大好きなサッカーを仕事に。メディア編集長・多久島皓太の「ワクワクに忠実」な人生選択

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第921回目となる今回は、メディア編集長・多久島 皓太(たくしま・こうた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

メディア編集長として、サッカー指導者に向けたコンテンツを提供している多久島さん。多久島さんの生き方・選択の価値観に迫ります。

スポーツが大好きで目立ちがり屋だった幼少期

ーまずはじめに、自己紹介をお願いします!

多久島皓太です。今年で25歳になります。高校3年生までは大阪で過ごし、大学進学を機に、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学に進学しました。

卒業後は友人と起業することを予定していましたが、話が白紙になり、現在は岡山県に住みながら、リモートでサッカー関係の仕事に携わっています。

ーお仕事について、サッカーに関するメディアに携わっていると伺いました。具体的に教えてください。

Footballcoach」というメディアに携わっています。メディアの名前の通り、サッカー指導者に向けたコンテンツを提供しているサービスです。

サッカー指導者を始め、サッカー指導者と現役プロ選手の対談や、メディアカルスタッフと現役プロ選手の対談など多角的にサッカー指導を捉えることのできるオンラインイベントの企画や全国のサッカー指導者を取材しています。

ー今から、人生の転機について伺っていきます!多久島さんの幼少期について、教えてください。

幼稚園の年中になった4,5歳ごろから、サッカーを始めました。同時に毎日のように友達と公園で野球をやっていたくらい、友達と外で体を動かすことが好きな子どもでした。

性格は、みんなを盛り上げることが好きな目立ちたがり屋。大阪という土地柄もあるかもしれませんが、クラスでは皆の前に出てふざけたり、友達と漫才をしたりするのが好きでした。

ーサッカーを始めたきっかけは何ですか?

幼稚園に通っていた時に、仲が良かった友達に誘われたことです。「近所にサッカークラブがあるから一緒に行こう!」と誘われ、親同士の仲が良かったこともあり、サッカークラブに通うようになりました。

今でも当時の光景を思い出せるくらい、サッカーを楽しんでいました。

自分の好きだったサッカーとは違いを感じた高校時代

ー高校時代にサッカーを嫌いになりかけたと伺いました。その時、何があったのでしょうか?

中学時代では比較的楽しみながらサッカーができていました。しかし高校入学後は、競技性がさらに本格的になっていきました。体格の違いがでてきたり、これまで上手くいっていたことが上手くいかなくなったりしてきたのです。

また今までは、試合で誰かがミスをしても、それを補い合う声かけがありました。しかし、高校では周りのレベルが中学時代よりも上がったこともあり、練習や試合でミスがあると、助け合いの声がけではなく、逆の意味の言葉かけが増えるように。指導者からの要求も大きくなり、今まで楽しいと感じてきたものが、楽しくなくなっていきました。

段々と、今までの自分がしたいプレーがどんどん制御される感覚に変わり、「自分は、誰のためにプレーしているんだ?」と感じるようになったのです。

結果的に、高校2年生でサッカーを辞める決断をしました。

ー自分が好きだったサッカーとは、形が変わっていったように感じたのですね。

私ももちろん勝負は大事だと思うのですが、勝負にこだわりすぎることは少し違うのではないかとも思っています。

ボールを追いかける楽しさ、ゴールが決まった時にみんなで喜ぶこと。幼稚園時代にサッカーで感じたような、純粋な「楽しみ」の部分は大切だと考えています。

今でも「高校2年生でサッカーを辞めた決断は正しかったのかな?」と思うことはあります。もちろん辞めたくなかったですし、自分にできることがもう少しあったのではないかとも思います。

心残りとまでは行きませんが、大人になって振り返ってみると「コミュニケーションをとれていたら結果は変わっていたのかな」と感じますね。

ーサッカーを辞める時、家族に相談しましたか?

家族は小さい頃からサッカーの送り迎えや、試合を見にきてくれていたので相談しました。

「サッカーを辞める」と言ったら寂しがるかな、と思っていましたが、特に反対されたり「続けたら?」と言われたりすることもありませんでした。

もともと高校時代は、サッカー部の練習がなければ、サッカーの試合観戦に行くことも多かったので、辞めても完全にサッカーを嫌いになるとは思っていなかったようです。

高校2年生で受験を控えていたこともあり、ちょうどいい区切りとなりました。