自分の感性に驚こう。建築デザイナー・イケガミアキラが好奇心を大切にする理由

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第915回目となる今回は、建築デザイナーのイケガミアキラさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

東京とウガンダを拠点に活動する設計事務所に勤務し、建築設計を行うイケガミさん。建築以外にも、ZINE共創プログラム「ethnodiving(エスノダイビング)」の企画・運営など個人の活動にも取り組んでいます。建築設計と個人活動の両軸で活躍するイケガミさんの価値観の変遷を紐解きます。

東京とウガンダを拠点に、国内外の建築を設計する仕事

ー初めに自己紹介をお願いします。

建築デザイナーのイケガミアキラと申します。大学・大学院で建築の設計やデザインを学び、海外インターンも経験しました。現在は、東京とウガンダを拠点に活動する建築設計事務所 TERRAIN architectsで国内外の建築設計・監理に携わっています。

ー建築デザイナーとは、具体的にどういったお仕事ですか?

個人住宅や集合住宅、教育施設や商業施設など多岐にわたる建築の設計が主な仕事です。また、所属する事務所はウガンダにも拠点があり、気候や材料など日本とは異なる環境での建築も設計しています。

ー日本や海外で設計の仕事をしているからこそ感じる、やりがいや大変さというのはどういったところでしょうか?

日本と海外の設計は異なる点を考慮しなければなりません。例えば日本は、地震が多い国なのでそもそも建築の法規がとても厳しいです。かなり正確な計算も求められますし、設計するプロセスも注意する部分が多い。それに日本は四季があるので、暑い時期と寒い時期の両方で心地よい環境を成立させる必要があります。

一方ウガンダは、日本と比べると法規はそこまで厳しくありません。赤道直下の国ですが標高も高いため、気候も年間通して平均20度と安定しています。そうなると、1年を通しての温熱環境という点では、日本で設計するほどシビアではなかったりもします。ただし、職人の技術レベルは日本の方がかなり高いので、ウガンダでは技術レベルを考慮して設計を考えないといけなくなるんです。そこは気をつかいますね。

もちろん国内外で共通する部分や、ウガンダでやったことを日本で試せないかと考えることもあるので、その点は面白いですね。

自分に過信せず、周りと助け合いながら生きようと思った経験

ーここからは、イケガミさんが現在の仕事にたどり着いた経緯や、どのような経験から今の価値観に至ったのかをお伺いします。大学受験で転機があったそうですね。

中高一貫校に通っていたため高校受験もなく、サッカーにのめり込んでいた学生時代でした。気づいたら大学受験の時期で、ギリギリに受験勉強を始めたのですが、案の定受験に落ちて浪人することになりました。

高校生の頃から建築に興味があったので、ちょうどサッカーから建築に切り替わったのが人生のターニングポイントですね。目標がはっきりしていたため、浪人期間は集中して勉強を頑張れたのでよかったと思います。

ー浪人生活を経て、振り返ってみると今に活きていることはありますか?

現役で落ちたときにかなり落ち込んだんですよね。勉強していなかったので落ちるのは当たり前なんですけど、当時なぜか謎の自信があったんです。合格すると思っていたのに落ちたので、その反動のショックが大きくて。

元々そんなに感情の浮き沈みがないタイプなので、このときに落ち込んだのは、想定していたことと逆の結果が出る可能性があることを全く想像できていなかったからなのだと思います。それ以降、結果が出るものに対しては、「望んでない結果が出る」という前提で物事を組み立てるようになりました。

もちろんいい結果が出ると思って全力で取り組むんですけど、常に最悪の結果を考えることは受験の経験から癖づきましたね。

ー最悪な事態を想定しながら、次の行動を決めているのですね。

ある種のリスクヘッジですよね。自分に対してのハードルを低くしています。

「私はなんでこんなことができないんだろう」と気落ちしやすい人は、おそらく自分に期待しているからだと思うんです。一方で、僕は「できなくても大丈夫」という考え方をするので、現にできなくても落ち込まないし、できたらラッキーぐらいの感覚でいるようにしています。

ー大事な考え方だと思います。その後、大学に進学されてから苦労された出来事があったそうですね。

大きく二つありました。一つ目は、大学2年生のときに同じ学部の友人を交通事故で亡くしたこと。学部の同級生はみんな仲が良かったのですが、全員その事故の影響を受けてしまって。自分のまわりの人間関係が少しずつうまくいかなくなった時期がありましたね。

もう一つは学業面です。大学で出される課題の評価がいまいちだったんです。先ほどの人間関係とも重なって苦労したように思います。

ーそうだったのですね。当時いろんな心情があったと思いますが、乗り越えられたきっかけはなんだったのでしょうか?

結果的には、周りの友人のおかげですね。亡くなった友人が音楽系の団体に所属しており、そのメンバーたちと僕ら建築学科のみんなで追悼コンサートをすることになりました。彼はディズニーが好きだったので、一緒にディズニーのミュージカルをやったんです。そういったことを経て、みんなで乗り越えていったように思います。それに時間が経つにつれて、少しずつ自分もみんなも落ち着いていったのだと思います。

ー誰しも辛い経験や心が病んでしまう体験をすることがありますが、どうしても乗り越えなければいけない時期がくると思います。イケガミさんのお話は、そういった場面に直面した方への何かしらのヒントになると感じました。

辛いことやネガティブな出来事があったときに、そもそも僕は一人で何かできると思っていないんです。「一人で乗り越えられないのは当たり前だ。だから周りの人と助け合おう」という考えが根幹にありますね。