個人に最適化された健康で健康寿命の延伸に貢献。山田真愛が目指す心身が豊かになる世界

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第484回目となる今回は、株式会社My Fit代表取締役の山田真愛(やまだまなみ)さんです。

高校2年生のときに母を亡くして以来「食と健康」に興味を持った山田さん。生命工学を学びながら、海外やフードテックのインターンを経て起業。辛い経験を乗り越え、人生で成し遂げたい目標を見つけた山田さんに、一歩を踏み出す大切さや食を通して目指したい世界を伺いました。

健康のために、その人にあったプロテインを最適化

ーはじめに、自己紹介をお願いします。

株式会社My Fit代表取締役の山田真愛と申します。プロテインをパーソナライズする事業に取り組んでおり、先日ベータ版をリリースしました。食生活や運動習慣、体質によってタンパク質量や原材料をパーソナライズし、その人独自のプロテインをお届けするD2C事業をおこなっております。

ー今年3月に株式会社My Fitを設立されたそうですが、パーソナライズされたプロテインのサービスについて詳しく教えてください。

ベータ版では、4分ほどのオンライン診断でご自身の食事内容や体質、どういった目的でプロテインを飲むのかなど、約20の質問に答えていただきます。それらの回答結果をもとに、その人にあわせたプロテインをお届けします。プロテインは主に、ホエイやソイなどの原材料からできており、そこにお客様の目的・体質に合わせてビタミンやミネラルを調合します。さらに、管理栄養士やボディメイクインストラクターにいつでも相談できる体制や、プロテインの味を毎日変更できるメリットも設けています。

ーパーソナライズされたプロテインのサービスは今まで日本ではあまりなかったと思いますが、このサービスが生まれたきっかけはなんでしょうか?

長い間「食と健康」に興味があり、何ができるかをずっと考えていました。ジムで働いていたこともあってプロテインは身近な存在だったんです。プロテイン選びにおけるお客様の負担の大きさや、正しい知識が浸透していないことへの違和感は大きいものでした。加えて、海外ではパーソナライズされたプロテインが流行していることや、コロナ禍で多くの人がプロテインを飲んでいたものの、正しい情報が浸透していなかったことがきっかけとなり、サービスリリースに至りました。

ー御社のサービスはどのような方に利用していただきたいと考えていますか?

プロテインをはじめとする健康食品やボディメイクに関して、自分にあったものを選びたいという方や、健康に気を遣いたいけど忙しすぎて自分のことを後回しにしてしまう方々ですね。また、きらびやかなフィットネス業界に息苦しさを感じている方々にも、リラックスして手軽に取り入れていただけるようなブランドをつくっていきたいと考えています。

母の死に直面し、乗り越える過程で大きく成長した

ーここからは山田さんの過去についてお伺いします。幼少期はどのような性格でしたか?

活発でいたずらっ子だったんですけど、シャイな面もあって。男の人を極端に避ける性格でしたね。

ー小学生のときに印象的な出来事があったそうですね。詳しく教えていただけますか?

小学校から大学まで一貫校に通っていました。多くの人はそのまま中学校、高校と進学するのですが、私は小学3年生から中学受験の塾に通っていて。けれど、やはり周りの友人と一緒にいたい、なぜ受験勉強するのかわからないと当時の私は感じてしまい、勇気を持って小学6年生の秋頃に中学受験をやめたいと親に話したんです。親はその決断を止めることなく受け入れてくれました。今思えば3年も塾に通って、あと少し頑張れば受験できるところにいたので、受験しておけばよかったのにと思っているのですが(笑)。この経験から、自分の人生は自分で自分で決めていいんだと思えました。親や周りから言われたとおりになるのではなく、自分の人生に責任を持つという価値観が生まれた瞬間なのかもしれないです。

ー山田さんは小学生のときから「自分の人生は自分で決める」ことに気づいたのですね。中学生からはダンスを始められたと伺いました。

はい。中学から高校はダンス部に所属していました。元々あまりダンスが得意ではなかったのですが、通っていた学校がダンス強豪校で有名だったんです。ダンスをやってみたいという好奇心と、全国優勝を目指せるという点にも惹かれて入部しました。ダンス部の先輩たちが、全国優勝を目指して踠いている姿がとにかくかっこよくて素敵だと思ったからですね。

ー憧れの気持ちがあったのですね。実際に始めてみて、いかがでしたか?

今振り返ると、人生を変えてくれた部活で私の青春そのものでした。ただ当時は、毎日9時から18時まで練習があって大変でしたね。メンバー同士で、できていないことを厳しく指摘し合う関係だったので、精神面が鍛えられたように思います。

ー昼夜ダンスに明け暮れているなかで、高校2年生のときに辛い出来事があったそうですね。

高校2年生になってすぐに、母を癌で亡くしました。10年ほど闘病していたので、次第に弱っていく姿を側で見てとても辛かったです。最期の母は、食事が喉を通らなくなったのですが、最後に母が食べたかった食べ物がポテトチップスだったんです。母にポテトチップスを買ってきてほしいと言われて、あまりの驚きに私は母に食べないほうがいいと伝えました。それでも母がポテトチップスを望んでいた場面は、今でも私の脳裏に焼きついていますね。

ーかなり辛かったと思います。山田さんご自身も、最後に食べたいものがポテトチップスだとは想像できなかったですよね。

人が最後に食べたいものは高級食材なのかなと勝手に思っていたので、安価で化学調味料が多く使われている食品なんだと知ったときは、こんなにも人間は化学調味料で脳が支配されているんだと痛感しました。

ーお母様が亡くられてから、山田さんの生活はどのように変わられたのでしょうか?

一人っ子だったので、父との二人暮らしになりました。家事はすべて自分でやらなければいけなくなりましたし、部活や受験勉強に忙しくて圧倒的に時間が足りなかったです。心境としては、母が亡くなった直後は精神的なダメージが大きかったですが、強く生きなければと思いました。今まで人生で悩んでいたことがすべて小さく感じられましたね。シャイだった性格から、一気に殻を突き破った時期でした。

ー時間も精神的にも大変な状況で、ダンス部は続けることを決断されたのですね。

逆に辛すぎて家にいることができなかったんです。家に帰っても父は仕事でいないので、広い家に一人でいる孤独が辛くて何かに打ち込みたかった。当時は部活と勉強だと思ったので、本気で打ち込みましたね。

責任を持ってビジネス面から健康を支える分野へ

ー勉強にも本気で取り組んでいたとのことですが、大学進学はどのような進路選択をしましたか?

母の死に直面した経験から、「健康」という言葉が人生で大事にしたいキーワードになりました。そこから健康に関係する医療に興味をもち、理系の道に進むことを決意しました。なかでも生命工学といったライフサイエンスを学びたくて、国立大学を目指して受験勉強に励んでいましたね。

ー生命工学というのは具体的にどういった学問なのでしょうか?

最近ではゲノム編集やPCRという言葉が話題になっていますが、簡単にいうと生物、化学、物理の3つの視点からヘルスケアという大きな括りを学ぶ学問です。医学は生物の観点をメインに生命体を学ぶので、そこが医学部との違いといえます。

ーさまざまな理系の視点から健康を深めていくのですね。大学生活はいかがでしたか?

後期試験まで受けて大学に入学したので、高校時代はほとんど遊ぶ時間がなかった一方で、大学では1年生のときからサークルに入ってたくさん遊びました。大学2年生のときは、母校のダンス部の発表会にも参加しましたね。理系で授業時間が長いこともあり、勉強や研究は必然的に取り組んでいましたし、それ以外は友達と遊ぶ生活でした。ただ、大学3年生のときに「このままでいいのかな」とふと思ったんです。高校生活は寝る間も惜しんで家事や勉強、ダンスに打ち込んでいたのに、このままでは大学生活がつまらなくなると思い、ベトナムの海外インターンに応募しました。

ー海外インターンに対して不安はなかったですか?実際に現地でどのようなことをしましたか?

不安はなかったですね。新しいことに挑戦できるワクワクした気持ちのほうが強かったです。海外インターンは、4人のチームをつくって、2週間ほど店舗の利益を生み出すための活動をしました。初めて会うメンバーとチームを組んでビジネスをするので、チームビルディングの大切さや人を理解すること、自分と違う考え方を受け入れ、一つにまとめて形にする難しさとやりがいを実感しました。また、今までビジネスに触れたことがなかったので、ゼロから自分たちで生み出したものを、お客様に届けて喜んでもらえるのは楽しい体験でした。

ーダンス部やサークルなどで人との関わりは経験されていると思いますが、実際に働く立場だと関係構築の仕方やコミュニケーションは違ったのでしょうか?

高校生の頃からチームビルディングには取り組んでいたので基本的な軸は同じですが、ビジネス面にどう活かすかを考えながら関係構築をしていました。ただ高校生だと損益は発生しないので、責任部分でいうと甘かったですね。インターンは利害関係がある状態でしたし、しっかり売り上げを出さなければいけないという責任感があったので、インターンでのチーム作りは一層自分の中で責任を持って取り組めたと思います。

ー海外インターンから帰国後は、フードテックのインターンにも関わったのですね。

フードテックの企業に入ったのも、ビジネスの楽しさを実感できた体験がきっかけになっていますね。元々は研究職を希望していたため、ビジネスについてまったく知りませんでしたが、ITやビジネス面から人に「食と健康」を届ける姿を見てみたいと思いました。今までは遺伝子や細胞レベルでしか健康を見ていなかったのが、そこで初めて人の視点で考える経験ができてよかったです。

ーさらに、就活イベントにも取り組まれていたと伺いました。どのようなことをされていたのか教えてください。

「食と健康」とは別軸で、ベンチャーなどの企業が早慶東大の学生に就職オファーをする「逆就活イベント」に取り組んでいました。立ち上げた経緯は、ゼロからリスクをとってでも利益をつくり出す経験がしたかったことと、私も就活を考えていたので、人事担当者との繋がりや人事目線を知りたかったからです。これまでインターンでは、すでにある組織に属して、決められたフレームワークの中でゼロから作り出すものでした。それって実はノーリスクなんですね。責任やリスクが伴うものに携わりたくて、学生団体ではなく周りの知り合い5人ほどで就活イベントを主催しました。

優先順位をつけて、好きなものに一歩踏み出す勇気

ー大学4年生12月にクラウドファンディングをされていますが、どういった経緯で始められたのでしょうか?

元々は就職する予定でしたが、フードテックとヘルスケアの領域で事業を立ち上げたいと思っていたんです。起業したい気持ちはあるものの、なにも行動できていなかったんですよね。そこで12月頃に、あるベンチャーの役員とお会いする機会があり、「起業したいけどどうしたらいいかわからない、不安だ」と相談したんです。するとその方から、「結局なにも行動しないで不安がっているだけじゃない?やったことないことは誰でも不安だから、やりたいことがあるならやればいいだけだと思うけど」とアドバイスをいただきました。その言葉が妙に悔しくて、自分でフードテックやヘルスケア領域の事業を立ち上げたいのだから行動しようと決断できましたね。本当にあの時、その言葉をいただけたことには感謝しています。当時はプロテインの可能性や課題を感じていたので、まずはクラウドファンディングを通してパーソナライズプロテイン”Health Drink”の販売を始めることにしました。

ー以前からフードテックやヘルスケアでの起業を希望されていたのですね。

母が亡くなった一番の要因は不明ですが、既存の枠組みが解決できていないから亡くなる結果になってしまったと思っています。そこで新たな枠を作ってあげることが大事だと気づきました。そのときから漠然と「食と健康」の分野で起業したい気持ちが芽生えました。今のままだと課題は解決されないし、なにか新しいことを作り出さないといけないと思っていたので、起業の選択が頭に浮かんでいましたね。

ークラウドファンディングへの挑戦に対して、どのように感じていましたか?

正直初めての経験なので不安な面もありました。クラウドファンディングでお願いしても、お金が集まらなければ事業はスタートすることはできないし、うまくいかなかったら恥ずかしいという気持ちもあったので、始める前は様々な方に相談しました。でも実際に挑戦したところ、100名以上の方にご支援いただきましたね。本当に周りの方々がご協力と応援してくださったのが大きいです。

ー山田さんの原体験や思いに強化された方はたくさんいらっしゃると思います。

まだサービスもなにもない時期から、「食を通じて人の健康寿命を伸ばす」ことだけは語り続けていました。クラウドファンディングを始めた時に、私の挑戦を応援してくださった方がいてくれたのは、きちんと自分の言葉で語り続けてきたからだと思います。

ー夢を語ることは大事ですよね。就職して復業という形ではなく、起業一本でやっていこうとシフトチェンジされたのは、どういった理由があったのでしょうか?

自分が今やりたいと思えることだったからというシンプルな理由です。クラウドファンディングを実行して、楽しみに待ってくださるお客様がいる。元々自分は「食と健康」の領域で起業も視野に考えていて、今まさにやりたいと思える事業に挑戦できている。ならば先延ばしにする必要はない。今やってみよう。そう思ったというのが理由です。ただ正直な話、起業するか就職するかはすごく悩みました。後悔しない道はどちらかを突き詰めて考え、起業するという選択をしました。

ー実際に会社を起業されてからはどうですか?

今年の3月に設立したばかりで、毎日が新しいことばかりです。頑張ろうというエンジンのほうが強いので、立ち止まっている暇はないですね。毎日が目まぐるしくまわっている感覚です。人生100年時代といわれますが、私は人生を50年時代だと思って人生設計しています。人生100年で人生設計するよりも、人生50年で設計したほうが、やりたいことを全部やり切れるのかもしれないと思っていて。そう考えるようになったのも、母が50歳で亡くなったからですね。

ーやりたいことに対して漠然としている人に向けて、具体化していく方法があれば教えてください。

自分の中でどのように優先順位をつけるかがコツだと思います。自分と他人とを比べて、やりたいことの規模感で見てしまうのではなく、自分の人生を振り返ることが大切です。人生には少なくとも感情の起伏があると思うんです。そのときにどういった出来事だったのかを思い返してみること。そのなかで自分の人生を少しでも揺るがしたもの、好きな気持ちや興味を持ったものである場合は優先順位をつける。自分の人生で一番やりたいことは何かを常に自分自身と対話して、人と比較しないことを大事にしていれば、自分が今やりたいことは簡単に見つかると思います。私自身も夜寝る前などに、自分の感情と向き合う時間をとるようにしています。

ー自分の心の声と対話して、感情と向き合うことは大切ですよね。山田さんは「缶詰めより刺身を」という言葉を大事にしていると伺いました。この言葉はどういった意味ですか?

「缶詰めより刺身を」という言葉は、一次情報になるべく近い情報を掴みにいくことが大切だという意味です。生の魚を食べやすく切ったものが刺身ですよね。さらに魚を加工したものが缶詰です。情報も同じで、魚が生の情報(=一次情報)だとすると、それをわかりやすくしたものが二次情報、それをさらに人の手を加えて加工したものが三次情報です。インターネット上で出回っている情報や、誰でもすぐに手に入れられる情報は、さまざまな人たちが情報に手を加えているものなので、一次情報とは違ったものになっています。やはり本質を捉えるには、缶詰(=三次情報)よりも刺身(=二次情報)、刺身よりも生の魚(=一次情報)を掴む考え方がとても大事です。

ー世の中さまざまな情報が出回っているからこそ、適切な情報を掴むうえで心掛けていることがあれば教えてください。

インターネットの情報や、人づてに聞いた話はすぐに信じないようにしています。気になることがあれば、できるだけ情報発信の発端の人に直接会いに行き、積極的に話を聞くことを心掛けていますね。

個人にあった最適な健康で健康寿命の延伸に貢献したい

ー山田さんが挑戦していきたいことや今後の展望を教えてください。

私個人としても会社としても、食やフィットネスを通じて人の健康寿命を伸ばすことに挑戦していきたいです。人それぞれ最適な健康の定義や価値観が異なるので、最終的にはその人にあった最適な健康でQOLを向上させるサポートができたらと思っています。現在は大学院で研究しながら、遺伝子的な要因や生活習慣の要因などさまざまな角度から「食と健康」を学びつつ、会社のサービスに活かしています。

ー個々にフォーカスをあて、一人一人の健康をサポートしていきたいのですね。山田さんのお話を伺っていて、食が心身の健康につながっているんだと実感しました。

食はまさに体をつくるものであり、心を豊かにするものでもあると思っています。どれだけ健康にいいといわれる食品でも、心がワクワクしないと結局は心身の健康に遠いと感じていて。見た目はもちろん、誰がどのような思いでつくったのかも大事な要素の一つだと思います。食ならではのワクワク感や心の豊かさを大事にして、かつ健康にいい食品をつくることを軸に、サービスを手掛けていきたいですね。

ー無機質なものではなく、体温が宿っている感覚がしますね。最後に、一歩を踏み出したいけどなかなか踏み出せないU-29世代にアドバイスをお願いします。

私も最初は一歩を踏み出すことが怖かったのですが、今は随分とハードルが下がりました。ただハードルを下げるには、踏み出してみるしかないですね。一度思いきって挑戦してみて、上手くいかなくて失敗してもいいと思います。人生立ち戻れないほどの失敗ってそこまでないんじゃないかな。自分のなかでAパターン、Bパターンといった複数の道を用意して挑戦してみるのもいいかもしれません。そうすれば、案外挑戦しても失うものは少ないという気づきや、失敗してもまた違う方法で進めるのかもしれないです。私自身も挑戦してみて、失敗をかなり繰り返しています。不安で挑戦できないのであれば、自分のなかでリスクが低い挑戦を100%の力で取り組むことから始めるのもいいですね。

取材:大庭周(Facebook / note / Twitter
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:高橋りえ(Twitter