新人での活躍から一転、どん底へ。そしてキャリア復活の先に見えてきたものとは。

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジを開催いたしました。

第一回目のゲストは月岡愛里(つきおか あいり)さんです。メガベンチャー企業での経験を経て、現在は広告代理店にてプランナーとして活躍されています。今回のキャリアラウンジのメンバーは人事の仕事をしている社会人2年目のKさん、人材サービス会社やレースクイーン、ライターなど様々な仕事を同時進行でこなしているHさん、メディア編集をおこなっているSさんです。

業種、職種の異なるメンバーでどのような話が飛び出したのか、キャリアラウンジ第一回目のレポートです。第一部では月岡さんへのキャリアインタビュー、第二部では参加者から月岡さんへの質問を中心にご紹介します。

色々な経験を積んだ学生時代

月岡さんはどんな学生時代を過ごしていましたか。

大学時代はフリーペーパーを作ったり、テレビ局カメラアシスタントのアルバイトをしていました。フリーペーパーは大学の外の組織で、大学生が集まって、私はライターなどをやっていました。

最初の会社は某ITメガベンチャーということですが、なぜそこを選ばれたんですか。

コンテンツ制作に興味があって、最初はマスコミも考えましたが、テレビ局は企画の仕事ができるようになるまで下積みが長いと聞いていました。バイトでTV局の厳しさを知っていたのもあり、十数年の下積み時代は私には耐えられないなと思って、就活では若いうちから様々なことを任せてもらえそうなIT系の会社を中心に受けることにしました。そして、ご縁があり、某ITメガベンチャーに入社しました。

入社後、話題作と関わる!しかし、その働き方は…

某ITメガベンチャーではどのような仕事をしていましたか。

入社一年目はメディア事業部に配属され、ライターや編集などの仕事をやっていました。

入社2年目の秋に、ネット配信のTV局に異動になり、番組の企画制作を担当しました。前述のように元々マスメディアに興味がありましたが、地上波の局よりも比較的早い段階から企画に携われたり、裁量を任せてもらえる部分が大きいのではと感じましたね。同世代のなかで一番早く自分の企画で番組を作りたかったので通常の業務の合間を縫って積極的に企画を出しました。

ネット配信のTV局では、どんな感じで仕事をしていましたか。

あるヒット番組のチームに入ることになり、社内外ともに優秀なメンバーのなかで働くことになりました。

その時の自分は、会社の最前線の部署にいるという充実感、番組のヒット、視聴者からたくさんの反響がある喜び、業界の雰囲気などでランナーズハイのような状態になっていたと思います。

言ってみれば、スターマリオ状態です。その時は、「一回休むと休みに慣れてしまうから、土日も働いていたほうが仕事モードを継続できていい」という謎理論のもとに働いていました。

なるほど、実際、その理論で働いている20代は多いですね。

結構いると思います。そういう働き方をすることで、「自分は頑張っているぞ」という自己肯定感が湧いてきちゃうんですよね。

業界的にどうしても土日に仕事が入ることも多く、休みになった日は家で死んだように寝る、というような生活でした。まだ自分にとってちょうどいい働き方と休み方をわかっていなかったのだと思います。

そして、ある日身体に異変が。

ある日、突然どん底がやってきたと伺いました。どんなことがあったんですか。

そんな働き方を続けていたある時、朝起きたら突然背中が痛くなって、息ができない状態になってしまったんです。「これ、やばいやつだ」と思って病院に行ったら案の定働きすぎだったようで、「仕事を休んだ方がいい状態」だと言われ、会社を2ヶ月休職することになりました。気づいたらコンビニで店員さんに「レシートいらないです」って言う気力もなくなっていて、そんな自分にかなりショックを受けました。いわゆる「お暇」なので旅行した方がいいのかなぁと思って旅行代理店にも行ったんですけど、店員さんと喋れなくて帰ってきてしまう、というようなこともありました。もともと話すのが好きな方なのですが、休職して最初の1~2週間くらいは文字通り「どん底」って感じでした。

自分がそんな風になるなんて信じられなかったのですが、幸い周りの色々な人が助けてくれたこともあり、ちゃんとご飯食べて、寝て、規則正しい生活をしたら、どんどん体調も良くなっていきました。2ヶ月の休職期間のうちの後半1ヶ月は国内外に旅行しまくるくらい元気に過ごしていました(笑)

2ヶ月で完全に元に戻りましたか?

しっかり休んだので、自然と「働きたいな」という気持ちが湧いてきました。もともと仕事は好きだったので、働くのが完全に嫌になったというわけではなく、まとまった休息が必要だったんだと思います。ちょうど休む前に出していた企画が通って、番組にできそうな段階まで来ていたのもあって、それを担当するために仕事に復帰しました。

その番組はいま第三弾まで続いています。自分の成果物として企画、制作できて本当に良かったと思っています。

2ヶ月で復帰、自分の働き方を冷静に見つめる

復帰後の働き方はどんな感じでしたか。

私は一回休んで同じ部署に戻り、運よくそれなりの成果も残せました。しかしスターマリオ状態が終わって、2ヶ月間冷静に自分に立ち返る時間を持った結果、自分にとって一番働きやすいやり方や業界は何か?と考え直すようになりました。この仕事自体は好きでしたが、長く社会人として働き続けるのであれば、好きな仕事をしつつも自分に合った仕事と生活のリズムを保てるやり方を模索していくべきだと思ったんです。そんな考えから、次の職場を探すようになりました。

転職活動の主なツールはTwitter

転職活動はどのように進めましたか。

メディアの編集長やベンチャー企業の社長など絞って3~4社ぐらい話を聞きました。ほぼTwitterのDMで連絡をとっていたと思います。転職エージェントに登録することも考えましたが、DMの方が話が早いかなと思ってそういう手段をとりました。業界にもよると思いますが、こういう手段もありだと思っています。

次の目標は、社会問題を知るきっかけとなるコンテンツを作ること

ロールモデルや理想とする形といったものはありますか。

「この人みたいになりたい」というロールモデルはいませんが、周りに男女問わずかっこいい生き方をしている先輩や友達がたくさんいるので、良いところを参考にしながら自分に合った働き方を探しているところです。

これまで記事や番組などの企画の仕事をしてきたので、自分も痛感した働き方の問題や、女性の生き方にまつわる問題について知るきっかけになるコンテンツを作っていきたいと思っています。そのためにいまジェンダーやフェミニズムについて勉強中で、本を読んだり勉強会に参加したりしています。

最後に、学生就活生の時代を振り返って、某ITメガベンチャーに入社してよかったなと思うことや、当時の自分へのアドバイスはありますか?

完璧な職場はないと思いますが、キャリアの第一歩として、某ITメガベンチャーはとてもいい職場だったなぁと思います。社会人として大切な考え方をたくさん教えてもらいました。

例えば、『信頼残高』=信頼は貯金であるという考え方は大切にしている教えの一つです。メールや依頼ごとの返信を早くする、時間を守る、頼まれたことにちょっとプラスアルファして返す、というようなことの積み重ねで、自分の信頼残高が貯まっていきます。残高が増えれば、大きい仕事が来たときに「その子に任せてみようかな」と思ってもらいやすくなりますよね。誠実な対応の積み重ねがチャンスを呼び寄せるという素敵な教えだと思います。会社は変わっても、そういう教えは自分の財産になっています。