無半麻土 ナディル 立輝に聞く。 心底笑う人間になるために必要なこと。

夢を見つけた高校時代。きっかけはシンガポール旅行

ー自分のやりたいことに突き進むナディルさんの原点は、ご両親の教えにあったのですね。その後はどのようなことがありましたか?

9歳の時に日本に戻り、東京の中学校に通いました。中学生になって経験したのは、いじめです。外見も名前も珍しく、標的にされやすかったのだと思います。バケツの水をかけられるという漫画で見るようなシーンも経験しました。

しかし私は、いじめられて萎縮するタイプではなかったので「どうすれば生き残れるか」を頭を使って考え続けるような日々でした。

ただストレスが溜まっていたのだと思います。その反動で、高校では不良になりました。喧嘩はしませんでしたが、髪を染めて、服装も校則を守らなくて。だから生徒指導の先生に目をつけられて……それでも反発し続けるような学生でした。

ー自分を受け入れてもらえないストレスが抑えられなくなってしまったのですね。高校では、ずっとそのような状態だったのでしょうか?

いいえ、それでも私を理解し、受け入れてくれる先生が何人かいました。保健・体育の先生や、高校1年生の時の担任の先生です。その先生たちが「ナディルは、やればできる子だ」と信じ続けてくれたのです。

先生たちとの会話を経て、私は「勉強をして周りを見返してやりたい」と思うようになりました。そしてエネルギーを勉強の方に振り向けることができた結果、学力が伸び、私は獨協大学に合格することができました。私を信じてくれた先生たちに感謝しています。

そして、卒業を目前にした冬休みに、私に転機が訪れました。

ー何があったのでしょうか?

将来のビジョンを描くことができたのです。今でも鮮明に覚えているのですが、あるできごとを通して「英語を使って仕事をする」という夢を持つことができました。

そのきっかけとなったのが、母と一緒に行ったシンガポールの海外旅行です。実は、母がこの旅行を企画してくれたのには理由がありました。

私は幼少期にインターナショナルスクールで英語を使って友達と交流していて、英語で話すのが好きでした。しかし日本ではTOEICで点数を取るための英語学習ばかりで……モヤモヤして、母に愚痴をこぼしていました。

そんな私の様子を見て、英語圏の国への旅行に誘ってくれたのです。

ーナディルさんに「楽しい」という気持ちを思い出して欲しかったのかもしれませんね。シンガポールでは、どんなことがあったのでしょうか?

B級グルメを食べたりして旅行を楽しんでいたのですが、いくつかのシーンを目撃しました。白人のおばさんがランニングをしている様子、富裕層の人たちがフットサルで遊んでいる様子、たくさんの中流階級の人たちが屋台でご飯を食べている姿。

それを見た時、私は「ここに安くスポーツを楽しめるスポッチャのような施設を作ったら儲かるのではないか?」と思いつきました。そして同時に「英語で商談する自分」を想像することができたのです。そのビジョンのことを考えると、私はワクワクして仕方ありませんでした。

この経験を受けて「英語」「営業」という軸が私の中に芽生えました。将来は、英語を使って営業する仕事がしたい。そう強く思うようになりました。

大学ではグローバルな活動に注力して想いを強める

ー心躍るインスピレーションを得ることができたのですね! その気づきは、ナディルさんのその後の行動にどのように影響しましたか?

大学でも「英語で仕事をする自分」に近づけるような経験をしようと動きました。具体的には大学2年の時に、インドに進出している日系企業でインターンをしました。

インドを選んだ理由は自分のルーツのある国だったからです。大学1年の私には身の丈を超えた挑戦だったかもしれませんが「自分がどこまで通用するのか試してみたい」という気持ちがあり、チャレンジすることを決めました。

周りは受験戦争から解放された反動なのか、疲弊している人・遊んでいる人が多い印象でしたが、私は高校で荒れていた分エネルギーがあまっていて、大学1年から将来に向けて活動することができたのだと思います。

ー挑戦してみた感想はいかがでしたでしょうか?

「英語で仕事をする」という経験に少しでも触れてみることができたのも良かったですし、それ以上に「海外で仕事がしたい」という気持ちを強めることができました。

海外で働く人たちは、日本の人たちよりもイキイキとしていて、好きなことに時間をかけているように見えたからです。自分もこの人たちと働きたい。この人たちのように働きたい。そう思ったことを覚えています。

ー自分の夢に近い環境にチャレンジしたことで、想いを強めることができたのですね!

その通りです。インターンから帰ってきてからも「英語」「営業」という軸で、次のチャレンジを探しました。すると大学の職員さんから「ビジネス英語部を再建してみないか?」と打診を受けたのです。

私の軸にマッチしていましたし、学生の段階からビジネスを知る機会となること、再建のための手段は自分たちの好きなようにしていいという点に惹かれて、私はこれに取り組むことを決めました。

再建のために集められたメンバーは5人。私たちはビジネス英語部に入部したいターゲット層を明らかにして彼らに響くメッセージを作り込むなど、戦略・戦術を練り込んでいきました。すると……次の春には、なんと90人近くの入部希望を得ることができたのです!

ー見事、ビジネス英語部に活気を取り戻すことができたのですね!

自信になりましたし、多くの人を動かすことのできる「広告」の面白さや、自分たちで何かを企画して実行する楽しさを知りました。そこで私はイベント企画・運営の学生団体を立ち上げることにしたのです。

そこで「獨協ラスベガス」というイベントを開催しました。

ー面白そうなイベントですね! どのような企画だったのでしょうか?

獨協大学の学生と、海外からの留学生の交流イベントです。

この手のイベントはよく開催されていますが、私は留学生と会話をしながら、これまでのイベントには「楽しさ」が欠けていることを知りました。そこで「ゲームを一緒に楽しみながら親交を深める」というコンセプトを思いつき、このイベントを企画したのです。

賭けるのはゲーム用のチップですが、ラスベガスさながらのワクワクを演出できたことでイベントは大盛況となりました! この企画を通して、自分の発想を形にしていく面白さを経験できたように思います。

起業を決意。好きなことを仕事にして、心底笑う人間になる。

ー大学時代に「英語」「営業」「広告」といった軸を見つけ、自分で企画・実行することの楽しさを知ったのですね。

はい、だから就職活動も軸にマッチする企業を探しました。今振り返ると恥ずかしいくらい、そのころの自分は自信満々で。「GAFAよりナディルが上」なんてことを言うくらいでしたから、どの企業にも受かるつもりでいました。

しかし、ビックリすることがあって。1社目の面接で人事部長から「ナディル君は就職しない方がいい。起業した方がいい」と言われたのです。

ー就職のための面接で、起業を勧められたのですか!

私のやりたいことが明確だったことや、「自分でやりたい」という意志がとても強かったことが伝わったのかもしれません。

そんなにもキラキラした目をして、自分のやりたいことを自信をもって語り、立ち振る舞うことができるなら、そこに懸けた方がいいと言われました。

驚いたことに、違う企業の面接でも似たことを言われて。「これは自分でサービスを立ち上げるしかない」と覚悟が決まりました。

ーそしてMJPを立ち上げられたのですね。

結果として、自分でサービスを立ち上げて本当に良かったと思います。最初に語ったような濃い経験ができていますし、やはり自分のやりたいように事業をつくっていけることが自分の性に合っていると感じます。

ー自分に合ったキャリアを選ぶことができたのですね。ナディルさんがMJPについて笑顔で語る姿から、仕事を楽しんでいるのが伝わってきます。

私は「心底笑う経験をたくさんする」ことが1番大切だと思っています。

「人間の幸せとは何か?」という問いについて考えてみた時、世界には色々な価値観がありますが「心から笑う」ということは万国共通の幸せの基準ではないかと考えました。

そのために自分の好きなことをすること。自分にマッチした働き方を選び、楽しみながら仕事をしていくことが大切だと思います。私は今までの人生を通じて、心からそう思っています。

ー自分の好きなことを信じて進むと、ナディルさんのように心底笑う人生を歩むことができるのですね! ナディルさん、本日は素敵なお話をありがとうございました!

取材・執筆:武田 健人(Facebook/Instagram/Twitter
デザイン:安田遥(Twitter