武術と保育、強みを掛け合わせてマルチに活躍する別当響

日本代表の重圧と怪我に苦しむ日々

ー日本代表に選ばれてプレッシャーを感じましたか?

プレーシャーは感じていましたね。私の前の代表の方がすごく活躍されていて、大会に出れば絶対にメダルを獲得する実力者でした。だからこそ「自分もメダルを取らないと」というプレッシャーがどんどん大きくなって。

私はリラックスできてるときに良い成績が残せるタイプだったので、その時期はどんどん追い込まれて、実力が出せていなかったと思います。

ー2018年にまた大怪我をされていますよね?

2018年に、武術太極拳の最高峰であるアジア競技大会がありました。前の代表の方はアジア競技大会でもずっとメダルを取っていたので、自分もメダルを取らなければと焦ってしまっていて。そんな中で、アジア競技大会の直前に半月板を損傷してしまいました。

大会の出場も危ぶまれるような状況だったのですが、周りの方の助けもあり、なんとか出場ができました。結果5位に入賞したのですが、帰国後に半月板の再断裂をしてしまい……。

武術太極拳の競技人生は、長くはありません。23歳という年齢で1年間リハビリに時間を費やさねばならなくなり、絶望を感じました。

ー大怪我から1年後、どう立ち直って全日本大会を優勝したのですか?

半月板断裂の怪我は、完治するのに1年間かかると言われていました。半年くらいかけて漸く歩けるようになって、最終的に武術をできるようになるには1年かかるというイメージです。

怪我を治すときは、焦りとの戦いがあります。私がリハビリをしている間、ライバル達は自分のレベルを上げるためにどんどん練習している訳ですよね。

そこで焦りを感じて無理をしてしまい、更に悪化してしまうことはよくあります。だからこそ、その時はリハビリにだけ集中するように心がけていました。

「この怪我は今の自分にとって必要なもの」「二度と怪我をしない体を作るためにリハビリをしている」そういった前向きな考え方をして、自分で自分を励ましながらリハビリを続けていました。

その甲斐もあって、1年かかると言われていた怪我でしたが、半年で完全回復することができました。

全日本大会までの残りの半年、武術の練習に注力できたことで、大会にベストな状態を持ってくることができました。ただ、1種目目も2種目目も全然ダメで。

周りも諦めている雰囲気だったのですが、3種目目で自分でも思いもよらない力がでて優勝できました。今でもその時の映像を見ると泣きそうになります。

ーその時の経験が今の別当さんに繋がっているんでしょうか?

そうですね。半月板を断裂した瞬間は、「終わった」と思いました。ただ、その時も寝て起きたら忘れるという力を発揮して(笑)。

怪我した瞬間はどん底まで落ち込んでいたのですが、次の日起きたら「俺ならできる」という気持ちに切り替わっていました。

そこからはずっと前しか向いていません。中国に単身で乗り込んで合宿もしましたし、とにかく挑戦すればなんでもできるという自信がつきました。

大きい怪我を乗り越えたことや、中国への武者修行のように自分からどんどん行動を起こしていくことが、今の自信につながっていったなと思います。

「武道」と「保育」、自分の強みを掛け合わせた活動

ーそれからどのような流れで、ベビーシッターを始めたのでしょうか?

ベビーシッターなどの活動を始めるターニングポイントは、その後の世界選手権でした。2019年の全日本大会で優勝して日本代表に選ばれたのですが、その後の世界選手権で大敗してしまい……。

それに加え、怪我で入院してるときは働けなかったので、そこからお金が足りなくなっていきました。

20代も後半だったので、独り立ちしたいと思っていたのですが、それも叶わず。その時の収入源は、自分のチームにカンフーを教えたり、チームの運営を手伝ったりしていたのですが、限界を感じていました。

そんなタイミングで世界選手権を惨敗してしまったので、ダブルでストレスを感じ、精神的にも生活も厳しい時期でした。

何か収入を上げる方法はないかと探している中、たまたま先輩からベビーシッターを紹介してもらいました。

ー保育士教諭、幼稚園教諭、小学校教諭の資格もお持ちということですが、そこでベビーシッターを選ばれたのはなぜでしょうか?

収入の問題で、新しくなにか始めないといけないとなったとき、保育士や小学校の先生として就職してしまうと、時間も限られてしまうと悩んでいて。そんな中、時間の融通の利く仕事としてベビーシッターを紹介してもらい、まずそこに登録したのが第一歩でした。

実際に登録して始めてみると、男性でアスリートで保育士の資格を持っていることが強みになって、予約が殺到し大阪府で3位の売り上げになったんですね。

子どもを預ける側の親御さんからは、子どもと一緒に走り回ってアクティブに遊ばせて欲しいという要望がよくあります。そこに、男性でアスリートという要素がマッチしたんだと思います。

たくさんの予約を得られたことで、自分は世間からこんなに求められているんだと自信がつきました。

ー収入が安定しだしてからは精神的にも安定しましたか?

そうですね。

今まで武術の指導と、競技だけに集中して生きてきたのが、社会に出て自分で仕事を生み出していく中で一気に成長できたという感覚がありました。

コロナの影響で、全日本大会はもう2年連続開催されていません。

そんな中でも、ベビーシッターの仕事のおかげで後ろ向きに考えることはありませんでした。今の自分にできることは生活を安定させてこれから活躍できる環境を整えることだと思って、今はそこに集中しています。