様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第600回目となる今回は、武術太極選手・別当響(べっとう ひびき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
武術太極拳の日本代表選手として第一線を走りながら、ベビーシッターや保育士、カンフー教室の運営など多方面で活躍されている別当さん。自身の強みである「武術」と「保育」を掛け合わせた活動を始めた経緯と、今後の展望について語っていただきました。
決して将来有望な選手ではなかった小学生時代
ーまずは、自己紹介からお願いしてもよろしいでしょうか?
はじめまして。別当響と申します。普段は、武術太極拳の競技者として活動しながら、保育士やカンフー教室の運営もしています。
ー具体的に、武術太極拳の競技活動の内容を教えてください
武術太極拳というのは、中国で生まれた戦いの技術をスポーツにしたものです。演技が評価され、勝敗が決まる採点競技になります。簡単に説明すると、フィギュアスケートのような演技種目で、そこにアクロバットの要素や、空手の型のような「武」の要素を用いるスポーツです。
ー武術太極拳の中にもいくつか種目が分かれているのでしょうか?
メインの種目は3つあります。日本国内で普及している「太極拳(たいきょくけん)」という種目と、あとは「長拳(ちょうけん)」、「南拳(なんけん)」という種目です。
その中でも私が専門としているのは、長拳です。長拳には、みなさんがイメージされるようなカンフーの典型的な動作があります。太極拳といえばゆっくり動くイメージがあると思うのですが、長拳は対照的でアクロバットな種目です。
ー太極拳を始めたきっかけはなんだったんでしょうか?
私の母の同級生に、武術太極拳の日本代表をされていたコーチの方がいて、その方に紹介してもらって始めました。
最初は褒められることも多く、気分良く始めましたが、小学校3年生くらいから急に太ってしまい……。
太ってからは、柔軟するだけでもすごく辛くて。小学校4、5年生くらいまでは、練習も競技も好きではありませんでした。
あの当時関わって下さった方は、今みたいに成長するとは誰も思っていなかったはずです。
ただ、小さい頃から嫌なことがあっても寝たら忘れるタイプで。とにかくプラス思考だったんですよね。だからいつかは素晴らしい選手になれると自分で確信していました(笑)。
2度の優勝を果たし頭角を現したアジア大会
ー18歳のときにアジアジュニア大会で優勝されたんですね?
大会では3種目出るのですが、そのうちの2種目で優勝しました。アジア大会はその時が初出場だったので、まさか1位を取れるとは思っていなくて。1種目目の後に結果を見たときは驚きました。
2種目目も勝てるとは思っていなかったので気負わずに演技ができ、また1位を取れました。1位を2つ取れたことで、3種目目もいけるんじゃないかと思い、自分としても気持ちが盛り上がってきて。
3種目目では絶対に1位を取るんだという気持ちで、普段の練習でやったことがない演技をやろうしました。そうしたら、今までしたことのない失敗をしてしまい……。
結果、前十字靭帯断裂の大怪我をしてしまいました。
ー大怪我の後、次のアジア競技大会の代表選手に内定した23歳まではどのような生活を送っていましたか?
1年間はずっとリハビリ生活をしていました。
ちょうどその頃、ジュニアからシニアの選手になるというタイミングで。今までライバルは同年代だったのですが、急にベテランの大人の方と試合をすることになって、歯が立たない状況でした。
学業も、幼稚園教諭・保育士・小学校教諭の3つの資格を取るために、たくさん授業を受けなくてはならず忙しかったです。大学の授業が終わった後に練習に行き、その合間を縫ってトレーニングをするという日々でした。
2017年のロシアである世界選手権で代表入りするという目標を立てていたのですが、実際はその1つ前の2016年の時に代表に選ばれました。本命は2017年だと思っていたので、2016年の代表選考では力まずに挑んだら優勝して。
そこからは、今に至るまでずっと日本代表に選んでもらっています。