日本一アクティブな生徒会顧問、井手野貴将に聞く「他者貢献」が自分に与えてくれるもの

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第311回目となる今回は、日本一アクティブな生徒会顧問の井手野貴将(いでの・たかゆき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

「鳥取の教育を変える」という野望を持つ井手野さん。「他者貢献」をキーワードに様々な活動をしてきた井手野さんのこれまでの経験に迫ります。

生徒の自主性を重んじる日本一アクティブな生徒会

ーまず簡単に自己紹介をお願いします。

鳥取県鳥取市にある鶏鳴学園 青翔開智中学校・高等学校(以下、青翔開智)に勤めております井手野貴将と申します。青翔開智は開校して7年目の中高一貫で、私は理科主任と生徒会顧問をしています。

ー青翔開智の生徒会は日本一アクティブだそうですが、具体的にどのようなことをされているのでしょうか。

青翔開智の生徒会では、誰もが自分のやりたいことを意見して行動にうつしています。各ご家庭からいただいている生徒会費の管理も教師ではなく、生徒と行っているという点で他校の生徒会と大きく異なるかと思います。

また、プロジェクト活動という制度を設けていて、委員会活動・学校内活動でなくても希望する活動の必要経費を生徒会に申請することができます。生徒が申請書を生徒会に提出し、許可がおりれば、生徒会のプロジェクト活動費から予算が支出されますが、みなさんからいただいているお金ですので、個人ではなく生徒全員に還元されるような活動であることが前提となっています。

ー青翔開智の生徒会は日本一アクティブだそうですが、具体的にどのようなことをされているのでしょうか。

大きなものだと一昨年行われた「安部小プロジェクト」という活動があります。鳥取県には安部小学校という小学校があったのですが、統廃合で廃校となってしまいました。安部小学校から青翔開智に進学した生徒から、母校をそのまま廃れさせてしまうのではなく、地域の方々の要にするため夏祭りの会場としたい、という申請を受け、活動費を支給しました。本校の軽音部にパフォーマンスをお願いしたり、運営にも生徒が関わりました。

また、今年度は新型コロナウイルスの影響で様々なイベントが中止になったこと、生徒・保護者・地域のみなさんを癒すイベントをしたいことからキャンドルプロジェクトを行いました。学校は正面が曲面を描いたガラス張りになっているのですが、そこにLEDキャンドルを並べ、地域のかたや学校関係者に楽しんでいただきました。多くのイベントが中止になる中で、ちょっとしたイベントにもなりましたし、来年度への明るい希望となったのではと思います。

ーそんなユニークな生徒会ですが、井手野さん自身は顧問としてどのように関わっているのですか。

なるべく「イエス」を言ってあげるようにしています。生徒がやりたいことに対し、否定をせずにまずはやらせてみる。そして彼らがサポートを必要とするときに手助けをし、教師と生徒、という上下の立場ではなく、生徒と同じ立場で一緒に物事を進めていくことを意識していますね。

原動力は人の喜ぶ笑顔。正義感溢れる学生時代

ー現在に至るまでの経緯もお聞かせください。どのような幼少期を過ごされていましたか。

地元は鳥取県で、鳥取砂丘の近くで生まれました。何かあれば砂丘に行っていましたね(笑)海も山もある自然豊かなところでしたので、アクティブな幼少期を過ごしました。フィールドワークなども好きで小学校帰りに友達と釣りをしたりしました。

小学校、中学校ではリーダーシップを発揮するようなポジションにいることが多く、次第に喋ることも、指揮を取ることも好きになりました。中学、高校では生徒会長をやっていたのですが、自然な流れで決まっていましたね。大学では何もしないつもりだったのですが、1年経つと飽きてしまい結局教育学部祭実行員会に入っていたので、元々そういう性格なのだと思います。

ー当時、学生だった井手野さんはどのような生徒会を運営していたのでしょうか。

中学の生徒会顧問の先生方は「好きにやってみなさい」と生徒の自主性に任せてくれていました。日々の業務に忙殺されて、1年間何をやっていたんだろうと後悔するのは嫌だったので、なるべく新しいことに取り組もうと思っていました。そこで、生徒会長だけでなく、執行部の全員がリーダーとなれるよう一泊二日のリーダー研修を考案し、グループワークを行ったりだとか、周辺を歩いて感じたことを共有し合うといった研修を行いました。

青翔開智でも校長先生が「先生全員が校長だ」「生徒全員が生徒会長だ」というポリシーを持っていて、生徒一人一人が生徒会長で変えていくんだという話をしているのですが、全員がリーダーである、という中学時代の経験が自分の根底にあり今とも繋がっているなと思います。

ー生徒会長をやってみて自分の中で変わったことはありましたか?

怒ることをやめました。怒ったり怒鳴ったりすることは効果がないんだろうと気付いたんです。生徒会をやっていると同級生と意見が食い違うことも多くあります。でもそこで喧嘩をしてお互いに体力を使ってしまうよりは、建設的に議論を進めていく方が新しい発見、発想に繋がるということを学びました。

腹が立つことは今でももちろんありますが、反面教師的に考えたり、相手の意図を汲み取り、それを元に意見する癖がついたかもしれません。

ー中学生の頃からいろいろな夢があったとお聞きしたのですが、当時の将来の夢はなんだったのでしょうか?

物をつくるのが好きだったので大工さん、人の役に立ちたかったのでお医者さん、お寿司が好きだったので寿司職人、お菓子作りも好きだったのでパティシエ、生まれたからにはトップに立ちたくて総理大臣、、、などたくさんの夢がありました。

教師というお仕事はどのタイミングで進み始めたのか分からないのですが、いつの間にかその道を歩んでいましたね。物事を教えることは好きですし、理科の原理原則を考えることも好きなのですが、一人では叶えきれない沢山の夢を生徒に託せれば良いなと思っています(笑)大人になった生徒が自分の夢を叶え、その話をしにきてくれたら、僕の夢も叶ったかなと思えます。僕はまだ教員歴も長くなく、卒業生もたくさんいるわけではないのですが、やっと今年1期生の子たちが大学を卒業するんです。ここから何年か経って、その子たちがそんな話をしに僕のところにきてくれたらとても嬉しいですね。

ー高校時代のお話もお聞かせください!

高校時代では修学旅行が印象に残っています。台湾に行ったのですが、宿泊先のホテルで僕の高校の女子生徒が、別校の男子生徒によく話しかけられていたんです。僕は誘導係をやっていたのですが、女の子の友達に「怖い思いをしているからボディガードをして欲しい」と頼まれまして、女子生徒たちを部屋に送り届けるということをしました。その話が広がり、修学旅行が終わったあとは若干のモテ期が到来しましたね(笑)

地域に子供が少ないところで育ち、後輩ばかりだったことから、こうした正義感が育まれたのかもしれません。

ー大学時代には東日本大震災を経験され、瓦礫撤去などのボランティアに行かれたんですよね?ボランティアにはなぜ行かれたのでしょうか

頭脳派の人、肉体派の人がいると思うのですが、僕の場合は体を丈夫に産んでもらったので、段ボールを運んだりだとか、瓦礫を撤去したりすることが自分のやり方にあっていると思ったんです。

また、実際に自分の目で被災地を見ることで、地元に帰ってきたときに写真や言葉で震災被害を周りの人に伝えられるという思いもありましたね。

3.11が起こったとき、僕は友達とボーリングをしていました。ボーリング場のテレビで被災のニュースを見ていて「すごいことが起こっているんだ」と感じたことは覚えています。自分の知り合いの知り合いも被災しているかもしれない、自分が何をやっていいかも分からない、と色々考え、勝手に落ち込みましたね。

人のために自分の資本を使いたいという想いは高校生の頃から育まれていたように思います。高校生の頃に生徒会で献血車を呼んだことがあるのですが、その際に血管の太さを褒められたことがあったんです。献血は痛いですけど、それが人助けになるのであれば良いなと思いましたね。

東日本大震災のボランティア以外にも台風23号の被災地である兵庫県豊岡市でボランティアを行ったり、西日本豪雨で被災した広島県で土砂の掻き出しに参加したこともあります。

何かをしたときに「ありがとう」と言われたり、笑顔をみれたりするのが僕の原動力です。誰かのために行動をして、喜んでもらえることが嬉しくて。人のための行動に思えますが、笑顔をみると嬉しいし、自分の心も満たされますね。

 

学校の名付け親に、そして教職へ

ーそうしたエピソードからも井手野さんの正義感の強さを感じますね。
井手野さんは現在お勤めの青翔開智の名付け親だそうですが、応募の経緯を教えていただけますか。

鳥取に新しい学校ができるという話は知っていました。地元鳥取で教師をしようと思っていましたし、教育学部にもいたので注目していまして、そのときに学校名公募の記事を新聞で見たんです。

僕が最初に応募した名前は「青翔館」でした。生徒を「青」に見立てて、世界各地に飛び立って行って欲しいという思いから「青が翔びたつ」と書いて「青翔」です。大学がある広島では○○館という高校が多かったのですが、鳥取では東西南北の名前が多かったので、○○館という名前を付けたかったんです。学校側も「図書館の中にある学校」をコンセプトに建築していて、図書館の「館」といった意味も込めて、「青翔館」で応募をしました。結局採用いただいたのは「青翔」の部分だけだったのですが(笑)

日本で学校制度が始まって最初にできた学校の中に開智中学校という学校だそうで、「日本での学びの始まり」という意味もありますし、「智を開く」という意味もあって、青翔のあとに開智が付けられました。青翔開智で学んだことを地域にも世界にも還元していこうという想いが込められているそうです。

僕が名前を付けたのは大学3年生で、4年生のときには開校するということで採用試験を受けたのですが、実は一度落ちています(笑)青翔開智では高校2年生で卒業論文を書くので、その指導をするにあたって、開校当初は修士学位を持っていて卒論の指導ができた方が良いという方針があったようです。僕自身、大学院進学も考えていたので、大学院進学後、再度採用試験を受け、実際に青翔開智の教師としてのキャリアを歩み始めました。

ー名付けるといった部分にも関わるかなと思ったのですが、鳥取の教育に貢献したい、に関してどういった想いがあったのでしょうか。

とにかく「楽しく」ということ思います。あくまで人の迷惑にならないことは大前提で、楽しく取り組めたら自分も楽しいですし、自分が楽しく関わりが持てたら相手も楽しいと思います。なるべく怒るだとかマイナスは多く出さずに、楽しいこと、ポジティブな発言をしていくことを体現していきたいと思っています。

ー教職員紹介のページで「知識の寄り道を有意義なものにし、教員が魅せることで生徒にも多角的な視点を持ってもらえるよう心がけている」と拝見したのですが、具体的にどういった指導をされているのでしょうか。

中学1年生から高校3年生まで教えているので一概には言えないところも多いのですが、知識の丸暗記ではなく、「なぜそうなっているのか」という原因を理解できるよう指導しています。物事には原因が必ずあるので、そうした原理原則を理解できると色々なことに応用がきくと思っています。授業の中で、自分はこう思うというのも伝えるようにしていますね。複雑なものでも繋がりを持たせることで理解しやすくなるかと思います。

 

等価交換ではなく、+1を返していきたい

ー今までのお話をお伺いしていて、井手野さんの中で「他者貢献」というキーワードがすごく大きい気がするのですが、人生におけるミッションは何かありますか?


難しいですね(笑)他者貢献というキーワードでいくと僕の好きな漫画に「鋼の錬金術師」という漫画があります。鋼の錬金術師の中では「等価交換」という考えがあって、1からは1しか生まれないと言われています。でも物語の最後の方で主人公たちは今までお世話になってきた人々に対し、受け取った1+1を足して2を返すんです。それが回り回って3にも4にも増えていくんですね。

自分も彼らと同じように誰かから受けた恩を他の人にも還元したいと思いますし、それだけでなくプラスで提供したいと思っています。こうしたサイクルが世界中で起こればみんなハッピーになるのではないでしょうか。

個人の話でいくとマチュピチュとかいろんなところにいきたいですね。色々な世界、業界を見たいと思ってます。

将来はツアーコンダクターみたいなお仕事もしてみたいんです。色々な世界を見るだけでなく、誰かのためにプランニングをすることが好きなので憧れですね。10年ほどしたら再度教育の世界に戻ってきて、自分が見てきたことを伝えていけたら良いのかなと思っています。

取材者:中原瑞彩
執筆者:うえのるいーず(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter