「自分の声をまず聞いてみて!」パーソナルトレーナー・城戸美和に聞く、人生の輝かせ方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第695回目となる今回は、パーソナルトレーナーの城戸 美和(きど・みわ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大阪生まれ大阪育ちの城戸さんですが、2021年秋に沖縄に移住。現在はパーソナルトレーナーとしてだけでなく、プロテインのプロデュースやSNS運用、イベント企画など、インフルエンサーとしても幅広く活躍されています。

今回は「やりたいことがすぐに浮かんでくるんです」と語る城戸さんに、現在のキャリアを形成するに至った経緯を伺いました。

やるなら100%本気!柔道に打ち込んだ中高時代

ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。

城戸美和です。大学卒業後にイベント事務所でMCとして活動していました。現在は、2021年秋に移住した沖縄でパーソナルトレーナーをしながら、プロテインのプロデュースやイベント企画、SNS運用など、インフルエンサーとしても活動しています。

ー幅広く活躍されていますね。中高時代には柔道部に所属されていたそうですが、何かきっかけはあったのでしょうか?

一番練習が多く、成果をあげているのが柔道部だったんです。柔道に興味があったわけではありませんが、全力で取り組みたかったので選びました。昔からずっと「やるからにはやる。やらないならやらない」と白黒つけたい性格なんですよね。

ー過酷な環境に自ら飛び込まれたのですね。柔道を通して学んだことがあれば教えてください。

コツコツと努力を積み重ねることの大切さを学びましたね。

柔道を始めた頃は体が細く、試合に出てもすぐにポンと負けていたので「でるポン」と呼ばれていて(笑)。負けず嫌いな私は、ご飯を多く食べたり、周りの人よりも筋トレを頑張ったりすることで体力をつけました。毎日努力を重ねることで「でるポン」とは呼ばれなくなり、高校時代には大阪府で3位に入賞しました!

ーすごいですね!柔道部生活は順風満帆だったように思えます。

大変だったこともあります。

大阪府で3位になる前、練習中に左脚のすねを骨折して半年以上練習できなかったのが辛かったですね。楽しそうに過ごす友人と装置をつけている私を比べてしまい、「私だけハンデがある。どうしよう」と悩みました。

振り返ると、この時期に感じた悔しさが復帰後の原動力になっていた気もします。一方で、「柔道以外にも楽しいと思えるものを見つけたい」と思い勉強を頑張るようにもなりましたね。

フィリピンへ留学で「伝え手」の重要性を学ぶ

ー高校卒業後、大学に進学されていますね。大学ではどのような勉強をされたのでしょうか?

両親が介護事業所をやっていた影響で、教育福祉学部に進みました。進路を決めた当時は「大学に入ってからやりたいことを見つけよう」と思っており、やりたいことが見つからなかったら家族のもとで働くつもりでした。

大学入学後には、これまで柔道に使っていたエネルギーをどこにぶつけたらいいのか分からず戸惑いましたね。それでもやりたいことを見つけたい一心で勉強するうちに、海外に興味を持ち始めて。大学の先生から勧められ、半年間のフィリピン留学を決めたんです。

ー留学を決めた行動力が素晴らしいですね。フィリピンでの過ごし方を教えてください。

現地の大学で社会福祉を学び、週末には路上で暮らすストリートチルドレン支援のボランティアに参加していました。子どもたちへの食事の配膳をしたり、勉強を教えたりする活動です。

複雑な家庭環境で育った子どもが多い上に、彼らから見ると私は外国人。警戒され、なかなか心を開いてもらえないことが多々ありました。今思うと恥ずかしいですが「日本での学びを活かして現地の人々を救うヒーローになりたい」と思っていた私は、彼らと話す前に準備をして臨むなど、歩み寄る姿勢を見せようとしていたんです。すると、徐々に打ち解けてきました。

フィリピン留学で学んだことは、「愛」の一言に尽きます。自分中心の考え方を捨てて目の前の人たちと真摯に向き合うことで、どのような状況下にいる方とも関係を構築できるようになりましたね。当時学んだことは、その後の人生にも活きていると感じます。

ー先ほど、大学に入ってからやりたいことを探すつもりだったとお伺いしました。大学やフィリピン留学での学びを通じ、やりたいことは見つかったのでしょうか?

そうですね。報道記者やキャスターになるため、就職活動ではアナウンサーを志望しました。理由は2つあります。

1つめは、スポットライトが当たらない社会の側面を発信したいと考えたから。フィリピンにて、虐待などの加害者とお話をする機会がありました。世間では被害者が尊重され、加害者は非難されることが多いですが、実際に加害者と接することで、彼らにも複雑な背景があり、苦しんでいることを感じたのです。

2つめは、「伝え手」としてのコミュニケーションを磨きたいと思ったからです。フィリピンにて、伝え方次第で相手に真意が伝わると学んだことが影響しています。また、大学の先生から「福祉の世界は暗いイメージを持たれることが多いけれど、城戸さんを通して見る福祉は違うものになるのでないか」と言っていただいたのもきっかけの1つになりました。

意思を持って就職活動を始めたものの、選考で全国各地を飛び回る日々に家族の病気が重なり極限状態に。さまざまなことを考えましたがアナウンサーの道には進まず、イベント事務所でMCとして「伝える」仕事をすると決めました。