夢は叶うと信じて挑戦する!宮本泰志に学ぶ夢に向かう姿勢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第745回目となる今回は、プリメーラ フットボール クラブ代表 宮本 泰志(みやもと・たいし)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

アニメに影響され、プロボクサーを目指すも断念し、サッカークラブを立ち上げた宮本さん。周囲に否定されても自分が信じた夢をひたすら追い続け、挑戦してきた現在までを振り返ってお話していただきました。

プリメーラの由来

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

兵庫県の阪神地区で小学生のサッカークラブを経営している宮本泰志と申します。

私たちのクラブでは「世界制覇を目標に活動する小学生チーム」と「障がい者専門のサッカー教室」の2種類のサッカー活動を行っています。

ーチーム名のプリメーラにはどのような思いが込められているのでしょうか?

プリメーラはスペイン語で「1番・始まり」という意味です。

私が立ち上げたクラブであり、自分で何かを立ち上げるのも初めてだったため「ここから始まるぞ」という意味を込めて始まりを表しています。また、世界を目指すことから1番という意味や子どもたちにとっての夢の始まりという意味も込めて「プリメーラ」にしました。

ー世界大会を目指すチームの予選トーナメントでの最高成績を教えてください。

実はまだ出場できていません(笑)。

まずは日本サッカー協会にチーム登録をしなければならないのですが、2018年に立ち上げた新しいチームのため、選手が集まらない時期もありました。選手を集める以外にも要件があり、新参者にはチーム登録をするのもなかなかハードルが高いです。

現在はチームの土台作りの段階ですね。

ーいつまでにこうしたいという目標はありますか?

あと5・6年で行けるところまで行きたいなと。

そのためにも「3年後までにはとりあえず1回でも予選に出ないとな」とぼんやりとした計画を持っています。

14歳でボクシングに心奪われる

ーここからは宮本さんの幼少期を振り返ってお伺いしていきます。サッカーはいつから始められたのでしょうか?

小学校3年生のときに自分からサッカーをやりたいと言って、地元のサッカーチームに入りました。

サッカーのほかにも両親からバドミントンを勧められてバドミントンをしていました。市の大会で3位に入賞したことで両親には「バドミントンの強い中学・高校に行ってほしい」と言われましたが、バドミントンはやらされている感じが強くて。それには応えずサッカーをしていました。

バドミントンも楽しかったのですが、あまり積極的に取り組んでいなかったと思います。

ー中学校でもサッカーは続けられて、14歳で転機となるボクシングと出会ったのですね。

中学校2年生といえば、高校受験や仕事に繋がる進路を決める時期に差し掛かってきます。しかし、バドミントンを辞めて両親からとやかく言われなくなって勉強をしなくなり、テストで赤点を取るようになりました。「高校どうするの、これで将来決まるんだぞ」と両親や先生から脅しのように言われていました。

そんな時期にたまたま見たのが、ボクシングを題材にしたアニメでした。

3話見たところで「将来お金を稼ぐ手段としてボクシングってありかもしれない」と思いました(笑)。

ーアニメの中で印象的なシーンがあったのですか?

アニメの主人公が、素人からだんだん力をつけてプロになっていくストーリーで「ボクシングってそんな感じか」と思って。それからプロボクサーのなり方やどんな人がプロになったのかを調べてみると、ほかのスポーツのように幼少期に始めていなくても努力次第でいけそうだと感じました。

プロボクサーについて調べたりアニメを見たりしているうちに、興味をそそられ「今から勉強してもな…」と急にボクシングにのめりこみ始めました。

ーその頃はサッカーもされていたと思いますが、プロサッカー選手になろうとは思わなかったのでしょうか?

地域の選抜チームに推薦される子たちを見て「自分は違うんだ、この世界でプロにはなれないだろうな」と小学生ながらに感じて。サッカーを始めて1年でそう感じたため、プロサッカー選手になりたいとはあまり思わなかったです。

ーサッカーは楽しみつつ、ボクシングではプロを目指すことにしたのですね。

はい。みんなが受験勉強をしている中で、私は真剣にボクシングジムを探していました(笑)。住み込みで働ける仕事も見つけて、中学校を卒業したら東京の有名なジムに行きたいと熱弁したのに「お前アホか」と両親や先生に言われて。

「ボクシングやるから高校には行かない」と常に言っていましたが、大人たちに丸めこまれて高校に行くことになりました。勉強もまったくしておらず、落ちようとしていたのに入学できたのは定員割れしていたからです…(笑)。結局高校2年生の夏休みには高校を辞めました。

ー高校を辞めるときも波乱があったのではないでしょうか?

高校の先生からの圧力はかなり強かったですが、このときはなんとか脱出しました。親からも止められましたが、半分は諦めていたと思います。

プロボクサーになるため高校中退

ー高校1年生の3学期からボクシングジムに通い始めたのですね。

高校1年生の終わりごろにたまたま地元にボクシングジムができて、高校に在籍していた最後の半年でやっとジムに通い始めることができたのです。

それまではジムや部活もなく、気持ちだけプロボクサーになる訓練をしていました(笑)。

ー当時できたばかりのジムですが、いかがでしたか?

すでにプロの方がジムを移籍して何人か来ており、その中で練習をさせてもらっていました。

プロテストは17歳から受けられ、ジムに通い始めて約半年で「誕生日に合わせてプロテスト行けるね」と言われました。プロのトレーナーから見てプロテストを受けられるほどの実力があるなら、行きたかったジムに行っても戦えるという確証を得てジムを移籍したのです。

ージムに移籍して生活も変わったと思います。

ジムにはプロになりたいと集まっている人がたくさんいて、私はアマチュアの試合に出て経験を積んでいました。プロの選手も多く在籍していたため、私たちを見てくれるのはプロ選手を担当していない新人かおじいちゃんトレーナーでした。

育成に重きを置いているジムではありませんでしたが、ジムに入った順で年に何人かがプロになっていました。

ーその後、20歳でボクシングを辞められたのですね。

約4年ボクシングを続けたのですが、拳をケガしてしまい、何度治療しても再発するようになりました。ケガと治療の繰り返しがいやになってボクシングを辞めたのです。

ちょうど昼間に派遣社員として働いていた工場も契約更新の時期で、正社員になる選択もあって悩みました。しかし「俺の人生はこんなものではない、俺にしかできないことがあるはずだ」と思い、真っ先に思い浮かんだのがサッカーでした。

ーそのときボクシングのことは考えなかったのでしょうか?

自分の中で区切りをつけていたため、ボクシングのことは考えませんでした。それよりも仕事を辞めたらどうするかを考えている中で思い浮かんだサッカーを、どうすれば仕事にできるのか考えていました。

サッカーに携わる仕事がしたくて調べていたら、コーチの募集がかなり多く出ていて。「コーチってそんなに簡単になれるの?」と思いましたが、調べていくうちに思ったよりも簡単になれると知りました。

小さい頃からウイニングイレブンというサッカーゲームで、自分でプレーするよりもチームを動かすほうが楽しかったです。中学校でも私が戦術を決めたり、友人と相談したりしてチームを動かしていました。

段階を踏めば監督になれると考え、コーチになりました。さらに町クラブの小・中学生の監督をできるなら、それを仕事にしてみたいと思ったのです。