無半麻土 ナディル 立輝に聞く。 心底笑う人間になるために必要なこと。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第629回目となる今回は、日本の職人さんの製品を海外に販売する「Made in Japan Products B2B」で代表を務める、無半麻土 ナディル 立輝(むはんまど なでぃる たつき)さんをゲストにお迎えします。

ナディルさんは、自身の手がけるサービスについて心から楽しそうに語ってくれました。どうすればナディルさんのように幸せなキャリアを歩めるのか。その秘密についてお聞きしました。

日本の職人さんの製品を海外に販売するMJPB2B

ー自己紹介をお願いします。

無半麻土 ナディル 立輝(むはんまど なでぃる たつき)です。

パキスタン人の父と、日本人の母の間に生まれ、幼少期はパキスタンで過ごしました。その後、日本の大学を卒業し「Made in Japan Products B2B」(以下MJP)というサービスを運営しています。

MJPは「越境EC事業」です。現地で日本の伝統的な製品を販売したいという海外の経営者に対して、日本の職人さんがつくる魅力的な製品を販売しています。

私は週4日このMJPの代表として活動を行い、週3日は都内のコンサルティング会社に勤務するという形で働いています。

ーMJPは、海外の方に日本の職人さんのつくる製品を紹介しているのですね! どこの国がお客様になることが多いのでしょうか?

例えば、イギリス、イタリア、アメリカ、インド、台湾などです。特定の地域に関わらず世界中から引き合いがあり、広告を出していなくても先方から問い合わせをいただけるような状態です。今後も取引先を拡大していきたいと思っています。

ー日本の伝統的な製品が海外の方から人気を得ていると知ると嬉しい気持ちになります。MJPではどのような製品を扱っているのでしょうか?

例えるなら「浅草で売っているようなもの」と言えば分かりやすいでしょうか。着物、陶器、タオル、人形・小物など様々なものを扱っています。小物は、だるまや、こけしなどが人気があります。

最近は日本刀などの取扱いも始めました。鬼が出てくる日本のアニメが人気になったこともあり、日本刀も海外からの人気のあるアイテムになっています。

ー日本刀まで販売しているのですね! これらの製品を販売するには職人さんとのコネクションが必要だと思いますが、もともとそのような繋がりがあったのでしょうか?

いいえ、最初は知り合いの職人さんもまったくいませんでした。そのためママチャリを使って東京中を走り、飛び込みで営業をしたのです。

「今日は、この地区の職人さんのお店をすべて訪問するぞ!」と意気込んで自転車で駆け回り、汗を流していた日々を懐かしく思います。

ー飛び込みで開拓されたのですか! 職人さんとは、どのような会話をされたのですか?

飛び込みを始めた当初は「日本の職人さんの製品を、海外に販売する」というコンセプトだけがあり、明確なサービスは描けていませんでした。だから職人さんに直接「何か困っていることはありませんか?」と聞いて回ることにしました。

門前払いもたくさんありましたが、飛び込みを続けていると話をしてくれる職人さんとも出会いました。そこで職人さんは「つくり方は分かるけれども、売り方・広告の出し方が分からない」という悩みを抱えていることを知ったのです。

そんな職人さんの悩みを解決するために、私はSNS広告代理のサービスから始めることにしました。

ー最初はECではなくSNS広告から始まったのですね! それがEC事業にシフトしたのは、どのような経緯があったのでしょうか?

SNS広告を続けるうちに、広告だけではダメだと感じたのがきっかけです。広告でアクセス数は伸びるかもしれませんが、売上が上がるところまで伴走が必要だと感じたのです。

例えば、こんなことがありました。ある日、職人さんが海外からの電子メールをゴミ箱に捨てているシーンを見ました。私はふと気になって、それを読んだのですが……それは海外から届いた注文書で、かつてないほどの発注量だったのです。

私はビックリして「何で、これを捨てちゃうんですか!?」と聞きました。

ーそれは気になりますね! 何があったのでしょうか?

職人さんは「俺には英語は分からん!」と言いました。そこでハッとして気づいたのです。日本の職人さん向けには広告だけでは不十分で、海外との連絡や決済まで含めたトータルサポートが必要なのだと。

ちょうどプログラミングに強い仲間が一緒に活動してくれることが決まったタイミングだったこともあり、私は越境EC事業にチャレンジすることを決めました。

ー職人さんの近くにいたことで、本当に困っていることは何かを知ることができて、越境EC事業の必要性に気づくことができたのですね。

そうです。それに売上になるまで貢献したいという気持ちも強くあったのです。

私は、初めて職人さんからお金をいただいた時のことをすごく覚えています。SNS広告代理の2万7千円の契約だったのですが、嬉しいと同時にその重みに体が震えました。

1ヶ月後に「効果はどんな感じ?」と職人さんに聞かれたのに、思ったような効果が出ていなくて、申し訳なくて涙が出た日もありました。それもきっかけになって、売上が上がるまでをサポートするECの形態にシフトしていったのです。

ーそのような経緯があって、今のMJPの事業ができあがってきたのですね。

しんどい経験ではありましたが、自分でサービスを始めたからこそ、組織に属しているだけでは経験できないレベルでお金の重み・責任を感じられたと思います。それは自分にとって大きな財産になっていると思います。

一自身で事業を行っているからこそ、より一層それを感じることができたのですね。一方でナディルさんはコンサルティング会社で兼業もされていますが、こちらはどのような理由で勤務されているのでしょうか?

フリーランスだけでは得られないビジネススキルを習得してMJPに生かし、また、生計を安定させることでMJPに注力できる環境をつくりたいと思いこの選択をしています。

コンサルティング会社では海外事業部に所属していて、こちらでもかけがえのない経験をさせてもらっており、ビジネスマンとして成長できているのを感じています。

ーMJPの未来につながるように、自身のキャリアを組みたてられているのですね。

幼少期はパキスタンで伸び伸びと育つ

ー素晴らしいサービスをつくりあげているナディルさんが、どのようにして今のキャリアを選択するにいたったのか。幼少期からお話を聞いていこうと思います。

パキスタン人の父が、日本人の母と出会ったことで、私は生まれました。父は日本の中古車をパキスタンに輸入・販売する仕事をしていました。その父が仕事で日本に来た時、街中で母に一目惚れして母に話しかけたそうです。

その後、2人は結婚しました。そして私が生まれ3才になった時、父の仕事の関係でパキスタンに移住することになりました。

母は郵便局員をしていましたが、パキスタンに行くにあたり「何をしようか?」と考えて、日本料理屋を開業することを決めたそうです。

ーお母さんもチャレンジングな方ですね! 大きな決断ですが、まわりは反対しなかったのでしょうか?

周りの友達は口を揃えて反対したそうです。

「失敗するから、やめておきなよ」「パキスタンで日本料理を食べる人は少ないよ」

でも母は自由で、自分の意志に素直な人でした。

「でも、とりあえず、やりたいから私はやる!」

そう言って、パキスタンで日本料理屋をスタートさせました。

ー自分の「やりたい」という気持ちを大切にする人だったのですね!

その結果……日本料理屋は大成功したのです! パキスタンに駐在している日系企業の経営者や会社員の方がたくさんいて。その人たちに「美味しい日本料理が食べられる場所」として口コミで広がり、人気店になりました。

そんな母や父に「好きなことをやりなさい」「悪いことでなければ、何をやってもいいよ」と言われて私は育ちました。パキスタンには受験戦争はありません。小学生の私は、伸び伸びと好きな遊びをして過ごしました。