「学校で教えないことを教える」授業作りを。今後の教育のあり方を定義するISHIZUE代表・藤原柏甫

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第591回目となる今回のゲストは、藤原 柏甫(ふじわら はくほ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

株式会社寺子屋ISHIZUEを立ち上げ、オンライン学習塾のサービスを展開する現役高校生。学校を中退し、「生徒が自分で成長できる教育」を目指す彼の想いとは一体何でしょうか。これまでの人生から現在の取り組みまで、幅広く聞いてきました。

「進化した教育」を目指し、授業を展開する高校2年生

ー藤原さんの現在について、教えてください。

「学校で教えないことを教える」をコンセプトにした学習塾の経営、ならびにWebデザイン事業を行なっています。会社名は株式会社寺子屋ISHIZUE(以下、ISHIZUE)。わたし自身、高校2年次に進級するとともに学校を退学し、現在は会社経営が主な取り組みです。

ーわずか17歳でビジネスを展開している藤原さん。具体的にどのような事業内容ですか?

主に国語・英語を中心としたオンライン塾を展開しています。教えている講師も、全員現役の高校生。今の時代を生き抜く「生徒が自分で成長できる教育」を展開するために、日々邁進中です。

具体的な授業内容は弊社Intstagramに投稿していて、たとえばあるテーマに関するデイスカッショントークをしたり、生徒自身が授業を展開したり、種類はさまざま。どの投稿も同世代からのいいねやコメントをもらうなど、評価をいただいています。

ー聞いている限り、画期的な授業内容ですね。

そうですね。生徒一人ひとりが自分の頭で考えることを追求し考えた結果、同じ視点に立って教えてくれる講師が自分の意見を受け止めてくれる授業スタイルを生み出しました。椅子に座って先生の解説をひたすら聞く、これまでの授業とは違いますよね。

ー塾経営の一方で、デザイナーとしても活躍されているのですね!

はい。塾の経営をするうえで、まず最初に気づいたことが「デザインがみなさんの第一印象に繋がる」ということ。子どもたちに塾を展開するなかでも第一印象のロゴを大事にしようと、当時Adobeソフトを活用し、デザイン事業を始めました。

弊社ISHIZUEのHPも、実はわたしが作成しました。「教育を通じて、子どもたちの無限の挑戦を繋げたい」という想いから、ホーム画面を設計しています。現在では、外部の塾から資料の依頼をいただくなど、徐々にデザイン事業も拡大を続けています。

初めての海外1人暮らしで、生活ノウハウを学ぶ日々

ー塾経営に熱い想いを抱いている藤原さん。これまでの人生についてお伺いしてもよろしいですか?

小学校は東京中華学校に在籍し、中国語・英語・日本語の3か国語を学ぶ小学生時代でした。公立の小学生に比べ宿題の量が多く、普段の勉強プラス中学受験に向けた両立のしんどさが特に印象的です。

そもそも、わたしは両親が日本人と台湾人のハーフとして生まれました。両親は一般私立や公立ではなく、かねてから希望していた日本人学校へわたしを進学させてくれましたが、当時は勉学の両立がつらく、よく家出をしていましたね。

ー小学生から母国語以外の言語を学ぶのは、なんだか大変そうです。その後の進路はいかがでしたか?

中学校は北海道にあるラ・サール中学・高等学校に進学。実家から離れ、1部屋56人とともに暮らす寮生活を送っていました。そもそも家出したかったので、仲がいい友達と四六時中一緒にいられる生活は楽しかったですね。

部活動はバスケットボール部に所属し、スポーツを通じてチームのみんなから期待される環境がとてもよく、勉強のモチベーションも上がりました。バスケ初心者だけど、毎日の練習を積み重ねて上達した経験から、努力する才能だけはあるなと、自分自身の可能性を感じたのもこの頃です。

ー順調に聞こえる中学生時代でしたが、なぜその後台湾の学校に転入したのでしょうか?

当初プライベートもなく楽しく過ごしていた寮生活も、1年の終わりには限界を感じていました。また、北海道生活にも慣れず体調を壊す日々……。しばらくは休養生活を送り、チャンスが訪れたのは、中学2年生の夏休みに1人で向かった台湾です。

温かい気候に、穏やかで優しい台湾人に心が癒され、台湾の学校へ転入をしました。当時14歳にもかかわらず、見ず知らずの地で1人暮らしも始め、なにもかも自分で考え行動することで、マネジメント能力の向上を感じましたね。

ー台湾で生活をするうえで、何か大変だった経験はありましたか?

最初は金銭面で苦労をしましたね。いくら物価が安くても、食費や生活費の管理が難しく、気づいたらお財布が空っぽ状態でした。

日本ではありえないと思われますが、台湾でタクシーの運転手と仲良くなることもあり、実際彼らに助けられたことがあります。タクシー運転手の人脈を頼りに、大勢の仲間がわたしの自宅へご飯を持ち寄ってパーティーを開くことも。お金がすべてではないと思えたのは、優しい台湾人のおかげですね。

日本の授業に違和感を感じ、オリジナル授業を作りだす

ーとても心が温まりますね。そのあとの進路を教えてください。

中学3年生に上がる前に、日本の高校に進学をしたいと思うように。台湾現地の学校へ進学するための中国語のスキル不足を感じた点と、日本の高校で教育を受けようと思ったからです。中学3年で青山学院中等部に入学し、そのまま青山学院高等部に進学しました。

実は中学時代も不登校の時期があり学校に馴染めるか不安でしたが、周囲の友人に恵まれ、青春を謳歌する日々を送ることができましたね。

ー日本の学校で新たなスタートを切られたのですね。聞いている限り、青春を謳歌できた学校生活は楽しそうです!

そうですね。ただ、普段の授業について違和感を持ち始めたのもこの頃からでした。授業を集中して聞かなくてもテストに影響しない。この事実に気づいたときに感じたのが「授業って意味があるのかな?」と、教育に対する疑問でした。

そのことを先生に伝えたところ、学校というコミュニティと教育する高校の機能性が釣り合っていない事実を感じていたのです。この課題を解決しようと立ち上がったのは、ちょうどこの頃でしたね。

ー具体的にどのような取り組みを行なったのでしょうか?

自分が「面白い!」と思う授業を展開してみました。当時高校1年生で、同じ高校に通っていた同級生を含めた同世代4人で授業作りを始めました。

大学で教育を学んだわけでもなく、自分たちの感性で授業を作っていったので最初は苦労しました。ツイッターやSNSで授業の告知を行ない、同世代にダイレクトメッセージで呼びかけをするなど、地道なスタートから始めましたね。

ー現在の授業スタイルが確立したのはいつごろですか?

そのあと何回か繰り返していき、1ヶ月くらいで現在のかたちになりました。試行錯誤を繰り返すなかで学校が行うインプット重視の授業の重要性にも気づき、zoomを用いた授業スタイルに落ち着きましたね。

高校生だからこそ実現できる「進化した教育」

ー法人化された現在ですが、改めて藤原さんの教育事業への想いを教えてください。

そうですね。会社の理念として掲げているのが、ISHIZUEは「第3の居場所であり、自分の価値を見定める場所」と定義しています。わたしたちは、そういった学生を育てたい。そのために、常に時代に合わせた教育として授業を展開していきます。

高校生は社会人でもないけれど、世間一般からしてみたら子どもでもない。社会の影響を真っ先に反映する彼らだからこそ、感じるものは人それぞれだと思います。それら受けたことを、その下の世代に繋げ循環をしていく、そういったサイクルも作っていきたいですね。

ー現役高校生だからこそ、感じる視点ですね。藤原さん自身は、今後チャレンジしたいことはありますか?

将来は海外の大学進学を考えています。教育について深く学び、下の世代のロールモデルとして参考になるよう、自分自身も行動していきます。

ISHIZUEとしては、学生が今後進みたい道に進める社会の実現へ向けて、事業を展開していきたいですね。たとえば、今皆さんが勉強している学問的な内容なども視覚などの五感を使った学習システムを提供できるように研究を進める予定です。教育と結びつけて、新たなスタイルとして確立するよう、邁進していきます。

ー藤原さんの今後の活動を応援しています!ありがとうございました。

取材:おおともいずみ
執筆:田中のどか(Twitter / note
デザイン:安田遥(Twitter