建築を通した社会貢献。<プログラムアーキテクト>辻繁輝さんが考える仕事とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第350回目となる今回は、プログラムアーキテクトの辻繁輝(つじしげき)さんです。

大学在学中に自分の進路について見つめ直し、現在ではフリーランスとして、ユニークな肩書のもとで様々な活動をされている辻さん。これまでの出来事や自身の性格について振り返ってもらいながら、辻さんの考える仕事や、自分だけの肩書の作り方について伺いました。

東大で感じたギャップと方向転換

ーまずは現在のお仕事と自己紹介をお願いします。

2021年の3月からフリーランスとして、主に不動産の企画と建築設計の仕事をしています。建築の設計だと住宅をリノベーションして欲しいという依頼が多いですね。古い建物を内装から設備まで手掛けることもあれば、住む人にとって心地よい暮らしを一緒に考えるということもしています。僕の場合は、カッコいい建物をつくるというよりも、今の時代には何が求められていて、建築を通して社会に貢献するためにはどうすればいいのかを常に考えて活動しています。

ー建築や不動産には元々興味があったんですか。

いえ、高校時代は環境問題に興味があって、大学は農学系の学部を中心に受験していました。高校生の頃はあまり本を読む習慣がなかったのですが、テレビで氷河が溶けていく映像を見た時に衝撃を受けて、地球環境に関する本だけは読んでいたんです。お金を稼ぐだけではなくて、当時から何か社会に貢献できる仕事をしたいと思っていたんです。

ー高校生の頃から社会問題に対して敏感だったんですね。大学での生活はどうでしたか。

進学した東京大学では2年生の秋に学部を決めるので、農学部を選択できる理科二類に在籍していました。正直なところ、大学では学問や研究に明け暮れたというよりも、バイトやサークル活動に積極的に参加することで、できるだけ外との関わりを持つように意識していました。

意外かも知れませんが、東大生のなかには入学することが目的になっていて、肝心の学生生活を受験後の燃え尽きた状態で過ごす人が少なくありませんし、同じ東大生にも関わらずマウンティングしてくる人もいます。僕は横浜にある中高一貫校出身なのですが、同じ年に30人くらいは東大に進学していました。もちろん合格した時は嬉しかったですが、同じような人を何人も知っていたのでそれほど特別な存在であるとも思っていませんでした。でも中には地方の高校出身で、地元では神童と言われていたり、同じ高校から一人しか東大に合格していないという環境の人もいます。彼らが威張っている姿を見ていると、入学前に期待していた東大とは大きく違っていて、半ば絶望した状態で学生生活が始まったという感じでした。

ー東大と聞くと、明確な目的があって研究に没頭している人ばかりかと思っていたので意外でした。辻さんの場合、なぜ環境問題から建築へと興味がうつったんでしょうか。

1,2年生は教養科目を中心とした時間割で、皆が同じ講義を受けることが多いですが、選択可能な環境問題に関する専門的な講義にも出席していました。興味のあったからこそ主体的に勉強できた一方で、環境問題については、僕一人の力だけでは社会に対して貢献できることが少ないとも感じました。取り組むべき課題が沢山あることは間違いありません。とはいえ、研究者同士が空中で議論を戦わせている姿を見ていると、僕が今から勉強したところで大人の言い合いに混じるだけになってしまうと思ったんです。

ーひと筋縄ではいかない問題ですよね。ところで、建築を選んだのには何か理由があったんですか。

元々インテリアやデザインに興味はありましたが、最終的にはなんとなく直感で選んだというのが実際のところです。でも、勉強していくうちに自分の性格や考え方と合っていることに気付いて、徐々にのめり込んできました。

「コンセプトづくりと言えば辻」という共通認識

ー辻さんご自身の性格や考え方に合っていたという点について、具体的に教えて頂けますか。

まず、建築学科それ自体の気質が僕の性格と合っていました。東大の建築学科では出された課題に対して基本的には一人で取り組むのですが、受験と同じで個人プレイではあっても同じ方向を向いて一緒に進んでいく仲間がいます。また、建築というとカッコいい建物をつくることに興味がある人が多い中で、僕は最初の段階であるコンセプトをつくるプロセスが好きでした。例えば図書館をつくるにしても、外観のデザインを考える前にどういう図書館をつくるかを考える必要があります。地域にはどういう課題があるのかを調べた結果、教育機能がある図書館が必要だということになるかも知れません。社会に対して貢献するという目的は、環境問題でなくても、建築であっても果たすことができると思ったことでより前向きに取り組むことができたのだと思います。あと、高校生の時は両親から勉強に対して褒められることがあまりなかったので、教授たちが自分の提案や考えを評価してくれたことがシンプルに嬉しかったですね。

ー建築学科では、例えばどういった課題が出されて、どのように進めていくのでしょうか。

東大では一度だけ3人のチームを組んで取り組む課題があったので、それを例にお話します。世田谷にある桜上水の駅前を開発するという課題で、広い敷地が与えられるだけで何を建てるかは自由。ただし周辺にある住宅にとって好ましい建物という制限がありました。チームで作業を分担する時に、僕はコンセプトの部分を考えることになりました。自分から言った訳ではなくて、周囲からも「辻はコンセプト考えるのが得意だよね」と思われていたようで、顔に出ていたのかも知れませんね。

ー学生の間では、辻さんの強みが既に共有されていたんですね。

何かきっかけがあった訳ではないと思います。一つの設計課題には、具体的な図面を書く前にリサーチした結果や考えたコンセプトを発表する中間発表と、最終的な図面や模型を見せて提案を説明する最終発表があるんですけど、僕の場合は対象となる地域を徹底的に調べた上で課題を洗い出してから提案をしていたので、特に中間発表での評価が高かったんですよ。他の人の提案に関して、学生は教授の意見を参考にするので、自然とコンセプトづくりがうまいと思ってもらえたのかも知れません。

建築へ没頭した結果、社会との接点が生まれた

ー就職ではなく大学院へ進学されていますが、なにか理由があったんでしょうか。

学部生の頃は、バイトやサークル活動に加えて建築の課題も忙しくて、最後の卒業設計の時期には一ヶ月近く学校に泊まって作業をしていました。大学院で進学したのは、腰を据えて自分のやりたいことを突き詰めるためというのが大きな理由です。大学院では授業数も少ないので、起業している友人のサポートをしたり、建築系の学生が集まるワークショップに参加したりして、学部の頃よりも学外との繋がりを強く意識して活動していました。

一番印象に残っている出来事は、研究室の仲間と一緒につくった仮設の建築です。5月に文化祭があるんですけど、社会人も含めた学内のコンペを毎年開催していて、僕の設計案が優勝することができました。自分たちで設計したものが実際に建った初めての経験だったので、いま思い返せば大きな転機でしたね。

ー仮設の建築といってもけっこう大きいんですね。どういうコンセプトだったんですか?

コンペのテーマは「文化祭の休憩スペース」をつくることでした。僕たちのチームは木を組み合わせてドーム状の形をつくり、間から日の光が差し込むように設計しました。休憩所というとベンチが一般的ですが、そこに木漏れ日や木の香りを取り入れたことで、体験型の休憩スペースとして評価してもらえたのかなと思います。

文化祭で展示している期間中に偶然、表参道にギャラリーを持っている方の目に留まり、そこで展示させてもらえることになりました。その展示がきっかけで夏フェスの運営をされている方からは使わせてくださいと声をかけてもらったりと、徐々に自分のつくった物が世に出ていく様子を側で体感していました。

地球環境に興味を持っていた時からずっと、社会に対して何らかの貢献をするという目的は変わっていなかったので、意識的に学外へと目を向けていましたし、だからこそ色んな方々に声をかけて頂けたのかなと思います。

大学院では並行して研究活動もしてはいたんですが、やればやるほど、建築が社会と直結しているにも関わらず、研究の成果があらわれるまでには長い期間がかかることにもどかしさを感じ始めていました。もちろん、長いスパンで考えれば研究活動はとても意義のあることだとは思いますが、僕自身が求めていたスピード感と合わないと感じたんです。だからこそ、コンペや展示に力を入れることで学部の時以上に、社会により近い学外へと繋がりを求めにいったのかも知れませんね。

ー外の世界へと目を向けていたからこそ、学内でも評価されたということなんでしょうか。

学部の頃と比べて、大学院の活動では現実社会をしっかりと見据えた上で提案ができていたのかなとは思います。学部の課題だと例えば、宇宙にお墓をつくる案が優勝するような世界なんです。僕の場合は、ある自治体が出している報告書を読み込んで現実に即した提案をしていたんですけど、大学院では実際に見聞きした内容を踏まえた提案をしていました。小さいことだけど誰もが感じている疑問や課題が提案に反映されていたからこそ、良い評価に繋がったのだと思います。

未来を見据えて、今ある仕事には全力で取り組む

ー就職活動ではどういった業界に焦点を絞っていたんですか。

基本的には建物のコンセプトづくりから携われる不動産の企画職を志望していました。カッコいい建物を設計するのではなくて、社会に求められている建物でかつ事業として利益を生み出せるものをつくりたいという思いが強かったからです。ただ、大手の不動産デベロッパーのように20年後の街全体を考えるという長いスパンでの仕事ではなく、小さいスケールでもスピード感のある会社を選んで就活をしていました。不動産以外だと、設計とマーケティングの会社も同時に受けていましたね。

ー設計やマーケティングを志望したのは、不動産とはまた違った理由があったんですか。

設計に関しては、大学で学んだ知識やスキルではまだまだ実務レベルの仕事をするには力不足だと思っていたんです。マーケティングについてはほとんど何も知りませんでしたが、絶対に必要だとは感じていました。学生、特に学部の頃の設計だと実現は難しくても面白いアイデアやユニークな企画が評価されますが、一方で数字のことはほとんど考えていませんでした。でも、実際に不動産の仕事をするとなれば、社会のニーズに応えた上で事業として成立することが必要だと思ったので、事業の作り方を学べる会社も受けていました。

ー明確な目的意識があったんですね。最終的にはどういった会社を選ばれたんですか。

オープンハウスという、東京を拠点にして全国で不動産開発事業を手掛けている会社に入社しました。始めは、役員と一緒に事業戦略を考える部署に加えて設計の仕事もさせてもらい、最終的には人事の仕事までしていました。1年半勤めましたが、3部署にまたがって仕事をしながら最終的には150棟以上の設計を担当させて頂いたので、企画力と設計力は相当身につきました。

ー期待をされて3部署を兼任されていたということですが、仕事に求められる量も質もかなり大変そうですね。

求められていたことは確かに沢山ありましたが、重要なところだけはいつも外さないように気をつけていました。沢山ある情報の中から大切な部分と譲ってもいい部分を見極めて、優先順位をつけて仕事に取り組むことは、コンセプトを考える作業に通じるところがあるので、自然と上手くできていたのかも知れません。時間が限られている中で何から手を付けなければいけないのかという整理はもちろん、つくるものが決まれば素早く手を動かすということも徹底していました。ただ、おっしゃるとおり働きすぎていたのも事実で、体調を崩していた時期もあります。

ー無理をしてまで仕事をされていたのには、何か理由でもあったんでしょうか。

あくまで自分のやりたいことは不動産の企画だったので、そのために必要な事業戦略や設計のスキルはできるだけ早く身につけたいと思っていたんです。体調が悪い時は病院にいったり、鬱々とした気分の時は運動をしたりして、先の目標に早く向かうためにも、あまり長くは落ち込んでいられなかったですね。オープンハウスを辞めた後は、共通の知り合いが紹介してくれた仕事を通して、本当にやりたかった不動産の企画に携わることができました。

新しい感覚の建物を作り上げる喜び

ーどういったお仕事だったのか詳しくお聞かせ頂けますか。

飲食店を経営しているSaltという会社から、新たに不動産事業に展開していきたいというお話に誘って頂き、2020年の7月に広尾でオープンしたばかりのEAT PLAY WORKS(以下、EPW)という施設の立ち上げに関わっていました。この施設は6階建てになっていて、1,2階はレストラン街で、中にはミシュランを取っているようなお店にも入って頂いていて、4階以上のフロアはコワーキングスペースがあるオフィスになっています。日本ではまだあまり例がないようなメンバーシップ制になっていて、レストランとオフィスに加えて、夏にはプールも使えるようにしています。仕事にばかり目を向けるのではなくて、遊びや食を通して人と交流することでいい仕事が生まれるという良い循環を生み出したいという思いから、そのためのハブとなる施設を企画させて頂きました。

ーやりたいことが実現できたということですが、なぜそのまま働くことはせずにフリーランスの道を選ばれたんでしょうか。

僕の仕事は物件の立ち上げまでだったので、EPWができた時点で自分のフェーズは終わったと思ったんです。次にまた面白そうな企画ができるチャンスがあればそのまま在籍しようと思っていたんですが、結局フリーで活動していくことに決めました。

ーEPWと並行して、9月には自宅の大規模なリノベがようやく完成したそうですね。自宅のリノベも、フリーで仕事をしていくきっかけだったんでしょうか。

そうですね。自宅であると同時にPOYOHOUSEという名前を付けて、広く色んな人に使ってもらっています。以前まではずっと賃貸に住んでいたんですけど、ある時ふと疑問に思ったんです。一般的な賃貸はできるだけ多くの人に住んでもらう、興味を持ってもらうために間取りや内装は標準化されています。つまり自分のために設計された家ではないということです。それ以来もう賃貸に住むのは辞めようと思って、物件を購入して自分でリノベーションすることを決めました。

完成した9月から半年ほどが経ちますが、既に700人くらいの人に来てもらっていて、実際に部屋の内装や自宅をオープンにしているというコンセプトには共感してもらえました。また、リノベーションの日本一を決める大会に応募したところ、結局賞は取れなかったのですが最終審査まで進むこともできました。

EPWもPOYOHOUSEも、これまでにない新しい建築の形だと思っていて、フリーで活動する際に名乗っているプログラムアーキテクトという肩書は、この2つの建築を手掛けた経験から着想を得た名前です。

ープログラムアーキテクト。聞き慣れない言葉ですがどういった経緯でつけられたんですか。

プログラムという言葉は建築用語で、「住宅」や「オフィス」といった建物の機能を表します。一般的にプログラムは設計する人ではなく不動産会社が決めるので、設計する人はプログラムが決まった建物のデザインをします。僕の場合、大学生の頃から建物のコンセプトを考える部分、つまりプログラムをつくることが好きでかつ得意だったので、コンセプトづくりから設計まで一貫した仕事をするという意味を込めて名付けました。

一方で、不動産のプログラムも建築のデザインも基本的には建物、つまりハコをつくることが目的ですよね。大学院生の時につくった休憩スペースをきっかけに、建物の中で何をするのか、つまり体験を企画することにも興味があると気付いたので、POYOHOUSEでは仕事や打ち合わせスペースとして貸し出すだけでなく、ギャラリーを企画して実際に開催したりもしています。

ーSNSではご自身の活動に加えてプライベートな一面も積極的に発信されていますよね。多忙な中で仕事とプライベートはどのように切り分けて考えていらっしゃいますか?

僕の中で、優先順位が高くしているのはあくまで仕事以外のこと全てです。特に、SNSを駆使して情報を発信することはフリーランスとして活動していくためには必須だと思います。でも、仕事を優先していると疲れて家に帰ってからSNSを更新しようと思うと、どうしても後回しにしてしまいます。

だからこそ仕事以外の部分、つまりSNSでの情報発信であったり友達との予定を先に入れて、残った時間で仕事をするように心がけています。いくら仕事が多くても、時間が限られていればそれに合わせてテキパキと進められますし、よくよく考えたらそれほど急ぎではない仕事も中にはあります。

プライベートを優先するライフスタイルをSNSで発信しながら仕事をしているからこそ、周囲からは仕事もプライベートもうまく両立していると思われていて、自然とセルフブランディングが上手くいっているのかも知れませんね。

ー優先順位をつけることで沢山の仕事をこなしてきた辻さんだからこそのスタイルなんですね。最後に、辻さんが仕事や生活の中でもっとも大切にしていることを教えて下さい。

直感に従うことですかね。こうあるべきとか、こうでなければいけないという考え方は自分を縛り付けてしまいがちです。もちろん、時には周囲の声を聞いたり反省した上で前に進む必要もありますが、基本的には自分の心の声を聞いて前に進もうと思っています。直感に従って生きてきた結果、本当に楽しいと思える仕事ができていますし、自分にとって大切だと思える人たちに囲まれて生活することができています。直感を大切にして物事の優先順位をはっきりさせる、そうすれば自ずと豊かな生活が送れるのかなと思っています。

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆:清水淳史(Instagram
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter