若いうちに挑戦せよ!学生起業家 本間拓彌に聞く挑戦することの大切さとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第637回目となる今回は、学生起業家の本間拓彌(ほんまたくみ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生でありながら、建築事業と美容・フィットネス事業の経営をしている本間さんに若いうちから挑戦することの大切さを語っていただきました。

柔道にのめり込んだ学生時代

ーまずは自己紹介をお願いします。

本間拓彌と申します。L’storia株式会社で専務取締役として、店舗の内装工事やオフィスの内装工事、住宅のリフォームなどを請け負ってやっています。それに加えて脱毛サロンとパーソナルジムを合体させたPRIDEを渋谷に出しています。

ー2つの事業をされているとのことですが、どちらの事業を先に始められたのでしょうか?

建築業であるL’storia株式会社を先に始めました。L’storia株式会社でひとり親方をやっていた父がガンになったときに、ぼくが将来的に家族を養わないといけないという責任感を覚えたのです。

全く建築の知識がなかったので、最初は現場で掃除をするところから入りました。

ーどうして建築事業だけでなく、もうひとつ店舗を出そうと思ったのでしょうか?

ぼくはL’storia株式会社を自分がゼロから生み出したくらいの気持ちでやっていたのですが、周囲の人から父のおかげだと思われるのですよ。それが悔しくて、自分の店舗を持ちたいと思って起業を決意しました。

起業する際は絶対に建築と関わるものをやると決めていて、それがぼくにとっては店舗事業でした。

ーここからは本間さんの過去を遡ってお伺いします。人生を振り返って最初のターニングポイントとなったのはいつでしょうか?

小学2年生で柔道を始めたときです。兄が柔道をやっていた影響でぼくも始めたのですが、先生の体罰がひどく、いつもやめたいと思っていました。

2年経ったタイミングで道場を変えると体罰もなく、大会に勝てるようになりました。そこからぼくの負けず嫌いな性格がでてきて柔道を続けるようになりました。

生まれつき持病があり、華奢だったのですが、柔道をやるようになって体とメンタルが強くなり、積極的に人と話すようになりました。

ー中学校でも柔道を続けられたのでしょうか?

そうですね。柔道が自分の人生の半分になっていたので、中学校に上がっても絶対に柔道はやると決めていました。そのときも大会で結果を出していたので、余計にやめる選択肢はありませんでしたね。

ー小学校2年生のときが、最初のターニングポイントだとおっしゃっていましたが、次の人生のターニングポイントはいつでしょうか。

千葉県の中で、柔道が強いことで有名な高校にスポーツ推薦で入ったのが、二つ目のターニングポイントです。

中学3年生のときに父がガンになってしまいました。そのときから何も貢献できなくて申し訳ないとずっと思っていたので、優勝して恩返しすることを目標にがんばっていたのですが、3位という結果に終わってしまいました。

高校では絶対に千葉県で優勝したかったので柔道の強豪校を選びました。

ー強豪校となると練習が厳しいイメージですが、どうでしたか?

このとき「人生で一番メンタルがきつかったのではないか」と思うほど毎日が厳しかったです。毎朝5時起きで、朝と夜に練習をしていましたし、何より先生が非常に怖かったですね。部員のユニフォーム全員の胸に田中組と刺繍を入れるほどの絶対王政でした。その先生のおかげでぼくは成長できたので、今では感謝しています。

ーそこまで厳しい環境でやめようと思ったことはないのでしょうか?

毎日やめたいと思っていましたね(笑)。

千葉県で優勝して親孝行することだけを目標にして練習を続けていました。

優勝するために練習以外にも、YouTubeを見たり、出稽古に行ったりと自分から動くことを大事にしていました。

ー最終的に高校生のときの結果はいかがでしたか?

ライバルの選手に決勝の舞台で負けてしまって2位でした。判定負けの誤差で勝敗が決まったので、もう少しがんばっておけばと後悔しています。

コロナウイルスの影響で柔道をやめて、新しい道を模索し始める

ー大学では柔道をやろうと思いましたか?

建築学科のある大学に行くか、柔道でお声がけいただいた大学に行くかで迷いました。大会で負けて燃え尽きていたので、柔道をやる気はありませんでしたが、母に柔道をやってほしいと言われたので、柔道でお声がけいただいた大学を選んでいきました。

ー建築学科のある大学に入るかどうか迷ったのはお父様の跡を継ぐ想いがあったからでしょうか?

そうなのですが、そのときは建築のことが何もわからなかったので、父がいなくなってしまうと、すべてが崩れると思いました。父ももう70歳手前だったので、建築をやるのは不安のほうが大きくて迷っていました。

柔道をやっている時間が無駄なのではないかと思い、父に相談したのです。父に「無駄なことなんてない」と言われたので、柔道でもう一回結果を残そうと思って全国大会を目指して、練習しはじめました。

ー大学生活でターニングポイントとなるのはどんなときでしょうか?

大学2年生のコロナウイルスが蔓延したときです。

大会で結果を残そうと思っていた柔道の練習が全くできない状態になって、心が折れてしまいました。

ーそこから建築の道に進もうと決められたのは、どんな考えを経て決められたのでしょうか?

コロナウイルスの蔓延で柔道ができなくなったときに、いろいろな人に会って価値観を広げて、自分の将来を探そうと思いました。

そのときに考えていたぼくの理想は、建築家になるのではなくて、経営者として建築を軸に事業を展開していくことでした。

SNSでいろいろな人に会って話を聞いていた中で、建築で成功して、さまざまな事業を展開している社長さんに出会いました。その方とお話ししたことで、建築の良さに改めて気づき、建築の道に進もうと思いました。

ーその社長さんにお話を伺ってどうでしたか?

感動しました。そのときに社長さんから「親の人生を生き過ぎてるから、もっと自分の人生を生きなさい」と言われたのです。

社長さんの過去の話を聞くと、大変な思いをして成功されていたので、理想の姿を叶えるには大変な思いをしなければいけないことが心に刻まれました。