ともに成長できる個性豊かな仲間たちと様々なチャレンジを続けたい。田島蓮園 田島寛也

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第929回目となる今回は、株式会社田島蓮園の代表取締役としてレンコン栽培事業をしている田島 寛也(たじま・ひろや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

ご家族の病気がきっかけで農業に関心を抱き、今やレンコン農家の4代目として会社経営を担う田島さん。日本の農業のあり方についてや、一緒に働く仲間の大切さについて語ってくれました。

農業に関心を抱くきっかけとなったのは「父の他界」

ー自己紹介をお願いします。

田島寛也と申します。愛知県愛西市を拠点とするレンコン農家の4代目として生まれました。現在は祖父から受け継いだ家業のレンコン農家を法人化し、会社経営をしています。

ー仕事内容を教えてください。

農薬と化学肥料を使わないレンコンの栽培がメインの事業です。またレンコンの鉢花や、薬膳用のハスの実も販売しています。規格外のレンコンをチップスに加工して商品にすることもあります。

JAを通さず、100%直売しているのも事業の特徴です。

ー農薬と化学肥料を使わないようにしたのはどうしてですか?

いつも美味しく食べてくださるお客さんのため、より味がよく安全なレンコンを届けたいと思ったからです。

化学肥料はえぐみの原因になるので使わないようにしました。また生物多様性の観点から農薬を使用しないようにしました。

ー続いて田島さんの過去についてお聞きします。14歳で起きた転機について教えてください。

中学3年のときはレンコンや農業に関心がなく、昆虫が好きだったことから昆虫の研究者になりたいと思っていました。

そのようなことを考えていた矢先、大腸がんを患っていた父が46歳で他界

父の死を境に大腸がんのことや、人間が病気になる原因について本を読んで調べるようになりました。そして健康でいるためには、食生活や生活習慣がいかに大切か学んだのです。

そうして父が亡くなって多くのことを学び、いつしか農業に興味を持ちました

実家を継げるのは自分だけ。内定を辞退し経営戦略を試す

ー次の転機に移ります。20歳での転機を教えてください。

大学時代は農業経営に興味があり、学ぶ中でオランダの先進的な農業が目に留まりました。

オランダは国土面積が九州と同じくらいであるのに、農業生産が世界2位なのです。

現地の農業を視察したいと思い、オランダのフローニンゲンにホームステイしました。トマト農家や酪農家を視察し、機械での自動化と事業の大規模化が進んでいることを知りました。

オランダの農業を間近で見た私は、日本との生産性の違いを痛感したのです。そして品質のよさや付加価値を付けて販売したほうが、世界と優位に戦えるのではないかと戦略を立て始めました

ー続いての転機に移ります。21歳での転機について教えてください。

当時は都内で就職活動をしていたのですが、企業からもらった内定を辞退して実家のレンコン農家を継ぐことにしました。

就職はほかの方でもできるけど、実家を継ぐことは自分にしかできない」という考えからです。

またどのように農家を経営するか事前にシミュレーションしていたので、実家を継いで戦略を試すのも面白いかなと思ったのも動機のひとつです。

内定を辞退したため大学から叱られましたが、自分の人生なのでやりたいことを優先して選択しました。

ー内定を辞退をするまでの経緯を教えてください。

東京での生活は刺激があり楽しかったので、サラリーマン生活も充実するだろうと思っていました。しかし実家を継いでも都内に進出するチャンスはいくらでもあると考え、実家を継ぐことを決めました。

実家を継いでどのようなことを感じましたか?

若いうちからやりたいことに挑戦できてよかったと感じました。若いほうが新しい発想でものごとを考えられますし、失敗しても大抵のことは許されるからです。再挑戦もしやすいです。

ベトナムのプロジェクトを通し日本の農業に危機を感じる

ー続いて23歳での転機について教えてください。

JICAの「ベトナムで農業生産を指導するプロジェクト」に参加しました。

プロジェクトを通して、スーパーに並んでいる外国産の野菜が新興国の非常に安価な労働力によって生産されていることを知りました。

またベトナム人の方と話す中で、日本の農業は外国人技能実習生によって成り立っていることを再確認。しかし、いつかはその国が経済発展し、労働者たちが日本に来てくれなくなる未来もあり得ます。そうして農業従事者が減少し、ゆくゆくは日本に食糧危機が訪れるのではないかと思うようになりました。

当時23歳だった私は「日本でも持続可能な食料を生産できるようにすべき」という考えに至りました。

ー日本の農業ならではの仕組みづくりについて何か考えていることはありますか?

国内の資源で農業生産が成り立つようになることが大切だと考えています。例えば、国内のもので肥料を作り上げるという試みです。

また農業に携わるハードルを下げ、日本人の農業従事者を増やすことも重要だと思っています。その場合、これからの農業を発展させていくために若い世代が積極的に農業に携わる必要があります。

これからの日本で生きていくのは私たちなので、新しい考えを持った若者たちの協力は必要不可欠です。