ちょっとした焦りとわくわくをシグナルに。映像ディレクター岡村未来の“ご縁”を大切にする生き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第885回目となる今回は、映像ディレクターの岡村 未来(おかむら・みらい)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

映像ディレクターの他にも、学生デザイナーと社会をつなぐプラットフォーム『unitX』や、ベンチャーやスタートアップ系のイベント企画までされている岡村さん。岡村さんが動くべきだと感じているシグナルや、心身を疲弊させてしまったときの立ち上がり方についてもお話いただきました。

内気な自分をどうにか変えたい

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

岡村未来と申します。本業という表現はあえてしていないのですが、主な収入源は映像ディレクターです。インタビュー動画や会社紹介動画、自治体の移住プロモーション動画などを作っています。

映像制作以外にも、ベンチャーやスタートアップ系のイベントを企画したり、デザイナーを目指している学生たちを集めたコミュニティ作りをしたり、きっかけ作りを軸に活動しています。

メインは東京なのですが、日本各地のいろいろな場所に出没して、様々な人と出会いながら、多拠点暮らしです。よろしくお願いします。

現在フリーランスで様々なことをされていると思うのですが、「本業」という言い方をあえてしていない理由はあるのでしょうか?

「主な収入源は」という表現は、同じように様々な活動をしている方に教えていただいて、使わせてもらっています。「本業」と言うとそれがメインで、それ以外の活動を疎かにしているニュアンスのような気がしています。

割いている時間や収入で差はつくけれど、私にとっては区別なく大切な活動です。それぞれに思い入れを持って活動しているので、この表現を使っています。

ーここからは、岡村さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような学生時代を過ごされたのでしょうか?

中学生ぐらいまでは、めちゃくちゃ内気で人見知りでした。友達とも何をしゃべったらいいのかわからず、教室の隅っこで本を読んでいるような子供でした。

中学卒業後に高専に入学して、吹奏楽部に所属しました。そこで指揮者に立候補したことが、人とコミュニケーションをとる大きなきっかけになりました。

今自分で思い返しても、内気な子がよくそんなことをしたなと感じるんですけれど(笑)。

指揮者をされていた先輩を見て、かっこいいなと思い、内気な自分をどうにか変えたい。自分を変えるためには、指揮者になるくらいの極端なことをしないと変わらないんじゃないかなと思い、立候補しました。

指揮者になると、毎日1〜2時間ぐらい皆んなの前に立って演奏を仕切ったり、練習計画を話したりする機会がありました。

人前で話そうとすると緊張し過ぎてしまったり、泣いてしまったりするのが嫌だったのですが、ずっとそういう自分が嫌で、どこかで変えたいなと思っていたんです。初めは半分泣きながらでしたが、徐々に慣れていきました。

指揮者になってからは、一人ひとりとコミュニケーションをしっかり取ることを大事にしていましたね。一緒に演奏を改善していく過程で、信頼関係が築けていないと「なんでこんなことを言われないといけないんだ」と思ってしまう人もいると思うんです。

そのときに感じたのは翻訳力というか、コミュニケーションを取りながら、相手に伝わる言葉を考えて話すこと。部活や高専での活動で気付いた大切なことですね。

人とのコミュニケーションが得意とはいえないものの、指揮者になったことで、少しだけ克服できたのかなと思います。あのとき苦手を克服しておいて、よかったなと思っています。

手に職をつけたくて高専に入学

ー高校ではなく、高専に入学されたきっかけを教えてください。

どこの高校にしようかと考えたときに、なんとなく普通科に行きたくなかったんです。せっかく勉強をするのなら、専門分野を持って、手に職をつけたい気持ちがありました。

何を専門にしようかと思ったときに、好きだった理科や数学の分野で探し始めました。公立高校の数理科学科などを見ていたのですが、そのとき母に「高専っていうのもあるよ」と紹介してもらって。

見学に行ったり調べたりしていくなかで、大学同等の設備があり、教授から専門的なことを勉強できる。意外にも自由な校風で、やりたいことができる環境だったのが魅力的だなと思い、奈良高専を受験しました。

ー実際に高専に入ってみていかがでしたか?

高専は特殊な学校で、14歳から専門科目の座学や実験をしたりするんです。留年する人も多いなかで、まずは授業についていくのが大変でしたね。

もちろん座学の勉強もあるのですが、それよりも「とにかく手を動かせ」という教育なんですよ。1年生の時から5年間実験をして、最後に活動研究もしました。

考えるより動き、やってみて失敗したらそこを改善する。まず手を動かすことを鍛えられましたね。今にもつながっている教えです。

最後の1年では大学編入の受験があり、それが終わると卒業研究をやり始めました。卒業研究は記憶に残っていますね。

どんな卒業研究をされたのですか

私は人工光合成の研究をしていました。すごく簡単に言うと、植物の光合成を人工的にできるようにして、エネルギー問題や地球温暖化の問題を解決しようという研究です。

日付が変わるまで学校で、光を当てる実験をひたすらやっていました。毎日のように終電で帰っていて大変でしたね。

当時は、毎日研究室にこもって細かい作業をすることが、少しだけ辛く感じ、「研究は向いていないかもな」と思ったこともあります。

研究をするなかでも楽しかったのは、研究の中間報告や最終報告をするときに、先生や後輩たちに説明したり発表したりすることでした。そのときに、もくもくと研究をするよりも、それを人に伝えることのほうが自分は楽しいんだなと気が付きました。