常に「自分らしく」をモットーに、モノづくりに励む。デザイナー・小川エドワーズ乃亜

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第947回目となる今回は、小川エドワーズ乃亜さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

幼少期に見た雑誌を機にファッションに興味をもった小川さん。高校卒業後パリに留学、アイヌの刺繡に出会い、心を動かす大きな転機に。オートクチュールの刺繍をはじめるに至った経緯を伺いました。

常に「人と違うこと」を考えていた幼少時代

ーそれでは自己紹介をお願いいたします。

小川エドワーズ乃亜と申します。現在は札幌在中で、アーティスト兼デザイナーをしています。

12歳の時に、服飾の仕事に興味を持ち、高校卒業後にフランスに留学して、一時帰国しているときにアイヌ刺繡と出会い、オーダーメイドの高級服に施されるオートクチュール刺繍の勉強をはじめました。

現在は地元を中心に東京を始め、フランス等で刺繡の作品を発表しています。

ーそもそも、オートクチュールとは一体どういったものなのでしょうか。

オートクチュールとは、高級仕立ての一点もののことです。ルーツはフランスの19世紀のファッションのルーツでした。当時のお金持ちのための高級ファッションのことです。

自分が製作しているのは、そのオートクチュールの刺繡になります。

ー説明ありがとうございます。小川さんはどんな幼少期を過ごしたのでしょうか。

とにかく想像力が豊かな子供だったと思います。実は小さい頃から、人と同じことが嫌で、なにをするにも、人と違うことを一生懸命探している子でした。またすごく自分の世界観をもっている子だったと思います。

小学校の図工の時は、みんなが一斉に同じものを作る中、自分は絶対に同じものを作らないよう、色と形をひねって考えて作り、みんなに見せていましたね。常に人と違うことをしたいと考えていました。

ー服飾に興味を持ち始めたきっかけは?

服に興味を持ったのは小学校6年生の時です。

当時地元の本屋で売っていたファッション雑誌の表紙に日本文化にインスパイアされたディオールのオートクチュールのドレスが載っていて、感動して服飾に興味を持ちました。

興味を持った時、最初はなにもわからなかったので、本屋へいき、ファッションの歴史や、民族衣装の本、当時の雑誌や本を買いあさり、調べたりしました。

その後、しばらくして親からの勧めで仕立てをしているデザイナーを紹介してもらったのです。その人が洋裁教室を開催していると聞いたので、母に「出てみないか」と誘われました。

当初の反応は微妙だったのですが、通い始めると、次第に楽しくなっていきましたね。毎週週末に教室に通っていたのですが、どんどん洋裁が好きになっていき「高校を辞めて、服飾の勉強をしたい!」というくらい、好きになっていて。

洋裁教室は、高校卒業までの5年間続けて、その後は留学をしました。

パリに留学してサバイバルな生活

ー高校卒業後、ファッションの勉強をしにパリへいかれたのですか?

はい。実はイギリス出身のファッションデザイナー、ジョン・ガリアーノに憧れてイギリスに行きたかったのです。しかし高校卒業前にイギリスは学費と生活費が高く、元々フランスにも行きたかったため、フランスへいくことにしました。

ー実際に、パリではどんな生活だったのですか?

幸い英語が話せたのでなんとかなったけれど、最初の1年間は服の勉強よりも、最低限生活するのが大変でした。特に最初の半年間は、サバイバルのような生活で。

パリに留学をした1年間で、次第に友達が増えたり、フランス語も上達してきたりと、すこしずつ生活に充実感が生まれました。きっと負けず挫けずに頑張っていたからこそ、やりたいことができたと思います。今思うとパリに留学をしてすごくよかったです。

ー不慣れな海外生活で、頑張れた原動力はなんだったのでしょうか?

ハングリー精神です。もともと片親がアメリカ人ということもあり、日本語が話せないなか来日し、苦労しながらも日本語を話せるようになりました。何事にも屈せず、負けない気持ちがあったからこそ、今の生活ができるようになったんだと思います。

その子供だからこそ、「親が苦労してここまでやり遂げられたのだから、目標に向かって自分も負けずに頑張れば乗り越えられる!」という気持ちで、大変だったフランス生活を乗り越えました。