人の可能性は無限大!フィットネストレーナー石垣優香に聞く、長所に目を向ける大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第663回目となる今回は、フィットネストレーナーの石垣優香さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生時代に陸上競技からボート競技に転向し、日本代表として世界選手権5位となる活躍をした石垣さん。大きな転機をつかんだ彼女が「人の可能性は無限大」と考えるに至ったこれまでの道のりや、自分の長所に目を向けるコツについて伺いました。

「ここなら活躍できる」と信じて。陸上少女がボート競技に転向

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします。

フィットネストレーナーの石垣優香です。高校1年生から大学卒業までの7年間ボート競技をしてした経験を生かして、現在は教える立場から選手を支える仕事をしています。

ー石垣さんがボート競技をはじめたきっかけを教えてください。

中学生のときに、オリンピックなどの国際大会で活躍できる素質のあるジュニア選手を選抜する「トップアスリート発掘・育成事業」に選ばれたことがきっかけです。

事業の一環でさまざまなスポーツ競技をひと通り体験するのですが、その中で一番適性があると高評価をいただいたのがボート競技でした。

当時は陸上部に所属していたのですが、アメンボのように水面を滑るように進むボートの感覚が気持ちよくて夢中になったこともあり、ボート競技をはじめました。

ー陸上競技からボート競技に転向するときに、迷いはありましたか?

ボート協会の方から「君は逸材だ」とスカウトしていただいた言葉を信じました。陸上競技では練習の頑張り方がわからず、都大会出場止まりだったので、「ここなら活躍できるかもしれない」と思いボート競技への転向を決めました。

ートップアスリート発掘・育成事業は、どういう経緯で知ったのですか。

学校で配布されたチラシです。チラシを見た親が「面白そうだし、無料なんだからやってみたら?」と背中を押してくれたんです。運動神経にも自信があったので応募しました。

好きなことを貫いたから、世界選手権第5位の結果を残せた

ー実際にボート競技をはじめてみて、いかがでしたか。

ボート部がある高校まで家から片道1時間以上をかけて通っていましたが、毎日楽しくて仕方なかったです。

ー高校時代に代表選考会に2度挑戦されましたね。

ボートを始めたときに「どうせやるなら、日本代表になって世界に行こう」と目標を掲げて、高校2年生と3年生のときに代表選考会に2度出場しましたが、どちらも落選したんです。

高校3年生のときは、7位までが代表選出されるところ、あと一歩の9位で負けてしまって……。国体選抜などボート部としての活動に目が向き、個人活動をおろそかにしていたと気づき、自分の甘さを初めて反省しました。

そこからは自らの改善点や課題と向き合うようになり、毎日練習所に通って以前の倍の練習を重ねたんです。

「このチャンスを逃せない」というモチベーションで挑んだ3度目の代表選考会で、やっと19歳以下の日本代表選手になることができました。

ー日本代表になってからの生活はいかがでしたか?

トレーナーや栄養士などの人的サポートが手厚く、ハード面も整った環境でいきいきと練習させていただきました。

海外遠征では、日本ではマイナーとされるボート競技が海外ではメジャースポーツとして浸透している光景を目の当たりにして、文化の違いに衝撃を受けたんです。ボートが生涯スポーツとして根付いている海外の雰囲気を、日本にも浸透させたいと感じました。

ー海外では世界選手権にも2度出場されていますよね。

はじめて選手権に出場した際は、試合へのプレッシャーよりも、多くの観客で盛り上がる会場で戦えることにワクワクして仕方なかったです。

出場後に「もう一度この舞台に立ちたい」と強く思い、翌年も大会に出場できるよう努力を重ねました。さまざまな壁を乗り越えて自己ベストの第5位に入賞したときは、達成感でいっぱいでしたね。

ー世界選手権での入賞後、代表選手を続けずに大学ボート部での活動に専念されましたね。

世界選手権の決勝の舞台に立つ夢を再び叶えられたことで、個人選手としてはやりきったなと感じたんです。

今後どうしたいかを考えたとき、「私が経験した景色や感覚を周囲にも伝えたい」と思って。日本代表としての個人の活動に区切りをつけて、大学のボート部に戻る決意をしました。