様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第201回は株式会社PATHREE代表の木田奈苗さんです。幼少期から特にやりたいことがなかったという木田さん。大学でも好きなことを見つけられないまま卒業し、周りに遅れをとっているという焦りを感じていたそうです。そんな木田さんが広報という仕事に巡り合い、少し遅めのキャリアスタートをきるまでのお話をお伺いしました。
陸上に取り組む内気な少女だった
―まずは現在のお仕事について簡単に教えてください。
2019年11月に設立しました株式会社PATHREEの代表を務めています、木田奈苗です。株式会社PATHREEでは副業・フリーランスのPRパーソンと企業のマッチングプラットフォームサービスをSTART PRを運営しています。また、直近では現役の広報担当者が1本1万円でプレスリリースを添削する「プレスリリース添削くん」というサービスも提供しています。
―少し子供時代のお話もお聞かせください。どのような幼少期を過ごされていましたか。
人前に出るのが嫌いで、授業中に手を挙げて発言するのも苦手な、いわゆる内気な子供でした。周りの意識が自分1人に集中するのがとにかく嫌だったんですよね。それゆえに、勝負事も自ら率先して飛び込むタイプでもありませんでした。中学・高校と陸上の短距離に取り組んでいたのですが、試合のたびに緊張していたのを覚えています。
―陸上はどのようなきっかけではじめられたのですか。
小学校の頃からもともと足は速い方でした。多分幼稚園の時に男の子から毎日スカートめくりされていて、逃げ回ってるうちに鍛えられていたんだと思います(笑)
それを知っていた先輩が中学に入学したときに陸上部に入らないかと誘ってくださり…特にやりたいことがなかったのでやってみることにしたのがはじまりでした。なので陸上が好きではじめたというよりも、「周りも期待してくれているし…」という受け身なスタンスで陸上の世界に入っていきました。ですが、やると決めたことに対してはストイックなタイプだったのと負けず嫌いな性格もあり、練習には全力で取り組んでいました。推薦で高校・大学に進学できるレベルまで自分を追い込んで練習していました。
―それでは大学でも陸上中心の生活を送られていたのですか。
大学でも陸上を続けるのか悩んだのですが、中高と真剣に陸上に取り組んだことで精神的にしんどいと感じることが増えていました。
例えば毎日食べたものなどをきちんとメモして体重測定したり、日頃から歩き方一つとっても常に「陸上」を意識したり…ストイックが故に細かいところに神経質になってしまっていて、いつの間にか勝負を心から楽しめなくなっていったんです。
また、中高では陸上中心の生活を送っていたため、陸上以外のことに目を向ける余裕がなく、ずっと習っていたピアノも陸上を理由に辞めてしまったりしていました。そんな理由からも、最後の学生生活では自分がやりたいことをやってみたいと思い、大学では陸上から離れることを決めました。
気づいたら何がしたいのか分からないまま大学を卒業
―大学ではどのようなことに取り組まれたのですか。
とはいっても、明確にやりたいことがあった訳ではなかったので、比較的就職先を見つけやすそうなイメージのあった経営学部のある大学に進学しました。千葉出身だったのですが、大学進学を機に東京で1人暮らしもはじめ、結果想像していた100倍くらい楽しい大学生活を送っていました。
―やりたいことは大学生活で見つかりましたか。
それが特に見つからず…周りが就職活動をしはじめていく中でも、何がやりたいのか、どこで働きたいのかがまったく分からず、就職活動もほとんどしませんでした。
みんなができていることをなぜ自分はできないのだろうという気持ちと、同じ大学生活を過ごしていたはずなのにいつの間にみんなはやりたいことを見つけていたのだろうという焦りの気持ちで当時はいっぱいでしたね。
―その結果、大学卒業後はどうされたのですか。
まずは働かなくてはと、美容系の受付のアルバイトをはじめました。でもアルバイトはルーチンワークが多く、「もっと自分でバリバリと仕事をこなしていきたい」と思っていたタイミングで、たまたま大学時代の友人から「広報に興味ない?」と一本の電話がありました。友人の知り合いのWebコンサル企業で広報部を立ち上げるとのことで、当時の私はパソコンさえまともに使ったことがなく、広報って何?という状態だったのですが、すぐに面接を受け、広報として入社することが決まりました。
Webコンサル会社の広報職から独立まで
―経験のない業界・職種での入社に不安などはありませんでしたか。
同年代はその頃すでに社会人3年目なのに私はまだ正社員でもなく遅れを取っているということに焦りを感じていたんですよね。また、Web業界も広報職についてもほとんど知りませんでしたが、無知すぎてむしろ不安はありませんでした。(笑)逆に中途半端に知識があったら自分にできるのだろうかと心配になっていたのかもしれません。
また、昔から漠然と「自分だったらできるかもしれない」という若い頃によくあるような、根拠のない自信を持っていたのも影響したのではないかなと思います。(笑)キャリアをスタートさせる上でも、Web業界に携わることは今後に必ずいきてくるだろうという確信もあったのでとにかく挑戦してみようと思い、入社を決めました。
―入社してみていかがでしたか。
Webについても、広報についてもほとんど無知だったので、勉強と実践を繰り返しながら覚えていく日々でした。初の広報部ということもあり、広報については外部の広報コンサルの方に教えていただきながら、Webの知識については社内の業務の実践や、SEOを意識したブログの更新などを行い基礎を覚えていきました。
そんな中、1人で広報業務をするのはあまりにも悩みが多く、気軽に相談しあえる仲間がいればと思ったことをきっかけに、Twitterをはじめました。もともとビジネス界隈の方たちがSNSをやっているのは知っていたのですが、私自身は他人に自分の事を見られるのが嫌だったので正直SNSは苦手だったんです。でもTwitterをはじめたおかげで似た悩みを持った人と繋がることができたり、広報関係の情報交換ができるようになったりと、本当に世界が開けましたね。結果的に、Twitterをはじめたことがフリーランスとして独立するきっかけにもなりました。
―そうだったのですね。具体的には何がきっかけになったのですか。
Twitterで発信を続ける中で、だんだんと企業の方から広報に関する相談をいただくようになりました。また、同じ広報として働く方が同じような悩みを持ちながら働いていることも知りました。そこから、「私で力になれることがあるなら、少しでもいいので力になりたい」と思うようになり、当時働いていた会社は副業ができなかったのでフリーランスとして独立することを決めました。
同時に、広報の方や企業の方の参考になる広報お役立ちメディア「広報ラボ」の運営も開始しました。
―フリーランスになることに不安はありませんでしたか。
もちろん不安はありました。特に今回は自分の知っている分野での独立であったのと、周りにまだフリーランス広報として仕事をしている知人も少なかったり、不安も大きかったです。でも、やるかやらないかで迷っているときって、自分の中で不安材料をかき集めて悩んでいるだけで、本心ではやりたいと思っているんですよね。だから、これだけ悩んでいるならまずはやってみよう。と決め、個人事業主として開業しました。この時も「何か自分にできるのではないか」という漠然としているけど前向きな気持ちが変わらずありました。
ここまで読んでいただいてお分かりかもしれませんが、私は昔から「これが好きだ」「世の中をもっとこうしたい」「世界を変えたい」といった強い気持ちを抱くことってほとんどなかったんです。だから28歳の今、起業しているなんて当時の私には想像もしていなかったこと。じゃあなぜ今広報という領域で起業するまでに至ったかというと、自分が好きだと感じることで、人の役に立てているという実感を得られているからなんです。
よく、「起業したいけど何をしたらいいか分からない」「自分が将来どうなりたいか分からない」という悩みを聞くことがあります。私もずっとずっとその悩みを抱えていました。悩んだ中で、やっと自分なりの一つの答えが出たんです。
それは、自分の心が動く強く動くことに挑戦してみるということ。初めは社会の何かを変えたいという具体的にやりたいことや好きなことがなくても、何をしている時に自分が楽しいと感じるか、どんな時に嬉しいと思ったかなど、自分の感情がポジティブに動く瞬間をまずはひたすら見つけるんです。自分が好きなことややりたいことを見つけることってとても難しいですが、「楽しい」とか「嬉しい」とか、自分の感情が動くシーンは毎日必ずある。それが私の場合は誰かの役に立てている時、そして誰かが喜んでくれている瞬間に立ち会っている時でした。自分のできることでやりがいを感じられる、だからやってみようと思えたんです。
「全ての企業に広報を」を掲げて起業
―そこからどういった経緯で会社設立に至ったのでしょうか。
フリーランスの時にとある企業のSNS運用をさせてもらったことがきっかけです。当時担当させていただいた企業さんは、世界にある様々なサービスを紹介しているサイトを運営されていました。その時に、世の中にはこんなにも多くの便利なサービスがあることに驚いたと共に、例え便利なサービスでもユーザーが少ないなどの理由でたくさんのサービスが消えていっている現状を知り、自分のことのように悲しくなりました。良いサービスを少しでもたくさんの人に届けることができるのは、やっぱり広報という仕事だなとその時に改めて思いました。
―それで広報に特化した会社の設立を考えられたのですね。
はい。そこから少しでも多くの企業に広報PR活動にと組んでほしいという思いが会社設立に繋がりました。また、そのタイミングで、風潮的に広報の重要性を多くの企業が認識してきている時期でもあったのでニーズがあると思ったんです。
ー確かに最近、広報部署を新しく立ち上げる企業も増えているように感じます。新しく広報担当となる方に何かアドバイスなどはありますか。
社内のキーマンを抑え、広報の必要性を社員全体が意識するように仕向けるのが大事だと思います。「広報をしたことによってこんな影響があったよ」と些細な変化であっても報告し、広報に協力した方がいいのではないかという空気感を作っていくと仕事が進めやすくなります。
―木田さんの思う、広報の魅力はなんでしょうか。
自分の好きなものや良いと思っているものを様々な魅せ方で発信し、誰かにも好きになってもらったり、共感してもらうことができるのは広報の魅力だと思います。色々な職種がありますが、その中でも広報は共感を生み、人の感情を動かすことができる仕事だと思っています。
私は小さい頃から周囲に注目されるのが苦手なので、正直はじめは、「広報に向かないのではないか」と思っていました。でも人からの見られ方を常に気にしているということは逆に企業がどう見られたいかを考え、分析するのに向いているということでもあるんですよね。
自分のそういった性格を活かすことができていることも、広報の仕事が好きな理由の1つです。
ー自分の苦手なことが広報という仕事では活きているは素敵ですね。最後に今後の目標を教えてください!
株式会社PATHREEのミッションでもある「全ての企業に広報を」を達成することが長期的目標です。一社でも多くの企業さんに広報PR活動に取り組んでもらいたいですね。広報PRをまだされていない企業さんにSTART PRやプレスリリース添削くんなどのサービスを活用していただき、最終的には自社で自走できるようにサポートしていきたいと思っています。株式会社PATHREEのサービスが広報PRを始める第一歩となり、企業さんに広報の視点を感じてもらう体験機会を作っていきたいです。
現在もまた、新しいPRサービスのローンチに向けて実は動いています。今後のPATHREEにもぜひ注目していてください!
取材者:山崎貴大( Twitter)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)