大企業の社員であり、自身で会社も経営する岩田健太が目指すのはシナジーを生む人

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第985回目となる今回は、SHIBUYA QWSのコミュニティマネージャーであり、まちの株式会社 代表取締役社長の岩田健太さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

本業を持ちながらの、起業を決意された岩田さん。2023年9月にシェアハウス「まちのば」の開業も控えている岩田さんに、幼少期から共通して大事にされてきた価値観や、原動力となっている思いについてお話しいただきました。

会社員であり、会社の代表取締役社長である日々

ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。

渋谷スクランブルスクエアにある共創施設、SHIBUYAQWSでコミュニティマネージャーとして働いています、岩田健太です。複業でまちづくり会社である「まちの株式会社」を立ち上げ、代表取締役社長も務めています。

ーSHIBUYAQWSとそこでのお仕事についてもう少し詳しく教えてください。

SHIBUYAQWSは10代から70代までの会員さん、600人以上が活動している共創施設です。様々な繋がりが生まれ、新しい価値が社会に生まれることを目指して運営している施設になります。

コミュニティマネージャーとしての私の役割は会員同士のコミュニケーションを活性化させるサポートです。会員さんのやりたいことなどを聞き、似たような思いを持っている他の会員さんをご紹介するなど、繋がりを生むきっかけづくりやプログラム設計を行っています。

ーご自身で立ち上げられたまちの株式会社についても教えてください。どういった事業を行われているのですか。

今年の3月まで住んでいたSHIMOKITA COLLEGEで出会った仲間とシェアハウスを行うことを機に立ち上げた会社です。9月にオープン予定のシェアハウス「まちのば」の運営がメインですが、。将来的にはまちづくりに関わるイベント運営やまちの困りごとを解消するような受託の仕事も行っていく予定です。

今でも大事にしている恩師に掛けられた言葉

ー現在に至るまでの経緯を幼少期から振り返っていければと思います。どんなお子さんでしたか。

母の後ろにすぐ隠れてしまうような、人見知りな子どもでした。両親が小学校の教員で、家によく両親の仕事仲間やその家族が集まっていたのですが、私は恥ずかしくて遠目で楽しそうだなと見ていたのを覚えています。

今思えば、人の集まる場が好きだったのは幼少期の頃の影響も大きいのかもしれません。

ー幼少期の環境が現在の岩田さんの原点になっているのですね。人見知りだったこと以外に、記憶に残っていることはありますか。

反抗期が来るのが早かったのか、小学校の時から納得行かないことには何度も質問したり、違うと思ったルールには従わない子どもでした。教師だった両親を見ていて、先生も完璧な人間ではないことを知っていたことも大きかったのだと思います。

ー中高時代はいかがでしょうか。

親の影響で3歳からラグビーをやっていたのですが、中学では野球部にも入り、週末はラグビーを続けるというスポーツ漬けの日々を過ごしていました。その後、野球は部活としてではなく趣味として楽しく続けたいと思ったことから、高校ではラグビーに専念することを選択しました。

同時に、中学3年の時に出場したラグビーの全国大会で、上には上がいるという現実を知ったことから、ラグビーだけで生きる難しさを感じ、ラグビー推薦ではなく地元の文武両道を掲げる公立高校に進学しました。

ー大学でもラグビーは続けられたのでしょうか。

大学でもラグビー部に入りましたが、怪我で手術も多く、あまりラグビーができない時期が続きました。その時期を支えてくれたのが、高校を卒業する際に、ラグビー部の監督に言われた「過去最高を常に更新する人生を送ってほしい」という言葉でした。

その言葉を思い出して、自分で選んで入ったのだから、今ある環境で何ができるかを考えることを意識するようになりました。高校生活3年間は充実した日々でしたが、あの時はよかったというのではなく、常に高校3年間以上の充実した日々を自分で作っていこうと思えた言葉です。

そしてそれ以来、過去最高を常に更新することを大事にしています。

募った街づくり・場づくりへの興味

ー大学卒業後、新卒で東急株式会社に入社されていますが、就活をどのように行い、入社を決められたか教えてください。

ラグビー漬けの日々をそれまで過ごしていたので、正直やりたいことがなく、とりあえずOB訪問することから就活をスタートさせました。そして自分の好きなことは何かを考える中で、18年間生まれ育った地元横須賀が好きで、地元に関わることのできる仕事や地元をより良くする仕事に就きたいと思うようになったのです。そこからまちづくりへの興味を持ち、東急株式会社への入社を決めました。

ー入社後、SHIBUYAQWSへの出向が決まるまでの経緯を教えてください。

入社後3年間は、人事として組織開発や社内教育、働き方改革などを担当していました。この頃にSHIBUYAQWSができ、異動希望を出したものの、その時は希望が通りませんでした。

転機となったのはコロナが落ち着いたタイミングで住み始めた、居住型教育施設SHIMOKITA COLLEGEでの出会いと経験です。SHIMOKITA COLLEGEで生活する中で場づくりの楽しさと人の交流が持つ可能性と面白さを感じ、2年目からはそこで運営側にも携わらせてもらうようになりました。

その経験もあってか、再度SHIBUYAQWSへの異動希望を出した結果、コミュニティマネージャーを担当することが決まったのです。

ーそして並行して、まちの株式会社も立ち上げられたのですね。

SHIMOKITA COLLEGEは2年間のプログラムだったため、その後どこに住むかということを考えた時に、ここ以上の場所はないと思いました。ないのであれば、自分達で作ろうということでSHIMOKITA COLLEGEの仲間とシェアハウスを開業することを目的に立ち上げたのがまちの株式会社になります。