2、3年後には図解を卒業します。「図解クリエイター」新垣才が語る、大学在学中から好きを仕事にした方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第110回目のゲストは合同会社ウェブデリの新垣才さんです。

新垣さんは、中学時代はバスケ、高校時代はアニメに熱狂したそう。その一方で不登校や勉強のやる気を喪失するなど、自分の人生にしっかりと向き合い、悩みながらも行動していく姿が魅力でした。現役路線とアニメイベントのある東京を優先し、東京工業大学に進学します。

大学院時代にTwitterで見つけた有名Youtuberのオンラインサロンで「図解」の世界を開拓した新垣さん。その背景には、好きを緻密に分析する力と方針に沿って行動する場がありました。

ーまずは自己紹介をお願いします。

図解クリエイターの新垣才です。「図解」とは、様々なモノゴトを整理整頓し、図形や文、アイコンなどを用いてわかりやすく説明したものです。図解を作ったり、図解の作り方を教えたりすることを仕事にしています。

また、合同会社ウェブデリを2020年4月に立ち上げました。ウェブデリでは、図解でコンテンツを視覚化する事業を展開しています。具体的には、スライド制作、スライド研修、SNSやWebメディア運営などです。「伝えたい想いが伝わる世の中を創る」を、企業ビジョンとして掲げています。

ー図解って、独特のポジションですよね。

そうですね。僕は、デザイナーではないので図解クリエイターと名乗るよう意識しています。デザイナーと名乗ると、WEBデザイナーやグラフィックデザイナーを思い浮かべると思いますが、図解はまた違ったアウトプットなんです。

バスケ少年の中学時代と根暗なアニメオタクの高校時代

ー図解クリエイターとなるまでの歩みを教えていただきたいです。学生時代はどのように過ごされていましたか?

中学受験をし、中高一貫校に入学しました。6年間を通してバスケ部に所属していました。部活自体の練習量が非常に多く、ほぼ毎日、バスケをしていました。あまり熱心な部員ではなくて、やる気がない方だったと思います…。もちろん、試合ではスタメンではなくベンチスタート。

ただ、それは中学生までの話で、高校1年生で、突然やる気が出たんです。朝の自主練もしましたし、本を何冊か読んで自分のポジションでの動きへの理解を深めました。一生懸命に練習を始めて2か月くらい経った頃に、腰に痛みを覚え…。医師の診断結果は「第五腰椎分離症」。過剰な練習が原因の疲労骨折でした。

ー振り返ってみて、どのような子どもでしたか?

小学生では学級委員長をやっていて、明るい性格でした。中学から突然静かになり、思春期で自分の容姿を気にするようになって、周りと全然話さなくなってしまったんです…。かなり根暗な性格でしたね。その上、腰の骨を悪くしたことが重なって精神的に病み不登校を経験しました。

ー思春期は人間関係で壁にぶつかったんですね。学業の方はどうでしたか?

中学生の時に、漫画「ドラゴン桜」の影響を受けて、「東大に入りたい!」と思うようになり、愛知県から両親に連れられて見学にまで行きました。しかし、不登校になると共に、勉強へのモチベーションも一気に下がってしまって…。高校3年生に進級するまでは、全く勉強をしていませんでした。

ーそのような状態から、大学進学とどのように向き合われたのでしょうか?

不登校になっている時、アニメを見ることが僕の楽しみでした。アニメのイベントは東京に集中しているので、それで、絶対東京には行きたかったんです。両親と相談し、資金のことも考えて国立大で理系の東京工業大学へ進学を決めます

大学デビューとプログラミングの壁

ー大学生活はどうでしたか?

ダンスサークルに入り、友達ができて、性格も明るくなりました。仲間たちと過ごす時間はとても楽しかったですね。他に、軽音サークルにも入っていて、バンドでボーカルをしていました。大学デビューというやつですね。

ー友人にも恵まれ、充実した大学生活を送られた後、大学院に進学したんですね。進路はどのように決められたのでしょうか?

大学では情報工学を勉強していました。これから伸びる分野であるという確信があったので選んだんです。東工大では9割程の学生がそのまま大学院への進学を選びます。「まだ働きたくないな」という気持ちもあり、僕も院に行くことにしました。大学では4年間、プログラミングを学んでいたんですが、大学院に入りようやく、プログラミングが好きじゃないことに気づいたんです。時間を無駄にしているような感覚さえ覚えていましたね。

5月には研究室も辞めてしまいます。教授との相性や失恋などでかなり落ち込みましたね。学業でのストレスがたまった状態で彼女と喧嘩し、振られてしまいました。当時は、かなり凹んだ記憶があります。

ー辛いことが一度に起きると、なかなか立ち上がるのも難しかったのでは?

数時間とにかく泣いて、「これからは好きなことをやろう」と気持ちを入れ替えられました。「ようやく解放された」そんな気分でした。経営や、人と関わること、事業立案などに関心があったので、もう一度大学院へ入学しなおして勉強を新たに開始することにしたんです。

5月には新たな進路を決め、8月の入試に備えて勉強の日々を送りました。無事に合格して翌年4月に経営工学部に入学できたんです。

ー入学までの期間はどのように過ごされていたんですか?また、入学後はどうでしたか?

他の学生は4年間経営を学んだ上で進学するので、そのレベルに追いつく必要があります。経営の国家資格を独学で勉強し、入学に備えました。大学院の修士課程は2年間です。1年目は就活に注力し、2年目はオンラインサロンで大学以外で出会える方たちとの交流を広くもちました。そこから、僕の現在の活動である図解クリエイターにつながっていきます。

はあちゅうサロンがきっかけで、図解の世界と出会う

ーオンラインサロンに入られたきっかけはなんでしたか?

はあちゅうさんの「自分を仕事にする生き方」という本を読んだところ、面白かったので、はあちゅうさんのツイッターをみたんです。Twitterを見ると、新しくオンラインサロンをはじめますとツイートしていたので、入ることに決めました。就活が終わりかけで、次の趣味を探していたタイミングでもあったんです。

ー好きを仕事にする発想はそこから強く持ったんですね。

僕の趣味は読書で、ロバート・キヨサキ著の「金持ち父さん貧乏父さん」という本に特に影響を受けています。本の中で会社員・自営業者・ビジネスオーナー・投資家という4つの働き方が紹介されているのですが、どれも自分でやってみたかったんです。オンラインサロンに入り、自分の商品やサービスを作って、稼ぐという経験を積みたいと考えていました。

ーそこから今のお仕事である図解へと繋がったんですね。

はあちゅうさんのサロンは、オープン3日後にはメンバー数が200人に到達していました。サロンのslackは、熱量が高く、24時間動いていたため、そこに流れる情報量も膨大でした。

そこで、サロンメンバーのことを考え、情報を簡素化して理解しやすくする取り組みを導入してはと考えたんです。図を用いて方向性の提案を投稿しました。すると、メンバーからポジティブな反応が次々と返ってきました。わかりやすい、どうやって図にしたのか、教えて欲しい…。その言葉を目にして、図にまとめることが誰にとっても得意なことだというわけじゃないと気づいたんです。

ー図解という切り口が導かれ、その後、どのように活動を発展させていったのでしょうか?

まずは友人のカフェでサロンメンバーに向けて図解を教えるワークショップを開催しました。2回目からはTwitterで募集し、外部の方も参加できるように。そうやって、すこしずつ広げていったんです。そのような活動を通し、Twitterを経由していくつか仕事の依頼をいただけるようになりました。会社員になって3ヶ月経った頃には、長期的な業務委託契約の相談を2社からいただき、図解クリエイターとしての収入も増えていきましたね。

ーご自身のサービスの金額設定を行っていくのも、難しい工程だと思います。どのように決められましたか?

安売りしちゃだめというのは、周りの事業主の先輩や読んだ本から学んでいました。そのため、自分にとっては挑戦的な価格の1枚5,000円を設定しました。図解のサービス提供を行っている他の方の価格表も参考にしました。

ー1枚ごとではなく、中長期の業務委託契約となると、また金額感も違ってきますよね。

ご相談いただいた中長期の業務委託契約の請求では、図解枚数あたりの金額でも、月額報酬でもいいということでした。そこで、時給2,000円ほどで稼動工数を考え、月2万円の契約で提案したんです。しかし、「安すぎる」という理由で請求書が通りませんでした。その後、クライアントから4倍程の報酬をご提案いただきました。衝撃と同時に、とても嬉しかったですね。商品としての価値が認められたことで、学生感覚が完全になくなりました。自分の市場価値をしっかりと理解することができたんです。

ーそのまま複業ではなく、独立を選ばれていますね。

会社員生活は11ヶ月で終わりましたね。会社員の、月給制という給料体系が好きではありませんでした。月に160時間働き、定額をいただくという契約内容です。自分がお金を得るために会社に売るのは時間です。なので、言われたタスクを全部やらないといけません。納得しなくとも、やりたくなくとも、お金もらうためにやらなきゃいけないという感覚を個人的に感じていました。

一方で、社会人と同時並行で実践していたフリーランスの働き方では、成果に対し、対価であるお金をもらっています。やりたくないなら断れるし、値段交渉もできます。そのほうが僕は性に合っていました。

実家が近くにあって、お金に困った際には拠点を移せばいいというのも、精神的なセーフティーネットになっていたと思います。また、彼女と同棲をスタートさせることになったとき「いざとなったら、私が助けるから」と後押ししてくれたことも大きかったです。僕はきっと、今踏み出さなければ、この先もなにかと理由を付けては二の足を踏んでいたと思います。早いうちに行動に移したほうがいい、そう思って、独立、そして起業を選びました。

ー将来の展望はありますか?

2、3年で「図解の人」というイメージを卒業したいなと考えていますもうワンステージ先に進みたいですね。企業コンサルや、企画立案などに携わりたいです。図解を活かしつつ、別の領域に手を広げるイメージです。そのために、ブランド戦略やUXデザインを学びたいと考えています。

ー新垣さんは、図解に出会えて変わったと感じられます。まだ自分の道が定まっていない人にアドバイスはありますか?

まずは、小さいことで構わないので「やりたい」「好きだな」という気持ちを大切にして欲しいです。例えば、食事のときにお店のメニューで「これが食べたい!」と感じるものを注文する。歩きながら、周囲を観察し、「あの店のデザインや見た目が好き、嫌い」と考える…そんなことでもいいんです。何が好き・嫌い、何がやりたい・やりたくない…その判断を小さいことでいいので日常から実践してみる。判断力というのはスキルだと思うので、やらないと感覚が鈍ります。育てていきましょう。

また、特にこれは学生に伝えたいのですが、学生は社会人経験の浅さから分からないことがたくさんあるので、すぐに自分の道を見つけようとすることを諦めるのもオススメです。就活においても、いきなり100点狙いで新卒入社しなくて大丈夫。1社目を決めることは人生の一大事だと感じる人もいるかもしれません。しかし、学生から社会人になる過程で、社会の見え方や自分が進みたい道は絶対に変わります。

最後に、様々なことに手を出してみることです。僕は好き嫌いあれど、いろいろなことに挑戦しました。FPの資格取得、中小企業診断士の勉強、会社員で広報と人事、業務委託契約ではWEBマーケティング…いろいろやっていく中で、僕自身、好きなことの輪郭をよりはっきりと掴めていくことができたので。

ー本日はありがとうございました!

取材者:三田 理紗子
執筆者:津島菜摘(note/Twitter
編集者:野里和花(ブログ/Twitter)・三田 理紗子
デザイナー:五十嵐有沙