「いいね!」を広めたい。PRプロデューサーの木村このみが語る、やりたいことを実現する方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第819回目となる今回は、木村 このみ(きむら・このみ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

企業広報として働きつつ、副業でPRプロデューサーをされている木村さん。学生時代のエピソードや、現在のお仕事、今後の展望などについてお話していただきました。

卒業後はタイに就職!現地スタッフと感情をぶつけ合う日々

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

木村 このみ(きむら・このみ)です。会社員をしながら、副業で、2社のPRプロデュースをしています。

PRプロデューサーは、企業の活動を世の中に広めていく仕事で、今年12月からはフリーランスとして活動する予定です。今担当しているクライアントにもっとコミットできると思いますが、今後は他のクライアントも増やすなど、違う体制にしようかとも考えています。

ー学生時代は、どのように過ごしていましたか?

大学では被服の勉強をしていました。もともと山形の田舎出身で、キラキラな物事に憧れを抱いていたんです(笑)。このころから、憧れを抱いた物事は何でもやってみたかったんですよね。

20歳のとき、旅行でタイに行き、市場もショッピングモールも、現地ならではの雑多な売り方であることに衝撃を受けました。いいものがあるのにもったいない、日本人の感覚を生かして売ってみたらより良くなるだろうと思ったんです。

そこで、「東南アジア 就職」とネットで調べて、現地でビジネスをしている日本人の方にお会いして、この方の経営するレストランに就職させてもらうことにしました。

ータイのレストランに就職されたんですね!

当時は東南アジアに興味があり、起業もしてみたかったので、現地で生活して、起業準備をしようと思っていました。とくに飲食業を希望していたわけではなく、現地で働けるなら業種にこだわりはありませんでした。

飲食店でのアルバイトもしていたので、店舗内の動きはなんとなく知っていましたが、実際に入社すると、店舗スタッフは全員タイ人でした。雇ってくれたオーナーはいつも店舗にいるわけではなく、わたしはタイ語もほぼわからず、スタッフとのコミュニケーションに苦労しました。

お客様はほぼ現地駐在の日本人で、日本レベルのクオリティを求められたのですが、スタッフはタイ人ばかりだったんです。求められるものと、実際のクオリティとのバランスが難しかったですね。タイ人のスタッフとは異言語でも、感情をぶつけ合って喧嘩して、結局は仲良くなれました。

ー​​言葉が通じない中でも努力されたんですね。

結局、この店舗は日本の別の企業から買収されることになったんです。買収した日本企業の方がお店に入って、わたしがタイ人との働き方などを教えることになりました。このとき、買収した企業が東南アジアの人を下に見る姿勢に嫌悪感を持ったり、それに対してタイ人が反発したりしてしまって、二者の間で板挟みになりました。

店舗のお客様も、大企業で駐在員をしている方が多く、横柄な態度をとる方もいましたね。日本人とタイ人、どちらの立場もわかるので苦しかったです。店舗の仕事をしつつ、起業の準備をすることは難しいと思いました。

タイで生活する中で、現地で生活する日本人が求めているのは、日本クオリティの対応だと感じました。旅行で行く分には海外のフランクな感じが好きでも、いざ生活するとなったら、接客の対応などは日本のような対応の方が安心しますよね。

帰国後、広報職と出会う。世の中に「いいね!」を広めたい

ータイからの帰国後は何をされたのでしょうか?

被服系の大学に通っていたこともあり、洋服のオーダーメイドの仕事に興味を持ちました。日本人は、普段着としてはなかなかオーダーメイドを作りませんが、結婚式など、何かイベントのためには作る方もいらっしゃいます。

実際にウェディングドレスショップで働いたり、ダンサー、シンガーなど個人アーティストの衣装を作ったりしましたね。

オーダーメイドの仕事でも、実際に働いている方に会いに行って仕事をつかみました。やりたいことができて、すごく楽しかったです。

ーその後、広報の仕事に就いたんですよね。

はい。衣装制作は上には上がいるので、もっと勉強しなくてはと社交ダンスの衣装系の会社に入りました。この会社で足りなかったのが広報で、SNS担当にもなりました。

これまでの仕事で、わたしは1対1の仕事しかできないと思っていたんです。飲食業のお客さんや、洋服を作るダンサーさんなど、目の前の人を相手にする接客は得意だったんですよね。

一方で広報は、わたし対大多数のケースが多くて。ひとつのSNS投稿で、多くの人が来店してくれることもありました。わたしもこんな働き方ができるんだと驚くとともに、もっと広報の力を身につけたいと思って、プレスリリースを書いたりする勉強を始めました。

その後はSNS経由で、社交ダンスの豪華な衣装でドレスアップして、写真を撮る企画を立ち上げました。プレスリリースを出したところ、TVディレクターさんの目に止まり、大きく報じていただけました。TVを観た方からの反響もあり、お店にも貢献できて嬉しかったですね。

ー現在はまた別の会社で広報を続けていらっしゃるんですよね。

広報をさらに勉強したくて、もう少し大きな会社の広報に入ることにしました。100年弱の歴史のある会社に転職して、広報と広告、販促の部門に所属しています。

いざ入社するとギャップもあって。前職は小さな会社で、社長と毎日話し合いをしてすぐ動けて、現場に決定権があったのですが、今は縦社会で、自分たちの知らないところで決議されることも多いんです。転職してすぐに、失敗したな、わたしには合わないなと感じました。

ー現職の広報のやり方から、何か学んだことはありますか?

大きいお金を動かしたり、広告代理店からの大きな提案を受けたりすることは、今までやったことがなくて。学べるチャンスだと感じました。

でも、わたしがやりたいPRは、広告などお金の力でみんなに知らしめるやり方ではなくて、パブリックリレーションズを通じて、世の中に「いいね!」という声を広めていく、お金をかけないやり方です。この会社では、わたしのやりたい広報が学べなさそうで、自分で学ぶしかないと思いました。

今は「0円PR」がキャッチコピーになっている勉強会に入り、プレスリリースを書いてメディアを通じて、世の中に発信する勉強をしています。学んだことを生かして、すぐにPRプロデューサーの副業を始めて、副業がどんどん楽しくなりました

現職で、今の働き方をしている自分が好きではなくて。来年もおそらく同じことをしているでしょうし、このままじゃダメだと思って、試用期間の半年の期間に退職願を出しました。