パラレルキャリアとして一見共通点のない3つの仕事をザックが選ぶまで

色々なキャリアの人たちが集まり、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。本日は、3足のわらじで生活をされている松村ザック遥さんをゲストにお迎えしました。

新卒でシンガポールのIT企業会社に就職、ネットワークエンジニア及びプロジェクトマネージャーとして働きながら通訳案内士としても働いていたという松村さん。2019年に独立され現在はXballのプロ選手、コミュニティマネージャー、通訳案内士として複業されています。

パラレルキャリアという働き方にたどり着いた経緯や、3つの異なる仕事の共通点、今後のお仕事における目標等をお伺いしました!

中学の時に経験した組織作りの難しさ

ーまずは簡単な自己紹介からお願いします。

下関市立大学を卒業後、新卒でシンガポールのIT企業で働きました。今はフリーランスでコミュニティーマネージャー、テクノスポーツ選手、通訳案内士として働いています。

ー3つの仕事をされているんですね!1つずつ詳しく聞かせていただきたけたらと思いますが、まずはネットワークエンジニアとして就職に至るまでの経緯をお聞きしたいです。中高時代に何かきっかけとなりことがあったのでしょうか。

今の自分を形成している出来事の1つは中学時代にあります。当時私は山口県の米軍基地がある地域に住んでいました。そして中学1年生の時に学生団体を設立し、山口県にいるアメリカ人と日本人を繋げる交流イベントの企画をその学生団体で行っていました。しかし設立して1年程で父親の転勤で引越しがきまり、幹部を交代しました。その結果、せっかく設立した団体はすぐに潰れてしまいました。

ー中学1年の時点で学生団体設立はすごいですね。団体がなくなってしまったのは何が原因だったのでしょうか?

当時は自分が頑張れば全てなんとかなると思っていました。所謂ワンマン経営状態だったんです。そのためリーダーが変わった瞬間に、動く人がいなくなって潰れてしまいました。後陣の育成をしていなかった、自分なしでも団体が回るように引き継げなかったのは自分の責任だったので悔しかったです。

それ以来、組織が継続していけるかの大部分はコミュニケーションにあると感じています。コミュニケーションがきちんと取れていてバックアップ体勢があるかどうかが組織において大事なことだと知ることができました。

ー組織作りの原体験が中学生の時に既にあったんですね。その後どのような学生生活を送られたのですか?

引越し後住んだのが山口県の下関だったんですが、下関は以前住んでいた地域と違って海外の人がほとんどいませんでした。英語を使える環境があったことはとても恵まれていたのことに気づき、その環境を生かしてこなかったことを後悔しました。それまで頑張ることはかっこ悪いと思っていましたが、その時から頑張るのがかっこ悪いと思うことがかっこ悪いと思うようになりました。そこから英語を勉強するようになり、自分の英語力を伸ばすために観光客の外国の方を対象にツアーガイドをするようになりました。これが今の通訳案内士の仕事に繋がっています。

留学まみれの大学生活を経て内定を獲得

ー高校の時の活動が今の通訳案内士というお仕事の1つになっているんですね。

はい。高校2年生の時にはオーストラリアに1ヶ月留学も行きました。両親が英語を頑張っているのをみてくれていて、力試しに行ってみたらと学校の派遣留学プログラムを進めてくれたんです。

ー行ってみてどうでしたか?

思ってたよりコミュニケーションをとることができました。英語はツールだとよく言われますがそれをまさに実感しましたね。1週間ごとに日記を残していましたが、自分の英語に対する自信がどんどん上がっていたので行ってみてよかったです。これをきっかけに大学に入ったらもっと長期で留学をしたいと思い、本格的に勉強しだしました。

ーそして下関市立大学に進学されるんですね。

はい。振り返ってみると大学では1年どころか、毎年のように留学に行っていました。1年目は中国に1ヶ月程、中国語を勉強しに。2年目は台湾に1ヶ月程。3年目はオーストラリアのクイーンズランド州立大学に1年留学。そして4年目ははシンガポールにインターンで行きました。

下関市立大学は経済学部しかないので経済を勉強していましたが、副専攻で言語学とコミュニケーション心理学を勉強していました。シンガポールにはインターンが目的で行きましたが、同時にシングリッシュというシンガポール独特の英語がどう成り立っているかを研究していました。

ー留学まみれの大学生活を送られていたんですね!逆に日本にいられたときはどのような学生生活を送られていたんですか?

空手サークルと国際協力団体のサークルに所属していました。大学時代は中学の頃の経験から自分が前にたって動くというよりかは、サポートの立場に回るようになりました。頑張る人の支援に回ることに楽しみとやりがいを感じるようになっていました。

ーシンガポールの企業への就職はどのような経緯があったんですか?

大学1年生の時から海外で仕事をしたいと思っていたのですが、インターンでシンガポールに行った際に縁ができ、最終的にシンガポールのIT企業に内定をいただきました。ちょうどその会社がオフィスを東京に立ち上げることになり、東京で働くことになりました。

大学時代からパラレルキャリアを検討していた

ーその後、現在の働き方にどうして変わったのでしょうか?

海外で働きたいと思った理由の1つに複業に寛大な会社を見つけたかったということがありました。当時まだ日本では複業やパラレルワークを承認している企業は少なかったんですよね。

複業を考えるようになったのは父親の影響があります。父親がパイロットだったんですが、パイロットは定年が早いので転職活動をしていたんです。それを間近で見て、複数の仕事をやった方が将来的な安定には繋がると思いました。なので大学時代から1つの仕事ではなく複数の仕事を掛け持つことで生活したいと思っていました。そのためまずはネットワークエンジニアとして働きつつ、高校からやっていた通訳案内士の仕事を副業にするところからはじめました。

ーなるほど。ネットワークエンジニアの仕事を退職したきっかけは?

元々、エンジニアを目指していたわけではなくエンジニアのマネージャー、プロジェクトマネージャーを目指していました。先にエンジニアを経験することでエンジニアに必要なサポートを提供できるようになりたかったんです。

そして案件の統括を担当する中で、プロジェクトないの会話、そして人間関係、いわゆるコミュニティの支援をもっとやりたいと思うようになりました。そのタイミングでWeWorkがコミュニティマネージャーを募集している話を聞き、その職種こそ自分にぴったりだと思いました。そして当時はまだベータ版だったサービスPotluckのイベントで幹事のような動きを勝手にしていたんですが、それがきっかけコミュニティマネージャーとして働けるようになりました。

ーコミュニティマネージャーとして働いてみてどうでしたか?

やってみたら結構大変でした。Potluckはエンジニアが海外の方が多いのでコミュニケーション面での支援、社内の技術職と営業職を繋げることなど多岐にわたるのですが、コミュニティに関しては特に数値化できないので進捗状況がわからないんです。そういう意味で他の仕事も掛け持ちをしているのは精神衛生上よかったです。

ー現在はどこの会社のコミュニティマネージャーをされているんですか?

現在は渋谷QWSという場所で働いています。それまでは主にサービスに付随するコミュニティマネージャーをしていましたが、実際の空間に対するコミュニティマネージャーを経験することで両方の性質のコミュマネの仕事を把握して、コミュニティマネージャーといえばこの人!と言ってもらえるようになりたいと思ったんです。

ーサービスと場所のコミュニティマネージャーは違いますか?

全然違います。仕事内容がかなり違うので、同じ職種と言っていいのか微妙だなと思っています。サービスのコミュニティマネージャーは社内向けで必要なところで助けるというスタンスが中心でしたが、コワーキングスペースのような「場」のコミュニティマネージャーは自発的な行動が必要となります。きている人が必ずしも要望を口に出してくれるとは限らなくて、その場にいる人を見て、察して、提案することが必要で、自分の目線の使い方を意識するようになりました。あとは雑用なども多いですね。隅々まで神経を張り巡らすようになりました。

ー両方を経験したことでコミュニティマネージャー像がアップデートされたんですね。

プロ選手も複業であれば実現する

ーもう1つのお仕事、テクノスポーツのプロ選手についても教えてください。Xballとはどのようなスポーツなんですか?

簡単に説明すると、敵を倒せるハンドボールのようなスポーツです。が、VRゴーグルをつけ、腕にモーションセンサーをつけて戦います。2019年に株式会社meleapが開発したまだ新しいスポーツで、有名なHADOと違ってまだ一般公開はされていません。プレイできるところは日比谷にある株式会社meleapの本社で、練習会と不定期で公式選手によって開催されるイベントでのみプレイが可能になります。

ーeスポーツではなくテクノスポーツと呼ばれるのには理由があるんですか?

eスポーツの一貫ではありますが、eスポーツと異なり椅子に座らず身体を実際に動かしてプレイするため区別をしやすくテクノスポーツと表現されています。

ーそうなんですね。どうやったらプロになれるのでしょうか?

練習会に数回参加し、ドラフト会議のようなもので監督から指名されたらプロになることができます。今年からプレプロリーグが始まりましたが現在はコロナの影響で中止となっています。

ープロになったきっかけはなんだったんですか?

もう1つ仕事をするなら自分の好きなことでやりたいと思っていたんです。あとは話題性ですね(笑)コミュニティマネージャーでテクノスポーツのプロ選手はいないので、いろんな人と話すきっかけになると思いました。結構目立つのが好きなので。

この赤い髪の毛も実はXballのことを考えて染めていて、一般的なスポーツ選手と違ってVRゴーグルのようなデバイスををつけると顔が隠れて誰か分からなくなってしまうので、そんな状況でも僕を見つけてもらえるようにという願いも込めて染めました。実際赤髪で結構覚えてくれる人も多くなっていますね。効果的面です笑

実はフリーランスになる直前までHADOでもプロ選手を一時期やっていました。ですが、HADOは練習時間が多く、お金と時間を捻出できず断念した経緯があります。改めて仕事としてプロになれそうなものを探していた時に、プロリーグを設立するのが前提でできたXballを見つけました。まだまだ始まったばかりでマイナーなスポーツではありますが、活躍すればお金がもらえるのでプロとして、仕事として携われる可能性に魅力を感じました。

ー賞金などでお金がもらえる仕組みになっているんですか?

1ラウンドごとに優勝賞金がでます。また、チームごとにチームグッズを作るのですがその販促費用がでます。あと、Xballは投げ銭ができるスポーツなのでそこからの収入も期待できます。

スポーツを職業にすることは難しいと考えている人は多いと思いますが、それも複業でやれば不可能ではないと思います。マイナースポーツは特に、他の収入源がないと厳しいです。プロ選手という職業に限らず、どんな職業であってもパラレルキャリアであれば仕事として成り立つものは多くあると思っています。

パラレルキャリアの発信を強化していきたい

ーまだまだ珍しいパラレルキャリアですが、働いている中でキャリアにおいて直面する課題はありますか?

先駆者がいないということ、ですかね。パラレルキャリアについてもっと発信していきたいと思っているものの、周りの人がどのような情報を求めているのかまだ掴めていません。3つ全く同じ職種の組み合わせじゃないと参考にならないこともあるのかなと感じています。また、それぞれの仕事のレベルアップをこれからどうやってしていくかも自分の中では課題です。

ー仕事・プライベートにおいて大事にされていることはありますか?

1つは選択そのものを尊重することです。決定すること自体に善悪はなくて、環境と時期と周りの見る視点によって良い・悪いと判断されているだけだと思っています。なので自分自身が自分を信じて選択することだけではなく、他人の選択も尊重して応援することを大事にしています。

あとは他人と同じことをしないことと、チャンスを逃さないことです。自分から手をのばさないことによってチャンスを逃すことはしたくないので積極的にいろんな人とコミュニケーションをとって、見つけたらすぐに飛び込むようにしています。

コミュニティマネージャーと通訳案内士とXballのプロ選手は全く共通点がないかのように見えるかもしれませんが、全て何かと何かを繋げる仕事という点では共通しています。コミュニティマネージャは人と人やビジネスとビジネスを繋げる仕事。通訳案内士は日本人と外国人、日本の場所と観光客を繋げる仕事。Xballのプロ選手はマイナースポーツ業界とそのスポーツを知らない人たちを繋げる仕事と思っています。

ー最後に今後の展望について教えてください。

これから1年位かけて、まずはフリーランスとして安定させていきたいと思っています。Xballのプロリーグも始まるのでその土台作りにも力を入れたいです。3年後にはパラレルキャリアについて発信したいと思っているのでその発信力をこれから鍛えていきたいと思っています。5年後には本を出したり、イベントで登壇することが目標です。

ー素敵ですね、今後の活躍を応援しています!

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆:松本佳恋(ブログ/Twitter