不登校の子どもを3週間で再登校させる。小川涼太郎が人生をかけて取り組む事業とは。

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第990回目となる今回は、株式会社スダチ代表・小川涼太郎さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

不登校を3週間で再登校させるための支援をされている小川さん。現在のキャリアに行き着くまでに経験されてきたことをお伺いしました。

学級崩壊のなかで過ごした中学生時代

 

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社スダチで教育事業をしている小川と申します。アビームコンサルティング株式会社で3年間勤務したのちに起業。現在会社は5期目になります。不登校で悩むお子さんを3週間で再登校させるプログラムを提供していて、500人以上のお子さんを再登校に導いてきました。

ー現在、不登校のプログラムを提供されている小川さんは、幼少期からどんな人生を歩んで来られましたか?

親の仕事の都合で、3歳からインドネシアに住んでいました。その後、徳島で中学、高校生時代を過ごし、大阪の大学に進学しています。

中学生のころ通っていた学校は、学級崩壊をしている状態。先生が生徒に殴られて骨折したり、授業中に鬼ごっこがはじまったり(笑)。今思うと結構やばい学校にいたなと思います。正直、毎日命の危険を感じながら日々を過ごしていました。

ーそれは壮絶ですね…。高校をご卒業された後、大阪の大学に進学された理由を教えてください。

徳島からとにかく出たい気持ちが強かったですね。地方あるあるだと思いますが、わたしが生まれ育った場所も価値観が固定され、多様性が認められない環境でした。親族や周りの大人たちから公務員になることが正しいと押し付けられ、同級生のほとんどが徳島の国公立に進学。

もちろん、それが本人にとっての幸せだと良いと思います。わたしは、もっといろんな選択肢を見てみたいと思っていましたし、子どもながらに「選択肢を潰されている環境だな」と感じる部分がありました。

焼肉屋のアルバイトで成功体験を積む

ー徳島から出て、大阪での大学生活は「ようやく徳島から出られた!」というお気持ちも大きかったと思います。

もちろん、その気持ちもありました。ただ、入学したときの友人が一人もいなくて、友だち作りにとても苦労しました。イメージしていたキラキラ大学生活とはほど遠く、結果的に地方から出てきた人同士の5人組でほとんどの大学生活をともに過ごしました。

学生生活に慣れてきたタイミングで焼肉屋でアルバイトをスタートしたのですが、それがわたしにとって転機だったなと思います。

ー焼肉屋さんでのアルバイトでどんなできごとがあったのでしょうか?

いわゆる「食べ飲み放題の焼肉屋」で、店長も厳しくオーダーが10分以内に出ないとブチギレられる結構ブラックなアルバイト。同じ時期に入社した人たちはどんどんやめていく状況でした。ただ、わたしにとって淡々と単純作業をこなし、できないことが努力とともにできるようになっていく感覚ははじめての成功体験でしたね。

これまでの人生はたいした勉強もせず、部活もやらされているだけ。焼肉屋でのアルバイトは、ひたむきに自分が努力してがんばることによって報われる楽しさを教えてくれた場所でした。

ブラックだったとは言いましたが、卒業するときには仕事もお互い協力しあってできる環境になっていて、こんな職場がもっと増えれば幸せな人が増えるんだろうなと漠然と感じたことを今でも鮮明に覚えています。