自己認識をリセットしよう。データサイエンティストの手嶋毅志が語る、本来の自分を見つける方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第982回目となる今回は、手嶋 毅志(テシマ タケシ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

データサイエンティストとして活躍中の手嶋さん。学生時代のエピソードや現在のキャリアに至るまでの経緯、U-29世代へのメッセージなどをお話していただきました。

プログラミングや数学の魅力に気付いた学生時代

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

手嶋毅志と申します。リクルートでデータサイエンティストとして、また機械学習の研究者として活動しています。

2017年に東京大学の経済学部経営学科を卒業し、2022年には東京大学の機械学習分野で博士号を取得しました。また、博士課程の間には理化学研究所のJRA制度でも雇用していただきました。

研究領域は汎用的な手法に焦点を当てた統計的機械学習です。機械学習は、最近話題のChat GPTにも使われている技術で、今後は私たちの気付かぬうちに使われる社会インフラのような立ち位置になっていくのではと思っています。

現在の研究に興味を持ったきっかけを教えてください。

機械学習はプログラミングとの接点が多いんですよね。プログラミングと初めて接点を持ったのは、中学1年生の夏休みです。

当時、実家の建て替えで仮住まいの家にいて。蒸し暑い日の午後、和室のPCでプログラミングをやってみたんです。自分で組んだシステムが初めて動いて、パソコンの画面に「Hello,world!」と表示されたときの感動は今でもはっきりと覚えています。

もともとプログラミングに対しては「かっこいいな」というぼんやりとした思いしかなかったので、自分の指示通りにコントロールできるのだという特別な感覚は初めて抱きました。

自分の解かせたいタスクを解かせられることが面白くて、そこから3年くらいはプログラミングに没頭していましたね。プログラミングも機械学習も、いろいろなものに使える技術、すなわち汎用性があるところが魅力だと思っています。

プログラミングの知識は、面白そうな本やWebサイトに触れることで学んでいきました。完全な好奇心から、コンピューターの原理的なモデルとなるチューリングマシンのバイナリーに取り組んだこともありますね。

プログラミングがきっかけで、数学にも興味が芽生えたそうですね。

中学時代、仲の良い友達がたまたま数学部に入ったことがきっかけで、僕も数学部に入部しようと決めたんです。兼部がOKな学校だったので、サッカー部と数学部を掛け持ちで活動していました。

数学部は週1回、数学の先生が顧問で、好奇心を探求するような活動をさせてくれましたね。大学の数学を簡単にかみ砕いて教えてくれたり、数学の話をしてくれたりしました。

もともとプログラミングに触れていたおかげで数学になじみはありましたが、先生の話が面白くて、数学への興味がもっと増したんです。

ラフな気持ちで所属し始めた学生団体。早々に事務局長を経験

東京大学進学後に印象的だったことを教えてください。

学生団体への所属が1番思い出に残っています。大学に入って初めて、たまたまふらっと新入生歓迎会へ参加したのがこのmanaveeという学生団体でした。

活動内容は、全国の大学生に高校受験をテーマにした授業動画を撮影してもらって、大学受験生へ提供するというものでしたね。大学生それぞれが自分のやり方で勉強を教えてくれるというものでした。

僕は中学生くらいから文房具がすごく好きで。「この団体に入ったらチョークを使って授業ができるかも!」と思って(笑)、活動を開始しました。

チョークがきっかけとは、なんともユニークですね(笑)。

そうですね。この団体に入って3本ほど授業動画を撮って、その後は運営側のバックオフィスを担当することになったんです。授業を撮影する大学生は200人ほど所属していて、そのうちの1割くらいの大学生がバックオフィスを担当していました。

その後は早い段階で事務局長をやらせてもらえることになり、ビジョンを立てたり、マネジメントを担当させてもらったりしました。ありがたいことに機会が先に与えられてしまって、ステークホルダーのマネジメントなどの勉強がほとんど何もできていなくて。

あの頃にもう少し力があったら、他団体と提携して視察に行かせてもらうなど、より精力的に団体を動かせたかもしれません。当時の自分にできなかったことが、今後のキャリアを考えていく上で、何をできるようになるべきかを考えるいい参照点になっています。

当時は大学とNPO運営の両立に悩んでいて。休学してNPOに力を入れることも検討しました。いろんな人に休学を考えていると相談する中で、お世話になった大学の先輩から「たぶん君はそのNPOで成功したいと思っているわけでもなければ、社会に足跡を残したいと思っているわけでもないと思う。

自発的にやりたいと思っているものではなくて、社会的に与えられた役割だったのではないか?自己認識を一度解体したほうがいい」と、大きな転換に繋がるアドバイスをいただきました。

手に負えなくなっているのは事実で、代表に辞めさせてくださいと相談して。後任への引継ぎで色々な方に助けていただきながらですが、喪失感はあまりなく一気にスパッとやめられましたね。

その後はどうやって切り替えたのでしょうか?

学生団体の忙しさから解放されたとき、自分が何をし始めるかを観察することにしました。自分を放っておいてみると、プログラミング、数学、ゲームの3つが好きで手を付け始める分野だと気付いたんです。後々何かの役に立ちそうなプログラミングへ本格的に時間を割こうと決めて、大学3年生でソフトウェアエンジニアリングのアルバイトを始めました。

アルバイトは楽しくて、どんどんスキルも伸びていきました。それと同時に、これから先はどうしようかとモラトリアムに陥って。アルバイト先の会社では4年くらい同じサービスを提供し続けて、会社が存続して社員が生活できている様子を目の当たりにして、それは凄いことには違いないけれど短期的なものだなと思い始めるようになったんです。

刹那的ではなく、ずっと価値を提供できるようなものはないかと考えたとき、研究が頭に浮かびました。論文としてまとめられた研究が、何十年先の世代に研究が掘り起こされて何かの役に立つことが魅力だなと思えて。研究者を育てる専門機関である大学院に進もうと決めました。

東京大学大学院では、統計的機械学習が専門の研究室に入りました。研究室には40人ほどの学生がいましたが、文化としてはドライで、それぞれの研究分野がばらばらだったり、先生のやってきた研究とは少し違う分野を研究したりしていましたね。

研究室に入って、1番最初に「勉強と研究は違う」と先生に言われました。勉強はインプットをしていくことがメインですが、研究はアウトプットだけが意識されます。人類がこれまで積み重ねてきた研究に今後自分がどう貢献していくか、どう人類の知を成長させられるかがカギとなるんですよね。この言葉が今でも印象に残っています。