「学校教師×スポールブール日本代表選手」独自のキャリアを築いた宇津木 春菜の挫折と成長

今回は、中学校・高校で非常勤講師として理科を教えながら、スポールブール日本代表選手としても活動している宇津木春菜さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、競技としてスポールブールを始めた経緯について伺います。

 

受験で第一志望校へ進学できず、挫折を経験

–自己紹介をお願いします。

中学校・高校で働きながら、スポールブール日本代表選手としても活動しています。

スポールブール選手としては、2024年に開催されたアジア・オセアニア選手権においてラピッド、ダブルスで優勝、プログレッシブでは準優勝しました。 

–小学生時代について教えてください。

小学6年生の時、家の近くにできた新しい小学校に転校しました。新設された小学校だったので、先生も子どもたちもみんな初めてのことばかりという環境です。

担任の先生の勧めでクラスのまとめ役の立場を担っていて、校外学習や運動会などを行いながらクラスの中で輪が生まれていくのを感じていました。クラスメイト同士も仲がよく、楽しい日々でした。

–高校時代について教えてください。

高校入学後は、発展的な内容を扱う授業が多く、毎日必死になって勉強に取り組みました。 

部活は陸上競技部に入部。もともとは短距離も専門としていました が、顧問の先生の勧めで円盤投げに挑戦することにしました 。最初は投げ方のコツもつかめずに飛距離が出ませんでしたが、顧問の先生のアドバイスをもとに練習を積み重ねた結果、徐々に記録が伸びるようになりました。 

投げた円盤の飛距離を競うというシンプルな競技ですが、円盤を投げるタイミングやフォームなどに着目すると、奥の深い競技であることに気づきました。 目標とする飛距離をだす為に毎日練習したことで、諦めずに取り組む力が身についたと実感します。 

–高校卒業後の進路はどのように考えていましたか。

もともと生物が好きで、高校の授業も生物が好きでした。教員になりたいという気持ちがあったため、教員免許が取得できる進学先を選びました 。浪人生活を経て進学するも、 第一志望の大学には進学することができませんでした。「1年間頑張ったのに、その結果がこれか…」とショックを受けたのを覚えています。

 

留学先の人との出会いで心が開き始めた

–大学入学後はどのようなことに取り組みましたか。

当時は英語も好きだったので、大学1年生の夏休みに ハワイ大学へ短期留学をしました。当時は新しい目標も立てられなかったため、自分の興味のある英語を集中して学びたいという思いで参加しました。 

現地ではホームステイをしながら、英語の授業と理工系の授業を受けていました。自分とは異なる価値観、背景を持った現地学生とコミュニケーションを取れたことで、気持ちも次第に前向きになれました 。

帰国後、自分の通うキャンパスでは、外国人留学生が在籍しているのにもかかわらず、日本人学生との交流の機会が少ないことに気づきました。そこで、様々な学生たちが交流するきっかけを作りたいという思いで、国際交流サークルを立ち上げました。 一緒に短期留学へ行ったメンバーに声をかけ、「どうしたら留学や国際交流に興味を持ってもらえるか?」「理系学生にも留学に関心を持ってほしいね」と話し合いながら 一緒にサークル活動の運営を行いました。

サークルの活動内容としては、留学生による母国語講座や、留学生が地域のお祭りに参加するイベントや交流会等を開いたりしました。 

この頃には、大学入学時に感じていたような気持ちはすっかりと消え去っていました。毎日が楽しく、充実した日々を過ごせました。 

–その後の大学生活で得た経験の中で印象に残っていることはありますか。

大学4年生の時には1年間クロアチアのザグレブ大学へ留学し、獣医学部で学びました。

獣医学部では専門用語をラテン語で覚えなければならなかったり、実習が多かったりと、最初は授業についていくことが大変でした。 知り合いが1人もいない環境の中で生活することに孤独もありましたが、出会った方々が親身になって助けてくれることも多くありました。次第に、「自分は1人ではなく、様々な人たちと関わり合いながら生きている」と思うようになりました。

–卒業後の進路はどのように考えていましたか。

留学後、周りが就活を終えている中で焦りがありました。しかし、海外では就活のタイミングが個々で違うことを思い出し、自分のぺースで進路を決めていこうと思えました。 

教員の募集サイトを見て、大学4年生の2月に職場が決定。4月から非常勤講師として働き始めました。中学生と高校生に理科、生物の科目を教えています。

 

生き抜く力、希望を持ち続けられる世界が必要

–スポールブールを始めた経緯を教えてください。

2020年、働き始めた頃は新型コロナウイルスが流行り始めた年で、オンラインで授業を行っていました。人との関わりが減り、閉鎖的な雰囲気が息苦しいと感じていました。

職場以外に、何か目標をもって活動できる場が欲しいとインターネットで探していたところ、 スポールブールを発見しました。「これは、なんだろう?(部活動で取り組んでいた)円盤投げと似ているところがあるかも」と思ったのが第一印象です。

週末の練習に参加してみると、幅広い年齢層の方が参加していました。初心者の私にも丁寧に教えていただき、チームの雰囲気も合うなと感じました。また、さまざまな職業、年代の方とコミュニケーションを取る機会が得られることも面白いと感じました。

競技を始めて5年目になりますが、今年開催されたアジア・オセアニア大会では3種目で優勝することができ、2025年の世界選手権への出場権を獲得しました。

ただ、出場した4種目のうちのプログレッシブという競技では準優勝という結果に終わり、悔しい思いをしました。

–3種目で優勝。輝かしい実績だと思いますが、なぜですか。

2023年に開催された世界選手権 。ベスト8を目標としていたのですが、9位に終わってしまいました。8位との点差は「1点」。悔しさをバネにしてフォーム改善や体力づくりに取り組み、迎えたのがアジア・オセアニア選手権 でした。

3種目で優勝できた裏側で、優勝を逃した種目がありました。実は、そこで負けたのが2023年の世界選手権 において1点差で8位を獲得した選手でした。なんと、今回も点差は「1点」。

2度も同じ選手に負けて、目の前で目標を逃した悔しさから今回の優勝を素直には喜べない自分がいます。次こそリベンジを果たせるように、今年はスロベニアに行って強豪チームで武者修行をしようと思っています。

–読者の若い世代の方々へメッセージをお願いします。

私は10代の頃、目標とするものがわからず、自分自身を見失った 時期がありました。しかし、毎日生活していると、小さな幸せをみつけたり、新しい目標をみつけてワクワクしたりできます。 私の場合ではそれが、高校時代の円盤投げ、大学時代の留学やサークル活動、社会人になってからの仕事とスポールブールでした。

前向きな人生を送るには、「好きなこと」「興味があること」をみつけるが大切だと思います。私が普段接している中高生はとても素直です。授業中に好きなことや興味があることに出会うと目の色が変わるんです。

未来に対して不安になってやる気がでなかったり、人には言えない悩みがあったり…。ポジティブな感情も含めて、様々な感情がきっと皆さんの中にはあるのだろうと思います。しかし、皆さんは1人ではありません。 いつでも周りには頼れる人がいることを思い出してください。

私も同じ世代ですが、若者には諦めずに生き抜ける力をもってほしい、若者が生きる希望を持ち続けられる世界であってほしいと願っています。

 

取材・執筆=山崎 貴大