29歳になった今も本気でサッカーに向き合い続けるソサイチ日本代表  星野昴に聞く「人生の目標」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第597回目となる今回は、ソサイチ日本代表の星野昴さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

サッカーから始まり、現在はソサイチ日本代表としてご活躍されている星野昴さん。イタリア武者修行、大怪我、様々な困難に打ち勝ち、常に挑戦してきた星野さんが考える「人生の目標」についてお聞きしました。

サッカーが中心の人生だった

ー自己紹介をお願いします。

星野昴と申します。ソサイチのプロ選手として活動しています。

ソサイチとは7人制のサッカーのことで、サッカーとフットサルの良いところを取ったスポーツです。ソサイチの魅力はスパイクの使用が良いこと。オフサイドがなく、バックパスもOKです。サッカーコートの3分の1くらいの大きさなので、ずっと攻守の攻防が見れて、プレーをする側も観戦する側としても一番面白いスポーツだと思います。

ー星野さんが所属しているエルアグア東京のことについてお聞かせください。

日本代表でスペイン世界大会に行きました。スペイン世界大会で好ゲームではあったのですが、結局負けてしまって。その当時の日本代表のメンバーでエルアグア東京を立ち上げました。

しかし、2016年時点ではソサイチリーグが日本にありませんでした。ソサイチ連盟の方に「日本にはソサイチリーグがないのですか?」と聞いたら「ない」と言われて、もったいないと思いました。「リーグやりましょう!」と熱望し、そこで日本で初めてチームを作ったのが私です。

結成初年度は本拠地をスペインに置いて活動していましたが、目標にしていた日本一には届きませんでした。本拠地を東京に変えると、スポンサーの方々や、色々な方々にご支援をいただいたのです。自分の為だけではなく支えてくれている方々の為に頑張ろうと、感謝の想いが芽生えてより一層ソサイチにのめり込むことができました。

より本気でプレーできる環境ができたので、そこから日本一を取るまでは早かったです。元Jリーガーの選手や、自分のような海外プロ選手など、メンバーもたくさん集まり、今もトップ集団として、リーグを牽引しています。

ー最初はサッカーから始められたとお聞きしました。サッカーを始めたきっかけを教えてください。

小学校4年生のときにドッジボールやホッケーで日本一を取り、学校で表彰されました。当時気になる女の子がいて、その子にもきっと認めてもらえるだろうと思ってウキウキしていたら「ドッジボールしている人数って少ないじゃん」と言われてしまいました。

そこで「じゃあ何のスポーツだったらすごいの?」と質問したら「サッカーでしょ」と言われたんです。その女の子にどうしても認めてもらいたかったことを機にサッカーを始めました。

ー中学校、高校と進路選択のときは常にサッカーが軸にありましたか?

そうですね。常にサッカーが生活の中心にありました。勉強は最低限行いながら、サッカーに明け暮れる日々を送っていました。

プロを目指しイタリア武者修行へ

ー転機として、大学生のころに武者修行でイタリアに行かれたとお聞きしました。プロを目指すために渡航されたのでしょうか?

もともと川崎フロンターレへの加入や、Jリーガーになることを目標にしていました。しかし、思うようにスカウトから声がかからなかったので、思い切ってイタリアに挑戦することを心に決めました。

イタリアを選んだ理由は、僕の好きな選手がイタリア人のジャンルイジ・ブッフォン選手だったからです。大学3年生までに単位を取って4年生のときにイタリアに行き、トライアウトを受けて、合格し、プロ生活が始まりました。

ー順風満帆だったんですね。

いえ、実はここからが本当に大変でした。助っ人外国人としての契約なので、悪いプレーをしたときは観客から叩かれました。卵やトマトを投げつけられたり、発煙筒の煙に包まれたことも。練習でもチームメイトを敵だと思って削りに来る選手もいました。

この経験から多くのことを学ばせていただき、よりハングリー精神のある自分を作れたなと思います。

ー日本人とイタリア人の性格は違いますか?

全然違いますね。イタリア人はピッチ外ではすごくユニークです。のんびり町を歩いたり、冗談を言い合ったり。けれど、練習が始まった瞬間に別人のように鬼の様な闘いのスイッチがはいります。

また、イタリア人は悪いプレーや悪い結果になってもだいたいのことは神のせいにします。運が悪かったんだ、と。シュートを外しても、自分のせいではなく神のせいだと。なので、良い意味で自分にベクトルが向いていない。そういう意味では切り替えが早くて、面白いなあと思いました。

ー帰国するタイミングは期限を設けてからイタリアに行かれましたか?

元々は永住する予定でしたが、イタリアで膝の靭帯断裂の大怪我をし、日本に帰国することになりました。イタリアで治療は受けましたが、手術ができなかったのです。

医者からは「一生サッカーができない」と言われて、最初はショックで泣いて落ち込んでいました。しかし、落ち込んでても意味ないと、すぐに切り替え、リハビリを始めました。コツコツ続けた結果、全治1年の大怪我が半年で治りましたね。

ーリハビリ中はどんな心境でしたか?

川崎フロンターレに入りたいという一心でした。プロになるためには、こんな怪我くらい乗り越えないといけないという思いでリハビリをしていましたね。もちろん痛みもありましたけど、自分より痛い経験をしている人がたくさんいるわけで。

当時は自分を奮い立たせるためにさまざまなドキュメンタリーも見ました。本田圭佑選手の怪我から復活するドキュメンタリー番組に一番はまっていました。