勇気の積み重ねで未来を創る!住友商事・鎌北雛乃が「MIRAI LAB PALETTE」に出会うまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第940回目となる今回は、住友商事(株) 鎌北 雛乃(かまきた・ひなの)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

Z世代のコミュニティマネージャーとして活躍している鎌北雛乃さん。現在のキャリアに至るまで、どのような価値観で意思決定し、行動されてきたかを伺いました。

多様なコラボを生むMIRAI LAB PALETTEを運営!

ーはじめに、自己紹介をお願いします!

鎌北雛乃です。現在26歳で、住友商事株式会社が運営している会員制オープン・イノベーション・ラボ「MIRAI LAB PALETTE」のコミュニティーマネージャーを務めています。

ー「MIRAI LAB PALETTE」について、教えてください!

「MIRAI LAB PALETTE」は2019年の4月に立ち上げられたラボで、2023年の4月で4周年を迎えます。

住友商事の社員から紹介があれば、誰でも登録できます。登録したメンバーさんは、無料で、ワークスペースを利用できたり、イベントに参加できたりします。開催されているイベントのテーマの一例を紹介すると、「web3」「マーケティング」「サイエンス」「日本文化」「不動産」「アート」など。ジャンルを問わないさまざまなテーマで開催されています。

また、メンバーさんから企画を持ち込んで頂くことも可能です。実は、月に開催されるイベントの半数以上が、メンバーさんが持ち込んだコラボ企画で構成されています!現在会員登録者数(メンバー数)は5500人以上になっており、多くの方にご利用いただいています。

自分のやりたいことを見つけるため、ボランティアに挑戦

鎌北さんの幼少期について教えてください。

外で遊ぶのが大好きな、活発な子どもでした。保育園では、お昼ご飯を食べる時間になっても一人だけブランコで遊んでいたり(笑)そんな個性も受け入れてくれる保育園だったこともあり、のびのびとした幼少期を過ごしました。

小学校時代も、引き続き遊ぶのが大好きでした。男の子の友達と毎日公園でキックベースをしていたり、女子サッカーのクラブチームにも入ったりしていました。

ー高校卒業後は、地域活動に取り組まれていたと伺いました。経緯を教えてください!

高校卒業後は仮面浪人をすることを前提に、専門学校に入学しました。大学への編入を目指して毎日勉強していたのですが、日々悩んでいました。「大学に入っても、そもそも何を学びたいのかわからない」「自分が本気でやりたいこと、興味があることって何だろう」とずっと考えていたのです。そのため新しいことにチャレンジして、自分の興味・やってみたいことを見つけたいなと考えていました。

両親に相談したところ、地元における地域活動を紹介してもらうことに繋がり、紫陽花の剪定ボランティアや、東日本大震災で苦しい思いをした福島の子どもを、関東にお招きしたキャンプ運営などに携わらせていただきました。

ー思いがけないご縁から、政治に関わるヒアリング会に参加することになったそうですね。

きっかけは、キャンプ運営に携わった時、運営事務局メンバーの大学生に将来の悩みを相談したことです。当時世間では成人年齢引き下げが検討されていました。「招待制で若者へのヒアリングが実施されているので、参加してみないか?」とその大学生から声をかけてもらいました。

政治に興味はなかったのですが、知らない世界に飛び込んでみようと思い、参加することにしたのです。

ヒアリング会に参加すると、若いのに社会的に活動している子や、政治についてしっかり勉強している子ばかり。「同年代にもこんな子達がいるんだ!」と刺激を受け、感化されました。そこから私の人生は変わっていったように思います。

農業をきっかけに、御宿町の魅力にハマり移住を決意!

ー農業に触れたことも、人生の大きな転機になったと伺いました。具体的に教えてください!

地域活動のボランティアを続ける中で、仲間たちと「もう少し、地に足をつけた活動をしたい」と話すようになりました。話し合う中で農業を始めることになり、千葉県の御宿町の畑とのご縁がありました。

ただ仲間は農業の素人ばかり。それを見た地元で農業をやっているおじいちゃん、おばあちゃんが助けてくれて、地元の人とも仲良くなっていきました。また生活している中で「何時何分に畑に集合ね」と言わなくても、畑に行けばいつもの仲間がいる状況がとても心地よかったです。

このような経験を通じて、「自然発生的なコミュニティ」がすごく素敵だと感じるようになりました。自分が素敵だと感じた「場」をちゃんと形にしたいな、と思うようになりました。

ー大学編入も検討されていたと思うのですが、どのような決断に至りましたか?

その時には、大学に編入しようと思う気持ちも全くなくなっていました。現場で活動をしていきたいという気持ちが強くなり、御宿町に移住をすることに決めました。