様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第212回は鳥取にある青翔開智中学校・高等学校で教員として働かれている三浦永理さんです。大学卒業後は大手芸能プロダクションに就職され現場マネージャーとして働かれていた三浦さん。そんな三浦さんが教育へ興味を持ち、通信制大学を経て教員免許を取得された経緯をお話いただきました。
都会生まれ・都会育ちで鳥取へ移住
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
今年の4月より鳥取県の青翔開智中学校・高等学校にて英語教員として働いています、三浦永理です。早稲田大学国際教養学部を卒業後、大手芸能プロダクションに就職し、現場マネージャーとして働いていました。その後通信制大学で教員免許を取得するため退職し、今に至るという感じです。
ー現在鳥取で働かれているとのことですが、鳥取とは元々何か縁があったのでしょうか。
ないです!東京で生まれ、父の仕事の関係で一時期は神戸で過ごしていましたが、その後また東京に戻りました。就職後も東京で働いていたので、鳥取での生活は今回が初めてです。
ーそうだったのですね。鳥取での生活はいかがですか。
東京にいた頃は満員電車の通勤などストレスも多い生活だったのですが、鳥取は人口が少ないので(笑)そういったストレスは一切なくなりました。自然も豊かで、のんびり過ごしてます。一方でコロナ禍ということもあり、新しい活動をなかなかはじめたりできない点では少しストレスを感じている面もあります。はやくコロナが落ち着いてほしいですね。
英語と演劇に触れた中高時代
ー神戸への引越しを経験したとのことですが、どのような幼少期を過ごされていましたか。
幼稚園の頃までは言語能力の発達が他の子より遅かったらしく、どちらかというと無口な子供でした。なのに、小学校に入ってから突然授業中に手をあげたりするようなタイプの子供になったそうです。背も低く、真面目なタイプだったことから、周りからいじられやすい立ち位置にいたのを覚えています。
ー中学・高校はどのように過ごされていましたか。
正直に言えば、私の家はかなり恵まれた環境で、両親はどちらかというと教育熱心でした。なので、関西にある私立の女子校に小学校でお受験し、東京に戻るときに系列の中高一貫校へ進学しました。関西と東京で学校の雰囲気が違ったので慣れるまでは時間がかかって大変でした。
部活は舞台に興味があったことと漠然と海外に対する憧れがあったことから英語の演劇部に所属していました。高校3年の時に、受験勉強をしながら50人の部員を率いて部長をしていたんですが、今思えばその頃から面倒見はよかったのかもしれません。それに、演出の自分が考えたアイデアを舞台で実現するのはとてもやりがいがあったことを覚えていて、「演劇に関わる仕事をしたい」と思っていました。
ー中高一貫校だったとのことですが、大学進学についてはどのように考えられていましたか。
女子大のある中高一貫だったので受験をしないという選択肢もあったのですが、その女子大の説明会を聞いた時に「このままだと同じような環境でずっと過ごすことになる」と思い受験を決めました。
3クラス中2クラスが内部進学という状況だったので、内部進学組と受験組で温度差があり、その中で受験勉強に取り組むのは正直大変でした。でもそれ以上に、「今とほぼ同じ環境の大学に進むのは違う」という思いがあったので環境を変えるために自力で受験勉強を頑張っていました。
ー進学先はどのように選ばれたか教えていただけますか。
演劇を勉強したいと思っていた一方で政治学や社会学にも興味を持っていたので幅広く勉強できる大学に進学したいと思っていました。また、英語力をつけたい、海外に行ってみたいという思いもあったので、英語で授業が行われ、幅広い学問領域を勉強することのできる早稲田大学の国際教養学部に進学を決めました。
教育に興味を持ちつつも芸能プロダクションへ就職
ー大学生活はいかがでしたか。
国際教養学部は交換留学が必須なのですが、1年の前期の成績で留学先が決まるので、ミュージカルサークルにも入りつつ、勉強に力を入れていました。最初は、演劇を学びたいと思い、イギリスに留学に行きたかったのですが、自分が取得していたTOEFLのスコアではイギリス留学の場合、語学学校からのスタートでしか行けないことを知りました。限られた期間しかないのに語学学校で半年過ごすのはもったいないと思い、他の留学先も検討したところ、トルコにも協定大学があることを知りました。
ーなぜトルコに興味を持ったんですか?
たまたま大学の授業でシルクロードやイスラームについて勉強していたこともあり、中東への興味も湧いていて、その中で自分たちが無意識に中東地域に対する「怖い」「未知」のようなイメージを作っていたことに気づいたんです。それならば、自分の目で現実を見てみたいと、トルコに留学をすることに決めたんです。日本人も少なく、英語や、ときにはトルコ語で話さないといけない環境に1年間身をおけたことは貴重な経験となりました。
加えて、トルコという、アジア人が目立つ環境に初めて身を置いて、外国人として暮らすことの大変さも実感しました。そこから、改めて偏見や差別を乗り越えることが重要なのではないかと感じるようになったんです。
ー大学卒業後の進路についてはどのように考えられていましたか。
実は、留学から帰国後、就職活動をはじめたのですが、もっと勉強したいという思いが強く、すぐに働きたいという気持ちは全然なかったんです。ちょうどU-29でもインタビューを受けられていた岩澤さんと大学の授業で知り合ったことをきっかけに、より多くの子供達に異文化のことを考えてもらいたいと、異文化間教育プロジェクトCulmonyの手伝いを帰国後していました。それにもっと関わりたいという気持ちもありましたが、父親に相談したところやはり就職を勧められたので、いやいやながら就職活動を始めて。
教育にはこの頃から興味があったのですが、大学でもミュージカルサークルに所属していたり、中高時代からの舞台に関わりたいという思いから、エンタメ業界を中心に受けていました。その中でミュージカル制作も行っている芸能プロダクションから内定をいただき、入社を決めました。
ーその会社で、現場マネージャーの配属となったんですね。
はい。もともとマネージメントがメインの会社ではあったので、入社前から制作に配属になる可能性は低いという話は聞いた上で入社を決めていました。
舞台を中心に活動する10代の子の担当マネージャーとなり、私自身も社会人としての常識があまり分かっていない中でその子に社会人としての常識を教えるのは大変でした。一方で、その子の成長をマネージャーとして見守る中で、誰かの成長を見守るのが楽しいなと感じたことがきっかけでもっと教育に関わりたいなという思いがでてきました。また、私は母親代わりの仕事も任された部分もあった一方で、あくまでもマネージャーはマネージャー。その子自身にいろんな選択肢があることを伝えることは会社の一員であるマネージャーとしては難しい部分がありました。
ーそれが転職のきっかけとなったのでしょうか。
そうですね。今思うと、当時の自分が甘かっただけで、未熟だったことも大きいと思います。ただ、今後この仕事をずっと続けていって果たしてスキルは身につくのかという不安や、思っていた仕事ができていないモヤモヤ、やはり教育分野に関わりたいという思いから1年半で退職を決意しました。
教育といっても関わり方はいろいろあると思ったのですが、大学時代にCulmonyに関わる中で、教育系企業は生徒を確保するのにまず労力を割かないといけないため、教育の実践をする時間がどうしても限られてしまうという印象を受けていました。加えて、子供たちは1日の大半の時間を学校で過ごしているからこそ、やはり教員免許を取得し学校現場に直接関わりたいと考えました。
そこから通信制大学に通うことを決めて退職し、大学に通いながら教育系企業であるタクトピア株式会社と株式会社SEKAISHAでインターンをさせていただくことになりました。
教育を通して言葉を大事にできる人を増やしたい
ー青翔開智中学校・高等学校とはどのように出会われたのですか。
私立学校の教員向け説明会も合同説明会があるのですが、そこで1番斬新なプレゼンをしていたのが青翔開智中学校・高等学校でした。「クレイジーでシンプルでカジュアルな人材を求めてます!」という学校としては珍しいアピールと、図書館の中にある学校というコンセプトが素敵だなと思いました。それに、たまたまインターンしていたタクトピアと青翔開智中学校・高等学校が一緒にプロジェクトを行っており、親和性が高かったことも惹かれました。
ーまだ教員としてのキャリアは始まったところかと思いますが、いかがですか。
職場も平均年齢の若い職場で、同世代の先生が多いので楽しいです。また、年齢に限らずどの先生もすごい若々しくて。それぞれの先生がとてもユニークなのですが、私自身Culmonyのプログラムを導入したり、自分のスタイルで授業をできたり、オンライン学園祭の配信を担当したり、1年目と思えないくらい自分なりに挑戦できる場がたくさんあって、普通の教員生活であれば経験できないことができていると思っています。生徒や教員と一緒に取り組める環境なので、鳥取にきて、この学校を選んでよかったです。
正直、教員としてはまだまだ毎日の仕事をこなすのが精一杯な状況です。教科書的にはうまくいく指導法も、その教え方が生徒にフィットするとは限らないなということも感じています。日々学び、ですね。一方で、教育とエンタメの近さも感じていて、どちらも人の心を動かそうとしている根底は同じだなと思っています。自分は、そういう仕事をし続けたいタイプなんでしょうね。
ーこれから教員として取り組んでみたいことや、今後の目標について教えてください。
正直、これと言った目標を定めるタイプではないのですが(笑)、教育に関わる中で取り組んでいきたいと思っていることは言葉を大事にできる人を育てることです。言葉で表現することを自信を持ってできる人を増やして、自分の思いを発信できるような人を育てていきたいと思っています。そのためには今後英語だけではなく国語と連携して授業をやっていくことだったり、自分がやっていた演劇との関わりだったり、それ以外の新しい選択肢も検討していきたいと考えています。
でも、まずは日々の授業を通して、生徒にたくさんの新しい世界を見せてあげたいなと思っています。私自身、芸能人のマネージャーとして働くことも、鳥取で教員をすることも高校時代は想像していませんでした。たくさんの人に出会って、たくさんの本を読む中で新しい世界を知り、その都度自分のやりたいことに挑戦してきました。生徒にも新しい世界を見てもらい、その中で自分らしい選択肢をしなやかに見つけて欲しいです。
取材者:山崎貴大( Twitter)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)