの強みはどこなんだ?競合や市場価値はどうなんだ?と日々模索したり……。日本拠点と連携できることも強みにしつつ、インドネシアではどんな売り方がよいかを手探りでした。

アポイントを取ってお客様の困りごとを聴きながら、自分たちがどんな価値をだせるか考える日々。毎日アンテナを張っていればチャンスは来るもので、今だと思った時に一気に行動へ。日本の社長経由で本社にも助けてもらい――結果、駐在1年目から大型案件を取ることができ、翌年には社員数も20倍の規模まで拡大しました。