一度きりの人生を精一杯生きる!ダンシング筆文字職人チャドに学ぶ、ありのままの自分で居続ける方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第427回目となる今回のゲストは、踊りながら書くパフォーマー書家として活動しているチャドさんです。

現在は、「命を次につなぐこと」を人生のミッションとして各地で『舞書パフォーマンス』を披露しています。そんなチャドさんが、自分の命を最大限、他人のために活かそうと決めた経緯について伺いました。

母の命と引き換えに誕生した小さな生命

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

ダンシング筆文字職人、チャドと申します。普段は踊りながら書くパフォーマンスや、目を5秒間見てインスピレーションで言葉を書く活動、ロゴや名刺の制作、マタニティペイント、講演など、幅広く活動させていただいてます。

ー日々活動をされている中で、エネルギーを保つために気をつけていることはありますか?

まずは自分の体調や精神状態を整えることですね。文字にもエネルギーが乗ると思っているので、疲れていたり、気分が落ち込んだりしているときは休息を取るようにしています。

最近は特に、◯(マル)をつけることも意識しています。「今日もこれができなかった」「やり残してしまった」ということが蓄積すると暗くなってしまいがちですが、「やろう」と思った自分を認めてあげることで、エネルギーを一定に保てるようになりました。

ー本日は、チャドさんがダンシング筆職人として活動するに至った経緯を、幼少期から振り返ってお話いただければと思います。幼い頃、印象的だった出来事をお聞かせください。

実は私が生まれたときに、母親が出血多量で亡くなってしまっていて。母親がいない状況が当たり前だったので、別に悲しむことでもないと思っていたのですが、小学生になって友達からお母さんの話を聞く機会が増えてくると、「お母さんか、いいな」という気持ちも浮かぶようになりました。

「私には何でお母さんがいないんだろう?」と強く思うようになり、幼い頃から「家族」や「母親」をテーマとして持っていましたね。

陰キャラを極め、心の窓を閉ざしていた中学時代

ー小学生の頃から「家族」や「母親」を強く意識し始めたチャドさん。中学生の頃はどのように過ごしていたのでしょうか。

中学校では陰キャラを極めていました。教室の机とトイレだけが居場所でしたね。人と話すのが怖いので、いつも本を読んで自分の殻に閉じこもっていました。

少しでも話したり笑ったりすると、「佐渡さんてしゃべるんや」「佐渡さんて笑うんや」と引かれるのがすごく嫌で、自分らしく過ごせなかった時期でもあります。どこでもいつでも、自分らしい状態でいたいなと常に思っていましたね。

ーなぜ中学生になった途端に陰キャラに変わったのですか?

小学校では比較的大人しい子が多かったのですが、中学校に上がるといろんな学校から生徒が集まってきて騒がしくなり、その変化についていけなかったのが1つの要因です。

あと、視力の関係で眼鏡になり、二重だった目が腫れて一重になり、自分の見た目に自信が持てなくなったのもありますね。眼鏡の中の世界にすっぽりとおさまって、外へ気持ちが行かなくなりました。

ー下校時やお家でも、人と話していなかったのでしょうか。

父親のことは大好きだったので、家では会話をしていましたし、下校時間には数少ない友達とよく笑い合っていました。その子たちと一緒に帰る時間は、唯一自分でいられる時間でしたね。

なりたい自分を作り、ありのままでいれた高校時代

ー陰キャラは高校に上がってからも続きましたか?

高校ではガラリと変わりましたね。

ーどのように変えたのか教えてください。

アイプチをして二重に戻したり、眼鏡からコンタクトに変えたり、ストレートパーマをあてたりして、まずは自信が持てる外見を作りました。

次に実践したのが、人間観察です。明るい子たちは自分から挨拶したり話しかけたり、とにかくよく笑うんですよね。中学生の頃の私はほとんど笑うことなく、表情筋が凝り固まっていたので、口が思うように開かなくて。笑顔の練習をすることで表情筋を鍛えていました。

努力を積み重ねた結果、いつでも誰とでも同じ自分でいれるようになりましたし、人生最大のモテキでもありました。

ー180度変わったのですね。人生最大のモテキということは、色んな方からアプローチを受けたのでしょうか。

男女問わず、可愛いというワードを言われるようになりました。初めて告白されたのも、初めて彼氏ができたのもその時期です。他人の目を気にせず、いつでもどこでも自分でいれる状態が嬉しかったですね。

ー当時のチャドさんは、未来についてどのように描いていたのですか?

小学生の頃からずっと、自分の名前と身体じゃないとできないことをしたいと思っていて。高校には個性的で素敵な先生がたくさんいて、そんな先生方を見ていると「自分の名前と身体があって、自分らしく輝ける仕事って先生か!」と思い、当時は先生になるのが夢でした。

ー先生になりたいという夢は、大学の選定にも影響してたのでしょうか。

多少は影響していましたね。中学生のときに悩んだ経験を経て、同じように悩む方たちの力になりたいと思い、心理学を学びたいと思っていました。

大学入学後、二重学籍に。1%の大人になるため大学を中退する

ー大学受験のお話を詳しくお聞かせください。

今まで広島にずっと留まっていたので、大学ではより大きな世界に身を置いてみたいと思い、関関同立を目指しました。

その中でも関西学院大学が一般入試の難易度が高いと思っていたので、とりあえずAO入試を受けたところ、なんと受かったのです。ただ、自分が本当に行きたかったのは関西大学の心理学専攻だったので、一般入試で関西大学を受験することを決断しました。

ー結果はいかがでしたか?

自分では落ちたと思い込んでいたので、関西学院大学へ行く準備をしているときに、関西大学の合格通知が来ました。普通はそこで喜ぶと思うのですが、当時は自分の決断に自信がなく、親の意見に影響されて関西学院大学へ進学することにしたのです。

ただ、入学してからも「何で1番行きたかった大学を選ばなかったんだろう」という後悔がずっとあったので、在学中に再度受験することにしました。

ー在学中の受験勉強は大変だったのではないでしょうか。

受験勉強というよりは、誰にも応援してもらえない状況が辛かったです。在学中に受験をするといういう行為自体が、周りの先輩や同級生からすると理解できなかったようで、部活では仲間外れにされて居場所がなくなっていきました。

鬱に近い状態で受験したところ、結果は合格。ただ、行きたい専攻ではなかったので即決できず、悩んでいる間に関西学院大学を退学できないまま、関西大学に籍ができてしまい、二重学籍の状態になりました。

ー最後はどのような決断をしたのか教えてください。

結局、両方辞めました。経緯をお話すると、これからどうしようか悩んでいたときに、ヒッチハイクや講演会、イベントなど、行く先々で出会ったすべての方に相談すると、99%の大人は「今いる大学を卒業した方が良い」という返答をくれて。

一方で、周り数パーセントの大人は、「大学を辞めてもいいから、自分らしく生きな」という言葉をくれたのです。私は1%の大人たちの言葉を信じたかったですし、大学を辞めた後に自分の道を切り開くことで、道を外れても前向きに生きていけることを証明したかったので、辞める決断をしました。

路上詩人の活動開始。出会った人が輝いた人生を送れるように

ー旅での出会いがチャドさんを大きく変えたのですね。

そうですね。旅の途中で路上詩人にも出会いました。当時は「2つも大学に在籍しているなんておかしい」「自分で人生を決められないなんておかしい」と否定しかされていなかったので、自分で自分が嫌で、自分に✕(バツ)をつけまくっていて。

そのときに出会った路上詩人に書いてもらった言葉が、「仁美が仁美で居続ける限り、応援してくれる人は途切れない」という言葉。その言葉をもらって、「あ、生きてていいんだ」と思えました。

そもそも路上詩人という仕事があること自体が衝撃だったのと、路上で字を書いている女子大生なんて他にいないだろと思って、私自身、路上詩人としての活動をし始めたのです。

ーチャドさんが悩んでいた時期、お父様とはどのように関わっていたのでしょうか。

周りから否定ばかりされて病んでいた時期に、一度だけ父親に電話をして自分の想いをぶつけたことがありました。「自分なんて生まれてこなければお母さんも死ななくて良かったし、お父さんにもこんなに迷惑をかけることもなかった」「もう死にたい。こんな子でごめん」とつらつらと話すと、電話口で何も言わなくて。

5分ほど沈黙があった後に、「で?」と言われたのです。その言葉に何も言い返せませんでした。同時に、母親が命懸けで産んでくれた命を簡単に捨ててしまったら、母親の命はどこに行ってしまうんだろうと思いました。

母親は、命を懸けてまで産んだ子が、たかだか大学や進路1つで鬱々と生きるのは望んでないと思ったんですよね。その日から、母の分まで生きること、そして命を次につなぐことを人生のミッションにしました。

ーそれが今でもチャドさんの軸になってるのですね。

そうですね。みんなの命はご両親が命懸けでつないでくれたもので、みんな愛されて生まれてきてることを少しでも伝えられたら、「自分なんて」と思ってる方たちにも何か届けられるのではないかと思っています。

なので、私の活動はすべて「その人が魂の底から本当に輝いた人生を生きれるようにお手伝いする」という軸でつながっているのです。

ーチャドさんは、自分の軸が見つからなくて悩んでる方たちへどんなアドバイスをしますか?

軸がないからといってダメではなくて、悩みまくったり、ブレまくったりしても良いと思うんですよね。やりたいことや軸はうろうろする中で見つかるものなので、迷うことや悩むことを恐れず、自分の中の光を見つける作業を諦めなければ必ず光にたどり着けるはずです!

ーチャドさんが今後チャレンジしてみたいことあれば教えてください。

現在、広島県竹原市にある江戸時代の町並み保存地区内に、江戸中期の古民家をアートリノベーションしたアトリエ兼ゲストハウスを立ち上げ中です。

私は今まで地元に貢献できることがあまりなかったので、日本や海外で出会った素敵な方たちを地元に新しい風として連れて来ることができる場所を作りたいなと思っています。

古民家や地方、田舎暮らし、DIYなどに興味がある方がいれば、ぜひジョインしてもらえると嬉しいです!

ー何かを形にするのはワクワクしますし、自己表現の一種にもなりますよね。チャドさんの今後の活動を応援しています!本日はありがとうございました。

取材者:武海夢(Facebook
執筆者:Moriharu(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter