商社マンが複業で踏み出したのは教育の世界。世代を超えて“学び合う”コミュニティづくりへの挑戦と情熱

「サラリーマンが“せんせい”をする、そんな世の中を作りませんか?」

2018年12月3日、Facebookに投稿された一言から、中高生と先生、ビジネスパーソンが垣根を超えて学び合うコミュニティ「ANOTHER TEACHER」が立ち上がりました。

発起人は、総合商社丸紅で史上最年少の従業員組合専従に抜擢された小澤悠さん。「全く未経験の分野でも、“サラリーマン”の自分だからこそできることがある」と語ってくれました。

商社でのビジネスを経験しながら、教育分野という全く異なる領域に飛び込んだ小澤さんの想いとはどんなものだったのでしょうか。ご自身のこれまでのストーリーとともに伺いました。

小澤 悠 / Yu Ozawa

1990年兵庫県西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2013年丸紅株式会社入社。大豆・菜種等の穀物トレーディング業務に従事。2017年から組合専従。現職に至る。専門は働き方改革と組合主導でのコミュニティ創出。 2019年1月に、日本人全員を“せんせい”にして「中高生と先生、働く大人の壁をなくし、日本を今よりも元氣にする」ことを目的として「ANOTHER TEACHER」を設立。

人生のターニングポイントは、「中学受験の失敗」と「入社してから暗黒の4年間」

-まずは、丸紅に入社されるまでのプロフィールについてお聞かせいただけますか。

生まれは、甲子園球場がある兵庫県の西宮というところです。大阪にある中学・高校と一貫制のインターナショナルスクールに片道1時間半くらいかけて通ったのち、東京の大学に進学しました。大学では、トライアスロンをずっとやっていて、とにかく「筋肉バカ」な4年間でしたね(笑)。そして、丸紅に新卒で入社しました。

-体育会系の大学生活から、総合商社へ。とても順風満帆な学生時代を送ってこられたんじゃないでしょうか。

でも振り返ると、中学受験で失敗してしまったことは人生でいちばん最初の挫折でしたね。今でこそ体育会系な感じですけど、小学生のころは絵に描いたような「ガリ勉」でした。小学3年生のころから、ずっと行きたいと思っていた第一志望の中学があったんです。スポーツも習い事も辞めて、勉強にフルコミットしていました。

ところが……自分なりにマジメに頑張っていたのに、どんどんサッカーも上手い文武両道の子達に成績を抜かされていくんですよ。結局、3年間のガリ勉生活もむなしく、第一志望には落ちてしまって。あのときは、本当に悔しかったですね。

-自分なりに精一杯の努力をしたけど、実らなかったという苦い経験があったんですね。

はい。でも、挫折ではあったものの、いい意味でターニングポイントでもありました。第二志望で入った中高一貫のインターナショナルスクールでは、今まで自分が持っていた概念をぶち壊されたというか……人生の視野を広げてもらったなと思います。

正直、勉強の成績だけで言えば校内でかなりいい方でした。けど、みんな勉強以外の面で輝いてる人が多くて。帰国子女で二か国語は当たり前に話せたりとか、モデルやサッカーの代表選手としても活躍してたりとか。僕は当時、言ってしまえば勉強を頑張ることが自分のアイデンティティだと思い込んでいたのですが、それ以外にも自分の軸を持つ方法っていくらでもあるんだなって思いました。もともと行きたかった第一志望はバリバリの進学校なので、そっちへ行っていたらこういう経験はできなかったでしょうね。失敗した先にも、ちゃんと道は続いているから、それで終わりじゃない。失敗してもいいんだと思えたことは、自分にとって大きな糧です。

-中学受験で第一志望に落ちてしまって、それは失敗ではあったけれど、だからこそ素敵なアナザーライフを送れたと。いい話ですね。そして筋肉バカな大学4年間ののち、丸紅に入社されたんですね。

はい、大学と会社は、第一志望のところに入ることができたんです。中学受験でできあがったコンプレックスの克服にはなったんですが、入社してからの4年間は、全くパフォーマンスが発揮できなくて……まさに、暗黒時代でした。

-4年間も……当時は、どんなお仕事をされていたんですか?

最初の2年間は、穀物のトレーディング部門に配属されました。そこでなかなか成果を上げられず、「1回、数字を勉強してこい」と、トレーディングの数字管理と分析をする部署に異動になったんですよ。ひたすらExcelと向き合うという仕事が、さらに自分に合っていなくて……。大事な仕事だとはわかっていても、「これを自分がやる意味ってなんなんだろう」と、毎日悩んでいました。トレーディングがダメ、数字の分析もダメ。もう自分の強みは何もないし、社会で活躍なんかできないんじゃないかって、少し自暴自棄になっていましたね。

暗闇のトンネルを抜けられたのは、自分の強みを再発見し、社外のコミュニティに支えられたから

-自分の強みや会社への貢献を全く感じられず、苦悩続きの4年間を送っていたんですね……そこから、今の従業員組合での活躍につながる転機はなんだったのでしょうか?

当時、「このまま会社にいてももうダメだ」と思って、転職活動をしていたんですよ。コンサルティング会社に内定をもらって、そっちに行こうと思っていました。のちに僕の上司となる従業員組合の委員長と話していたときに、そのことを打ち明けたんです。そしたら、「コンサルには向いていないんじゃない?  分析とか苦手なんでしょ」「だいたい、お前は会社の文句ばっかり。自分が活躍できないのを、全部会社のせいにしてるだろ」と言われて……。

指摘が正しすぎて、反論の余地もなかったですね。たしかに、僕は苦手だと思うことを「意味がない」と決めつけて、環境を変える努力をしていなかったんです。おまけに自己分析もできていなかった。「従業員組合なら、経営陣と対等な立場で会社への要望を伝えられる。変えたい部分があるなら、同じ意見を集めて、自分から変えることから始めてみろよ」と言ってくれたんです。それで、従業員組合へ異動することになりました。それが、入社5年目、2017年のことですね。

-異動して、状況は変わりましたか?

まるっきり変わりました。従業員組合では、人前でプレゼンをしたり、イベントを実施するために人を集めたり、場づくりをしたりすることが求められたんですが、自分にはそういうことがドンピシャで合っていた。また、「働き方改革」の担当になって、いろいろな会社に飛び込みで話を聞きに行ったり。がむしゃらにアプローチしていくうちに、ほかの会社の人ともすごく仲良くなれて、自分の仕事をメディアに取り上げていただく機会にも恵まれました。

自分が素直にやりたいことと、自分の強みを生かせることが一致した仕事をすると、こんなに楽しいんだって実感しましたね。人からもらえる評価も180度よい方向に変わりました。こんな自分でも、人のため、会社のために仕事ができているんだと、嬉しかったです。

-まさに、適材適所ですね! 異動が転機になったとのことなのですが、悩んでいた4年間ってけっこう長い期間ですよね……。その間、何が小澤さんの支えになったんでしょうか。

家族だったり、社会人になっても続けていたトライアスロンの仲間だったり……社外に信頼できるコミュニティを持っていたことにすごく救われましたね。社内ではどんなにダメなやつ扱いでも、会社の評価とは離れて、自分という人間と向き合ってくれる友人に支えられていました。また、トライアスロンでは社会人3年目のときに、アマチュアですけど世界大会に行くことができたのも大きかったです。

今、複業としてやっている「ANOTHER TEACHER」での活動にも通じるんですが、複数の居場所を持って、それぞれ別の評価軸をもらえる環境に身を置くことってすごく救いになると思うんですよね。心の安定が保たれるというか。

-なるほど。社内では全然評価されないし、何もうまくいかない、しんどい状態だったけれども、社外に仲間がいたことや、評価してもらえる場があることが支えになったんですね。

みんな誰かのせんせい。「ANOTHER TEACHER」で実現したい世界

-今お話にも出たんですが、改めて、代表を務められている「ANOTHER TEACHER」の活動について教えていただけますか。

具体的な活動としては、中高生と先生、ビジネスパーソンをつなげて、キャリアについての授業を行ったり、一緒に日本の未来を考えるワークショップをしたりしています。

-どういう想いでこの活動を始めたのでしょうか?

大きく2つのビジョンがありまして。1つ目は、中高生と社会人という異なる世代間の断絶をなくして、もっと当たり前にお互いが交流できる世の中をつくっていきたいという想いです。

僕が中高時代を過ごしたインターナショナルスクールでは上下関係が一切なくて、年齢や学年を超えて、ため口でフラットに意見交換できたり、自由なアイディアが出せたりする環境でした。でも、大学で入ったトライアスロンサークルでも同じように先輩に接したら、めちゃくちゃ怒られたんですよね。会社でも、年功序列の風土は根強いです。こんなにガチガチな上下関係が敷かれていたら、お互い積極的に交流していくのは難しいんじゃないかと違和感を持っていました。

-世代間で断絶がありますよね。

そう、まさに断絶で。さらに、学校という場って閉ざされていて、先生や親以外との大人と関わりを持つことが極端に少ないですよね。お互いの価値観を知ることは、新入社員を迎える企業側の大人たちにも必要なことだと思うんです。

とある女子校・男子校共催のアイディアソンを見学して、衝撃を受けたことがあるんですよ。課題に対するソリューションを出して、プレゼン発表をするという内容だったんですが、iPad上で同時編集をしながら、たったの45分で、すべてのチームがGoogleサイトでページをつくってまとめ上げていました。「このチームビルディングはすごくないか。大人には無理だぞ……」とめちゃくちゃ焦燥感に駆られましたね。大人たちは、こういう中高生のすごい面を知って、取り入れるべき。お互いの世代ならではのいい面を吸収し合えれば、日本の生産性ってもっと上がっていくんじゃないかと本気で思ってます。

-大人がキャリアについて一方的に教えるんじゃなくて、中高生から学べることも大いにあるということですね。

はい。それがまさに「ANOTHER TEACHER」の2つ目のビジョンでもあります。「“せんせい”の民主化」と僕たちは言っています。“せんせい”とは資格・権力を持っている一部の人のものではなく、自分が持っていない知見・体験・ストーリーを有している人であると再定義しています。お互い“せんせい”なのだから、学び合えて、お互いをリスペクトしあえる、という世界を実現したいんです。教員免許を持っているから“せんせい”なのではなくて、みんなが誰かにとっての“せんせい”になれる、というか。

-職業や肩書きとしての「先生」ではなく、目の前にいる誰もが自分にとっての「せんせい」になり得ると。お互いにリスペクトし合える世界観って素晴らしいですね。

はい。それを実現するためのコミュニティをつくっていきたいですね。

でも、既存の教育業界のあり方をぶち破っていくようなことをしているので、反論されたり、叩かれたりすることもまだまだあります。「教員免許も持っていないやつに何ができるんだ」とか、「サラリーマンが何やってるんだ」とか。

-そんなふうに言われてしまうこともあるんですね……

でも、サラリーマンの僕だからこそできたこともあります。「ANOTHER TEACHER」は、今では協力してくれるメンバーが何百人もの規模になっているんですが、それは僕にカリスマ性があるからとかじゃなくて。会社に貢献できていない時期や、転職を悩んだ時期もあった。そんなどこにでもいる普通のサラリーマンだからこそ、想いに共感してもらえたのかなって。自分でひとりで全部できちゃうタイプだったら、こんなに人に集まってもらえなかったと思うんですよね。

今年は、「ANOTHER TEACHER」を法人化させる予定です。ただ、これからもサラリーマンとしての自分は持っていたいなと思ってます。かつての僕のように、会社で上手く強みを発揮できなくて悩んでる人の気持ちに寄り添って、その人たちがワクワクドキドキできるような環境をつくっていきたいですね。

-今年は、「ANTHER TEACHER」としても、小澤さん個人としても飛躍の年になりそうですね。

はい、もっともっと加速して、世の中への影響力を高めていきたいですね。

もし、「ANOTHER TEACHER」の活動に興味を持ってくれた方がいれば、ぜひ連絡ください。本当に、みんな誰かの先生になれるので、全員コミュニティに案内します!

(取材:西村創一朗、写真:橋本岬、文:村尾唯、デザイン:矢野拓実)