楽しいを作るマーケター水谷優斗が考える、人生を楽しむコツとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第580回目となる今回は、楽しいを作るマーケター水谷優斗さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

フリーランス向けシェアハウス「ノマド家(ノマドヤ)」の運営や、マーケターとしての業務委託、ボードゲームを元にしたイベント企画など、幅広くフリーランスとして活動されている水谷さん。仕事はただ辛いものだと感じていた会社員時代から、「楽しい」を軸にフリーランスとして自分の道を切り開いた方法を語っていただきました。

敷かれたレールを歩く、そういうものだと思っていた。

ーまずは自己紹介をお願いします。

水谷優斗と申します。普段はフリーランス限定のシェアハウス「ノマド家」の運営と、茅ヶ崎にオフィスを構えるシッピーノ株式会社(現テープス株式会社)でマーケターとして働いています。

他にもマーダーミステリーアプリ『UZU(ウズ)』というサービスのマーケティングを担当していたり、宿泊型のゲームイベントを企画したり、幅広くフリーランスとして活動させていただいてます。

ーどんな学生時代を過ごされましたか?

友達に流されやすい学生時代でしたね。

高校時代の話になりますが、文系か理系か僕は全然決めておらず、結局仲の良い友達が「理系に行く」と言ったので「じゃあ俺も」みたいな感じで、めちゃくちゃノリで決めてしまいました。

しかも数学が全く得意ではなくて、どちらかというと国語のほうが得意だったのですが、別に理系でも国語を使うから良いかと思って、理系に進みました。

小さい頃から敷かれたレールを歩くものだろうなと感じていたので、その影響もあって、あまり深く考えず友達にも流されやすいタイプだったんじゃないかなと思います。

ー当時、困ったことや葛藤はありませんでしたか?

当時は深く考えてなかったからこそ、困ったこともなく楽しめていたんじゃないかなと思います。ただ、大学も高校が理系だからという理由だけで工業大学に入学したんです。大学入試の際も、センター試験で国語と英語の成績がよかったから合格した背景があって。

そこでやっぱり僕は理系科目が得意じゃないんだなって気が付いて。何でこんなルート進んでんだろうって思いながら、必死に頑張ってたのが大学時代でした。

辛い会社員時代に光が差したフリーランスへの道。「ノマド家」との出会い

ー新卒で大手コンビニ企業に就職した経緯を教えてください

大学の同級生が周りが理系の会社に就職していく中、僕は勉強の時点で嫌になってしまっていたので、理系の職種を仕事にするのは無理だなと思っていました。

その頃アルバイトをしていたコンビニがフランチャイズの店舗だったのですが、そのオーナーさんにとてもお世話になっていて、よく仕事のお話も聞かせてもらっていました。その方が3店舗ほど経営している優秀な方だったので、人を助けられるってすごい仕事だなあと思って。

誰かを助けることで自分も一緒に上に上がっていけるような、そんな仕事をしたいと思って就職を決めました。

実際の仕事はSV(スーパーバイザー)という、フランチャイズの店舗を5、6店舗担当して、そのオーナーさんに伴走して、一緒に売り上げを伸ばしていく仕事をしていました。

ー学歴と全く違う職種への就職、戸惑いはありませんでしたか?

もう理系に関わることは嫌だと思って全く違う職種を選んだことが背景にあるので、戸惑いはまったくありませんでした。

ただSVになるまでも、副店長、店長を経験してからキャリアアップしていくのですが、どこの段階でもすごくつらかったんです。結局2年半勤めたのですが、社会人ってこんな大変なんだというのが、当時の印象でした。

毎日「どこまでいったらこれ楽しくなるんだろうな」と思いながら働いていました。会社の中では割といい成績を残して、順調にキャリアアップしていたのですが、それでも全然幸せを見出すことができなくて。

今振り返ってみると、当時が一番幸福度が低かったと思います。僕の人生の中でかなりつらい日々でしたね。

ー辛い日々を過ごしていた会社員時代の水谷さん。そんな日々をどのように打開できたのでしょうか?

やはり会社を辞めたことが大きいですね。28年間の僕の人生では、一番大きなターニングポイントです。

会社を辞めるきっかけは本当に些細なことだったのですが、その当時付き合っていた彼女に「そんな死んだ魚のような目、見たくない」って言われてしまって。

その頃本当に仕事が辛くて、きっと普段から死んだような目をしていたんだと思うんです。彼女にそう言われて「このまま続けても幸せを得ることはできない」と思って、会社を辞める決意をしました。

また、『多動力』というホリエモンの本に出会って自由な生き方に触れることができたのも大きなきっかけでした。

その頃仕事が忙しくて自分の時間はほとんど取れなかったのですが、偶然手に取ったのがその本でした。読み進めるうちに、こんな自由な働き方があるんだと知って、会社を辞めてもどうにかなるんじゃないかなと思うことができました。

ー会社を辞めてから何をするかは決めていましたか?

自分が幸せであるためには、自由に生きていく必要があると感じていたので、フリーランスが合っているんじゃないかなと思っていました。

その頃ちょうどTwitterで「フリーランス向けシェアハウス、ノマド家を立ち上げます」という投稿を見かけたんですよね。

ーそれが「ノマド家」との出会いだったんですね!

はい。当時は全然知り合いでもなかったのですが、何か面白そうなものを立ち上げる人がいると思って、Twitterで連絡させてもらいました。そこから何回か電話でやりとりさせていただいて、実際に住まわせていただくことに。

実は当時はまだ愛知県に住んでいたのですが、ノマド家に住むためだけに神奈川県に引っ越しをして、そこからノマド家での人生が始まりました。

ー愛知県から引っ越すのは勇気が必要だったと思いますが、そこまでの行動ができたのはなぜですか?

そうですね。その時はもう単純に挑戦する場を求めていました。

会社を辞めるまでは良かったのですが、これからどうやってフリーランスになったら良いのか全然わからないまま辞めてしまったので、すごく良いきっかけだと思って。

当時はノマド家が「駆け出しフリーランス養成所」という打ち出し方をしていたので、実際に駆け出しのフリーランスが集まっていました。それもあって僕と同じ境遇の人たちが何人かいて、一緒に頑張れたように思います。